古代と近代の混在——東京の都市空間

城壁の軽視と経済圏の重視によって近代的都市が輪郭を再形成してきたというウェーバーの主張は、城壁を持つ近代都市たる京都の特異性をかえって引き立たせる。京都の土地的輪郭に対するこだわりは翻って、京都の前近代的を露わにしているだろう。このように位置づけることが可能ならば、江戸時代以降に発展した都市たる東京はこれとは対極的な近代的な都市だろう。いまだ拡張し続ける東京都市圏のほとんどは元来埋め立て地であり、海という物理的制約すら超えて無限に拡大されている点は、城壁を作った京都とは対照的だ。


ともすれば、京都における前近代と近代の混在とそこから生じる摩擦熱は、近代的都市として膨張する東京には見られないのだろうか。しかしながら、そのように単純化することは決してできないほど、東京は単純なものではない。『アースダイバー』における中沢真一は、東京にはいたるところで水中から引き揚げられた断片的なものがひしめいていることを指摘し、それらが東京という都市を決して均質的なものではなくさせているという[9]。


「東京は決して均質な空間として、できあがってなどはいない。それはじつに複雑な多様体の構造をしているが、その多様体が奇妙なねじれを見せたり、異様なほどの密度の高さをしめしている地点は、不思議なことに判で押したように、縄文地図においても洪積層と沖積層がせめぎあいを見せる、特異な場所であったことがわかる[10]。」


書名の『アースダイバー』とは、まだ世界に陸地が無かったころ、動物たちが水中の泥を救い上げていくというアメリカ先住民の創世神話から引用されたものだ。神話の最後では、カイツブリが水底からつかんできた一握りの泥を材料とし、陸地が形作られる。中沢は「人間の心」としての陸地、泥を「無意識」と称し、まさに海から作られた都市である東京のいたるところで、無意識の痕跡たる「泥」が残っているという。


「目覚めている意識に「無意識」が侵入してくると、人は夢を見る。アースダイバー型の社会では、夢と現実が自由に行き来できるような回路が、いたるところにつくってあった。時間の系列を無視して、遠い過去と現代が同じ空間に放置されている。スマートさの極限をいくような場所のすぐ裏手に、とてつもなく古い時代に心の底から引き揚げられた泥の堆積が残してある。この不徹底でぶかっこうなところが、私たちのクラスこの社会の魅力なのだ[11]。」


海から打ち上げられた神話の数々を都市の隙間に発見することで、都市はたちまち均質的を失い、深い海から到来した神話的世界によって深い意味を帯びるようになる。田中純はこうした中沢の議論と精神分析学者フェレンツィの論考「タラッサ」を組み合わせながら、都市がまれに見せる集団的な無意識と海を比喩的につなげて論じている[12]。子宮と海とをアナロジカルに接続するフェレンツィの論考「タラッサ(性器論の試み)」では性交を対象に、それが象徴的な魚としての陰茎が膣へ挿入されることで湿潤な母胎内という「大洋」へ回帰することのアナロジーであることを主張する。人間が根本的に母胎内へ回帰すること=タラッサ(ギリシャ語で海)への願望を有しているという彼は、海というものを母親の象徴であると捉えるユングの元型的イメージ論ともどこか共鳴するだろう[13]。ユングの高弟エーリッヒ・ノイマンは『意識の起源史』において、未開民族から芸術作品など無数もの表象されたイメージを収集する作業を通して、海に象徴される母親のイメージが主体を優しく包み込む側面と、主客を解体するような混沌へ主体を引きずり込んで離さない側面の両面があると主張した[14]。都市の隙間から流れてくる海からの到来物たちは、東京という都市の狭間で神話的世界を展開すると同時に、それらの上に建築された近代都市が都市表象を一層複雑化させる。京都を前近代と近代の混在した都市というのならば、海から到来したものが泥として地表に漂う東京という都市は、中世よりもはるか彼方の古代と近代とが混在された都市として、私たちの眼前に出現している。


タラッサへの欲望とは「海」への回帰欲望であり、それは分析心理学上では主格未分離な混沌的状態への回帰欲望と認識される。そんな無意識への回帰欲望を抑圧するように、都市は埋め立てられた海の上に建築される。人間によって構成され、そして埋め立てによって無限に増築され続ける都市に対し、都市の隙間に見える「泥」は私たちが抑圧しているものを不意に表出させる作用を有している。そうした視点から、田中は東京の狭間に見える神話的象徴の世界=「異界の扉」へと注目を向けることで、都市の狭間に出現する無数の「おもかげ」を拾い上げ、そこから都市の輪郭を描写しようとする。経済的なものでなく、領土的な次元とその意味から形成されるものとしての東京。その背景には埋め立てられた神話=「人間の心」が路地裏の隙間から散見されるだけでなく、それらは私たちをたちまち都市の集団的無意識=「異界」、あるいはヴァルター・ベンヤミンが「アルカイックなもの」と称したものへと誘導する[15]。これらはいわば、ほんの一瞬において出現する堆積されたものたち、都市の「地層」のようなものであり、土地の組み換えはそんな地層を表出させるがゆえに、重要なイメージを提示してくる。それは換言すれば、再開発における都市の性質変化においても同様だとう。土地の改造と、区画の改造。こうした点において、限られた盆地内で再開発を繰り返し続けた歪な観光地たる京都と、大規模な埋め立てで原型を失った東京は一つの点で結ばれる。これらの二つの都市はいずれも、近代以前の時代が生み出す摩擦熱によって、熱を帯びているのかもしれない。


[9] 中沢新一『アースダイバー』講談社、2005年。

[10] 同上、15頁。

[11] 同上、12-13頁。

[12] 田中純『都市の詩学——記憶の兆候と象徴』東京大学学術出版会、2016年、180-182頁。

[13] カール・グズタフ・ユング『元型論 増補改訂版』林道義訳、紀伊国屋書店、1999年。

[14] エーリッヒ・ノイマン『意識の起源史 改訂新装版』林道義訳、紀伊国屋書店、2006年。

[15] ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』今村仁司、三島 憲一訳、岩波書店、2003年。

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