前近代と近代の混在——京都の都市空間
とはいえ、人工的な都市とはなんとも「頭痛が痛い」表現だ。都市は人間によって作られるがゆえ、常に人工物であるからだ。それは元来から人間が文化を形成するための拠点として存在し、そして多様な形で存在してきた。マックス・ウェーバーは『都市の類型学』において、かつて都市は物理的な城塞と城壁によってその輪郭を維持したが、近代以降は経済圏がその輪郭となっていることを指摘している[1]。彼は「昔の意味での都市」を「通常は、東洋の都市にも古典古代=地中海的都市にも、また普通の中世的都市概念にも、城塞か城壁が含まれていたのである」というが[2]、一方で「都市のこの標識は、現在では全くなくなっている」[3]。都市における城壁の存在はその壁によって土地を制限化し、その外部を「野生の空間」とすることで、土地所有者が特別の権威を保証し、それが特殊の支配個体として都市の外側の世界と区別されていることを示していたとウェーバーは述べる一方で、そうした物理的境界が持つ意味が失効すると同時に、このような社会的な枠組みとは別のものとして経済圏を主張した。経済的意味での都市とは、「その住民の圧倒的大部分が、農業的ではなく工業的または商業的な営利からの収入によって生活しているような定住」、「恒常的な財貨の交換が、定住者たちの営利及び受容充足の本質的な一要素として存在している」ような「市場定住地」である[4]。
こうしたウェーバーの近代と中世における都市のあり方の違いに関する主張をもとにすると、筆者が暮らす京都という都市の強力な複雑性があらわになり、非常に興味深く思う。千年の都と称されるように中世からあり続ける京都は、19世紀末から20世紀にかけて近代化の波に流され、変化していった。石田潤一郎曰く、京都の近代化は1885年から1890年までにかけてなされた琵琶湖疎水の開削と、1912年になされた三大事業(第二琵琶湖疎水、同祖拡築・市電敷設、水道施設)、そして1918年に公布された都市計画法に基づく都市計画事業によってなされたといわれている[5]。明治から大正にかけての短い間になされたこれらの事業は京都を大きく変革させたが、一方で以前からの京都の風景と近代化される京都の風景との間に摩擦熱を生じさせ、いくつかの問題を発生させた。そうした軋轢を石田は、画家の池田遙邨の《京の春宵》(1930年)に描かれた京都の表象を分析することによって検討している。京都の中心地から東山通に向けての展望を描いた本作品の中心には鴨川が描写されているが、鴨川東岸にて敷設済のはずである京阪電車の線路が描写されていない。本来あるはずの線路が削除されているというこの疑問に対し、石田は鉄道敷設に難色を示し続けた当時の京都府が、並木で隠すように指示したゆえに隠れているのだという[6]。鴨川沿いを走る京阪電車の風景は1989年の出町柳駅延伸に伴う地下化で消滅こそしてしまうが、晩年の鴨川沿いを走る京阪電車が一つの京都の名物としても扱われた昭和を振り返れば、そうした難色は意外なものにも思える。このような経緯は、近代化に対し京都という都市がいかに抵抗感を覚えたかと同時に、いかに前近代的風景を維持しようとしたかを考えるにあたって大きな示唆を提供してくれる。
京都の鉄道に対するこうした保守的態度は、近代さえも過去の時代のものとなった今日においてはどう変容しているのだろうか。かつて京阪電車を拒んだ都市は20世紀にかけて市電を道路上に敷設し、そして今では2本の京都市営地下鉄が遺跡の合間を通っている。京阪電車の通っていた東山区から下京区へと移動させれば、1997年に完成した四代目京都駅舎の前衛的ガラス張り建築が堂々と鎮座し、観光客を世界中から日々迎え入れている。今日から見てもいささか前衛的なこの駅舎のいで立ちは、まるで前近代的な京都の景観は忘却されたかのような錯覚を私たちに与えるだろう。しかしながら、この巨大な駅舎とそれに連なる東海道新幹線と東海道本線、そして梅小路エリアから展開される巨大な留置線たちが都市を物理的に分断し、都市空間を南北に大きく分けてしまっている。これはまさに、ウェーバーが「城塞」と「城壁」によって内外を区分する前近代的な都市のイメージに、図らずとも合致してはいないだろうか。巨大な駅と10本以上の線路によって南北に境界線を引かれ、かつその他の全方角を山で囲まれた京都はまさに、事実上の物理的境界線によって囲まれた前近代的都市の性質を強く持つ。こうしてみると、かつて鉄道に難色を示した京都という都市の本質は、近代化をある程度果たした今日においてもやはり健在であるというべきだ。近代を受け入れつつ、前近代的なものを隠喩の形で内在化する都市、京都。この混在は、京都が歴史的都市として外面を繕いながらも、前衛的なガラス張り建築によってそれを否定したかと思いきや、隠喩として前近代的都市の側面を示しているという、複雑に絡まった都市表象を構成している。この複雑性はさらに、京都駅という「門」をくぐってすぐにある、景観条例の特例として立つ京都タワーによっても示されている。観光客は世界的な観光都市としての京都の古典的側面に期待しながら、いかにも前衛的な京都駅を降り、そして観光地の風景を保持するための条例を無視したランドマークに迎えられる。この京都タワーを運営社はかつて景観上の問題から忌避された京阪電鉄の子会社であることは、この複雑さのレベルをさらにもう一段階、上げているだろう。
前近代と近代との混在、それによって生じる摩擦熱を帯びる京都。この「前近代」の性質は、今日の観光客がいなくなった京都においては大きな示唆を提供するだろう。世界有数の観光地として「前近代」を売り出す近代都市——なおかつ、その内面が非常に前近代的な都市——たる京都は、外部からの観光客に応答する形によって、徐々にその姿を変容させてきた。ドゥルーズとガタリが『千のプラトー』にて移動する遊牧民的存在が国家の枠組みを絶えず変革させる外部として重要であることを指摘したように[7]、都市がどのようなものであるかを理解するにあたって、外部的存在たる「観光客」への重要視は哲学上でも頻繁に議論されてきたものだ[8]。京都を変革させ、同時に京都がどのようなものであるかを露わにするのは、外部から到来しては消えていく遊牧民的存在、つまり観光客である。しかしながら、新型コロナウイルスによって観光客が途絶え、そのための各種サービスすら休止してしまっている現在の京都において、到来する外部は著しく消えた。だからこそ、観光客に依存するのではない、新たな「外部」がいま要求されるのではないだろうか。そうした可能性は、隔絶された時代において生じるこの「摩擦熱」にこそ、込められている。
[1] マックス・ウェーバー『都市の類型学』世良晃志郎訳、創文社、1964年。
[2] 同上、27頁。
[3] 同上、26頁。
[4] 同上、3-71頁。
[5] 石田潤一郎「京都の近代化を描く」並木誠士編『描かれた京都と建築』昭和堂、2017年、69-93頁。
[6] 同上、78頁。
[7] ジル・ドゥルーズ、フェリクス・ガタリ『千のプラトー——資本主義と分裂症』宇野邦一・小沢秋広・田中敏彦・豊崎光一・宮林寛・守中高明訳、河出書房新社、2010年。
[8] 東浩紀『ゲンロン0——観光客の哲学』ゲンロン、2016年など。
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