第60話 『一筋の光』

 またしてもメリィの毒に充てられてしまったヴァルゴ。

 調合された薬を飲み、再び天井を見つめる。横になっている間、メリィはヴァルゴの様子を窺いながら日常をこなしていた。

 一体いつまでここの世話になるつもりなんだろうと思いながら、半年ここで生活を続けるつもりなのかと思う自分もいる。

 見るとメリィは実に生き生きと働いていた。自身の過去を打ち明けてもなお、そんな暗い部分などおくびにも出さずに彼女は今を生きている。

 たった一人で、動物たちと暮らしながら、森から一歩も出ることなく。

 それに比べヴァルゴ自身はどうだ。特に不自由のない生活、呪われた体で生まれてきたわけでもなく、仲間関係も良好だと自分では思っている。

 恵まれた日々を生きてきたはずなのに、ヴァルゴの心は常に外の世界へ向けられていた。窮屈な獣人国を抜け出し、広大な世界へ旅立つことが夢だった。

 それが国では禁止されていることに不満で、まるで国という檻の中に閉じ込められていた気分になる。不自由ない生活だったと思っていた自分の人生は、実は全く自由のない生活だったことに気付く。


「だから子供なんだ……、言われて当然だ」


 父王から「お前はまだ子供だ、未熟だ」と何度となく言われ反発してきた。

 外の世界を知ろうとしない大人達の方がバカだと、そう思っていた。実のところ獣人族がなぜそんなにも人間に対して嫌悪の感情を向けているのか、決して関わってはいけない対象として扱っているのか。それに答えを出せたわけではない。

 むしろよく知らない相手に対して、どうしてそんな風に言えるのか。

 三百年前には獣人国は出入り自由だったはず。ご先祖が自由に旅をしていたことが何よりの証拠。その三百年の間に人間と何かあったのだろうが、過去の資料を漁ってはみたものの、そのような記述の文献は見つからなかった。

 単純に異種族間差別から来ているものなのだろうと、ヴァルゴはそう捉えていた。

 しかし今となっては過去に何があったのか、なぜ獣人国が人間と関わってはいけないのか、そんなことは本当にもうどうでも良かった。

 少し気分がマシになったヴァルゴは体を起こし、夕食の準備に取り掛かっていたメリィに声をかける。


「ミリオンクラウズ公王と、魔女ライザとやらに……会ってみるよ」


 そう、ヴァルゴは獣人国以外の世界を知る為に旅に出た。

 残り少ない時間の中で、やっとそれが叶うのだ。

 いつまでもこうしてもやもやした気持ちで過ごすより、行動に移した方が有意義だ。

 

「明日にでもミリオンクラウズ宮殿へ向かうことにする」

「そう、なんですね。わかりました。それでは明日にお見送りを……」


 少しぎこちない笑顔でそう答えたメリィに、ヴァルゴは首を振った。


「いや、メリィ。君にも一緒に来てもらう」

「えっっ!? だ、だめですよ! 私はここから出てはいけないことに」

「ならないよ。なぜなら君の毒疫の効果範囲は、必要最低限の注意を払えばどうとでもなるからだ」


 ヴァルゴは自信たっぷりの表情で説明を始める。

 毒疫の魔女メランコリンとして、毒疫の魔法が発動した時の話を思い出しながらヴァルゴはある仮説を唱えた。


「防備すれば、振り撒くことは……ない?」

「それもかなり徹底的に防備する必要は出てくるが、それでも効果範囲は大体わかる。最も範囲が広い可能性があるのは、吐く息と残り香だろうな」


 毒の効果が最も高いもので、メリィの肉体の一部。髪の毛や爪、血肉、汗や唾液などが挙げられる。

 それに反して吐いた息と体臭は、毒としての効果が最も薄いのだと……これまでの生活の中でヴァルゴ自身が体感して導き出した答えだった。


「そりゃ誰も毒の実験体になろうなんて奴はいなかったろう。試してみればなんてことはない。それらに気を付けてさえいれば、君が森から出てはいけないことなんてないんだ。君は他の人間となんら変わりのない……ただの、普通の女性だよ」


 猫科の、獅子の顔が満面の笑みを浮かべる。獣人とはいえ、外見は二足歩行の動物と変わらない。そんな彼でも、表情はこんなにも豊かなのだと。

メリィは溢れこぼれる涙を流しながら、喜びに打ち震えた。


『普通の女性』……。


 周囲から恐れられ、近付くことすら拒絶され、人間ならば誰一人として近付かない森の中に、たった一人押し込められ生活してきたメリィにとって。

 普通の女性として扱ってくれる相手が現れるなんて、思っていなかった。もう二度と、誰とも接触することなく、たった一人孤独の中で死を待つだけの人生かと思っていた。

そんなメリィに「森から出てもいい」と言ってくれる人が現れるとは、露とも思っていなかった。


「だから共に行ってくれるかな? 君のことでミリオンクラウズ公王とも話をしてみたい」

「……私の、ことで?」


 ヴァルゴはベッドから足を下ろして床につき、前のめりになってメリィの手を取る。

 大きな両手で包まれて、まるで恋人同士が愛を誓い合うような光景に思えて、メリィの心臓は高鳴った。


「メリィ、君は外の世界に興味はないか」


 じっと見つめられ、それを逸らすことが出来ずにドギマギする。

 一体この質問と、ヴァルゴの旅の再開と、何の関係があるのだろうと思いつつ。

 まさか、もしかして、という期待に満ちた想像が頭の中をよぎる。

 戸惑い、躊躇い、自分の本当の気持ちを口にすることに背徳感を覚えていたメリィ。

 思いがけない毒疫の魔法が覚醒し、それによって多くの人間や動物達を死に追いやり、なおかつ罪の償いをすることなく自分はのうのうと生を満喫している。そんな罪悪感。

 死んでいった者、殺してしまった者、彼等が口々にメリィを責め立てる夢を今でも見る。


『人殺し!』

『残忍な魔女!』

『自分だけ生き続けるのか!』

『罪を償え!』

『地獄に落ちろ!』

『返せ!』

『俺達の命を!』

『私達の未来を!』

『死んで償え!』


 そうやって苦しみ続け、しかし償い方がわからないまま、こうして生きて来たメランコリン。

 だがこれこそが自分に与えられた罰なのだと思うことで、森に追いやられても文句の一つも言わず、むしろ自ら進んで孤独の道を選んだ。

 そうすることが償いかもしれないと、そう思ったからだ。

 生き地獄を味わうことが、奪った命に死ぬまで責められ続けることこそが、自分に与えられた贖罪だと、そう思ったから。


 だからメリィは全てを受け入れた。受け入れざるを得なかった。

 不本意であったとしても、不当だと感じても、不平不満を言わず、それが当然のように。

 毒疫の魔女メランコリンという、最悪の魔女がただ一つ出来る償いの道だと信じて。そうやって鵜呑みにしようとした。

 当然の報いなのだと思うことで、思考を止めることで、本当の気持ちを出すことなんて許されない行為なのだと思うことで。

 メリィは償ってきたつもりだった。

 

 だけど今ヴァルゴから問われ、メリィの心は揺らいでいた。

 メリィの毒疫は抑えることが出来るのだという一筋の光を与えられ、メリィは初めて……本当の意味で他人に、ヴァルゴに心を開こうと思っていた。

 ほんの少し、今この場でだけ……。

 ヴァルゴにだけなら、口にしてみようかと思った。

 今まで決して出来なかった、本当の気持ちを吐露することを。

 許されるなら、ほんの少しでも、ただ一言口にするだけでいいのなら。それを叶えようだなどとおこがましいことは思ったりしない。

 ただ一言、誰にも言って来なかったメランコリンの本当の心を、ヴァルゴにだけ話してみようと、生まれて初めてそう思えた。


「世界を……、もっとたくさん……っ、見てみたいです……っ!」


 涙ながらに訴える。

 ぽろぽろと、透明でキラキラとした涙がメリィの頬を伝う。

 この綺麗な涙でさえ人を殺しかねない毒だというのに、その美しさにヴァルゴは目を、心を奪われた。

 そして微笑む。ーーそう言うと思っていた。


「よし、メランコリン。俺と共に世界を巡ろう……!」 

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