第61話 『身支度』

 自身の毒疫によって人生を狂わされたメリィの気が変わらない内に、ヴァルゴはすぐさまミリオンクラウズ公国へ出向こう提案した。

 さすがにそれは早急過ぎると二の足を踏むメリィに、ヴァルゴは出来る限りやんわりとした口調で事実を述べる。


「君の気持ちを聞いたからには、俺はそれを叶えてやりたいと思っている。どうせ国が定めた約束事に反することになるからと、罰を恐れているんだろう。いや、メリィのことだから自分の毒疫で誰かを傷付けてしまわないか不安になっている。違うか?」

「そ、そうですけど……って、どうして全部わかってしまうんですか? ヴァルゴさんは私の心が読めると……? はっ! よ、読まないでくださいよ!? 私は別にヴァルゴさんが一緒にいてくれるから嬉しいとか、安心出来るとか考えてないですから!」


 一人で勝手に勘違いをして慌てふためくメリィの仕草に、ヴァルゴは生まれたての子猫を愛でるような感覚になっていた。出来ることならこのまま抱き締めたいと思いつつ、またすぐメリィの強い毒疫に充てられては困るとも考えている。


「心が読めるわけじゃないが、メリィ……君はとてもわかりやすい。自分では気付いてないかもしれないが、君の顔が全てを物語っているんだぞ」


 ヴァルゴの言葉に一喜一憂し、喜んだり落ち込んだり。恥ずかしがったりむくれたり。彼が初めてメリィと出会った時など、表情に起伏のない少女かと思った程だというのに。

 ほんの数日、ヴァルゴがメリィを知れば知る程、彼女は様々な表情を、感情を見せるようになっていた。

 ヴァルゴはそれがとても嬉しくてたまらない。この森を出て、色々な町や景色を見聞きした時には、どんな表情をしてくれるのか。どんな言葉を紡いでくれるのか、楽しみでならなかった。

 そんな彼とは対象的に、やはりメリィはまだ心の準備は出来ていない様子だ。それは無理もないことだと彼も理解していたが、このままメリィが心を決めるまで待っているつもりもない。

 ヴァルゴはメリィと少しでも長く、一分一秒でも早く一緒に世界を見て回りたいと思っていた。だが無理矢理に連れ歩こうとするのはエゴだという自覚はあったので、どうにかメリィも納得した上で森から出る必要があった。


「少し動きにくくなるかもしれないが、衣類は念入りに着込んだ方がいいだろう。髪はしっかりと結わえた上で、ターバンか何かで巻き付けようか」


 メリィの全身から放たれる毒疫の対策をすることで、少しでもメリィの気持ちを上向きにする作戦だった。

 外の世界に興味がないわけではないのだから、毒疫と公国が定めた指示さえ何とかすればいい。

 ヴァルゴに言われた通り、メリィはタンスから色々な衣類を出して着せ替え人形のように着回していった。どれも公国からの施しで与えられた女性用の衣服であり、ほとんどがどこかの誰かのお下がりだ。中には窮屈な生活を強いている詫びとして、聡慧の魔女ライザから新品のワンピースを贈られることもあったらしい。


「ミリオンクラウズ公国へ、公王様とライザ様に謁見するんですよね? だったら私、ライザ様から頂いたワンピースを着ていきたいです」


 上半身は純白に肩と袖には愛らしいフリルが施され、体のラインに沿って伸びるスカート部分は白から薄い紫へとグラデーションのような濃淡で配色されていた。

 ハイネック、長袖、足首まである長い裾を見るにワンピースというよりシックなドレスといったところだ。


「こんな美麗なものを持っていたのか。なぜ普段からこういう格好をしない?」


 そう訊ねて、それが愚問であることはすぐにわかった。

 メリィは自給自足とまではいかなくとも、畑の手入れや動物の世話、炊事洗濯など。生きる上で必要な仕事は全て彼女一人でこなしている。

 訪ねてくる客人もなければ、当然美しく着飾った姿を見せる相手もいない。ヴァルゴの一言で苦笑するメリィに、罪悪感を抱きつつ「着て見せて欲しい」とねだってみた。

 照れながらも快諾する程度には、二人の仲は深まっている証拠だ。


 ***


 思い立ったが即吉日、というのがヴァルゴのモットーである。

 ミリオンクラウズ公国までの道のりは、そう遠くはない。せいぜい徒歩で数時間といったところだ。

 ヴァルゴは獣人国から旅立った時と同様に、布製マントをまとい、バックパックを肩に掛ける。彼自身の身体が大きいせいでもあるが、小さく見えるバックパックは人間の成人男性が背負えばそれなりの大きさだ。

 長旅に備え、荷物は少なめに。最低限、野外で食事出来る為の道具一式や医療セット、衣類など。不足すれば路銀を稼いで、その時々で購入すれば良いというスタンスだった。


「良いじゃないか、悪くない」


 メリィは先ほどのドレスに、手袋やタイツをしっかりと身に付けて完全防備の状態になっていた。

問題となる長い髪は、はらはらと落ちてしまわないようにしっかりピン留めをしてから、サフラン色の四角い布で筒型に丸め、頭から首やあごを覆った。

 ウィンプルと呼ばれる女性用頭巾で、一部地域の修道女などが身を包む為に考案されたものである。

 これで少なくとも、髪の毛を知らぬ間に落としていく可能性は低くなり、喋る際にはウィンプルで口元を覆ってマスク状にすれば唾液を飛ばすこともない。


「少し暑いだろうが、そこは我慢してくれ」

「……森の外に出られるんです。暑さなんて気になりません」


 布に覆われ、顔の一部しか見えていなくてもわかる。

 メリィはにっこり微笑み、期待に胸を膨らませている様子が伝わった。彼女の無垢な微笑みを見る度に、ヴァルゴは天使に心臓を射抜かれているような気がしてならない。

 胸の痛みを押さえつつ、メリィの笑顔一つでこんなにも動揺している自分を隠すように、てきぱきと出掛ける準備と声掛けをした。


「誰も来ないとは思うが、家中の戸締まりを念入りに。それからどれ位で戻るかわからないから、動物達は柵内を自由に歩き回れるようにした方がいいだろう。閉じ込めたままでは、それこそどうしようもなくなってしまうからな」


 ヴァルゴの言われた通りにし、ようやく出発の目処がついた。

 森の際まではメリィ一人でも歩いて行ったことはあるが、そこから先は森に入ってからというもの一度たりとも出たことがない。

 途端に不安が押し寄せてくる。


 本当に大丈夫かしら?

 私が一歩足を踏み出した途端に、どこからか攻撃されるかも?

 それより毒は? 本当に安全? 万全?

 髪は、出てないわよね。

 手袋もしてるし、つま先までしっかりとタイツを穿いている。

 これで本当に誰も傷付けない?


 緊張から、だんだんと呼吸が早くなっていくのがわかる。

 動悸が激しくなっていくのは、それだけメリィが自分自身の危険性をわかっているから。

 そして真面目な性格であるメリィが、ライザと交わした約束を反故しているという背徳感から。

 肩で息をするメリィに、ヴァルゴがそっと背中を押す。


「大丈夫だ、俺が付いている。何があっても君を守り抜くと誓おう」

「私より、私の毒に侵されてしまう人達のことを……。どうかお願いします」


 どこまでも自分を恐れるメリィの言葉に、ヴァルゴは恋慕とは違う胸の痛みを感じた。

 この娘はどこまでも優しい。

 だからこそ安心して、心置きなく自由に世界を歩き回れるようにしてやりたい。

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