第56話 『百万の民衆が住まう楽園』

 地に足をついたロック鳥を前に、全員が息を呑む。

 いつまた暴れ出すか、自分達に危害を加えようとするかわからない状態で誰もが何も言えないでいた。師であるニコラでさえ、緊張感を保ったまま黙って見守っている。


『お前はともかく、他の奴らが目障りだ』


 それだけ告げると、ロック鳥はこれ以上ルーシーと会話をすることなく飛び去ってしまった。ルーシーはなぜミリオンクラウズの魔女と争っていたのか訊ねようとしていたが、短い声を上げ手を伸ばしただけになってしまう。

 かなり遠くまで羽ばたいて行ったロック鳥だが、その姿はまだ大きな鳥が近くを飛んでいるようにしか見えない。

 残念そうに見送るルーシーの表情に、ロック鳥に対する恐怖や畏れなどが微塵もないことにニコラは気付いていた。しかしここであえてそのことには触れない。

 ともかくため息まじりに問いただす。


「なぜ見逃した?」

「話の通じる相手だったので」

「ああいうのは話が通じる相手とは言わない」

「でも……」

「人間同士でさえ、言葉は理解出来ても話が通じない時がある。今のがそれだ」


 そう叱責され、ルーシーは反省の色を示した。周囲を見渡すと、地面に降り立った魔女達。空には複数の魔女達がルーシーのことを見下ろしていた。

 彼女達の視線はどれも奇異なものを見る眼差しだ。

 ここにいる魔女達ですら手に余ったロック鳥を鎮めた少女。

 怪鳥と会話するという、珍しい特性を持った少女。

 こともあろうにそのロック鳥を見逃した少女として。

 視線はそれなりに冷たかったが、ルーシーは意に介さなかった。せいぜい「今のやり方は失敗だったのね」という程度だった。

 さすがに師であるニコラの機嫌を損ねることは本意ではなかったが、それ以上にやはり言葉の通じる相手を一方的に殺める行為をルーシーは良しと出来ない。

 すみません、と一言。周囲の魔女達も含め謝罪するように、ぺこりと軽く頭を下げた。今のルーシーにはその態度が精一杯だとでも言うように。

 長くルーシーのことを見てきたニコラは、その謝り方に呆れたようなため息を漏らす。仕方ない、といった感じでニコラは魔女達に語りかける。

 自分が氷結の魔女ニコラであること、ミリオンクラウズで聡慧の魔女ライザと面会する約束を取り付けていること。

 それは先ほど言いかけた魔女が理解していたので、警備にあたっていた他の魔女達に向かって元の定位置に戻るように指示する。

 それからは早かった。荷物運びのロバは警備隊が責任を持ってミリオンクラウズに連れて行くと約束し、ルーシー達は魔女の先導で空から向かうことになった。空飛ぶホウキを使えば、徒歩で半日ほどの距離も数時間で到着出来るからだ。

 そうしてルーシーは「百万の民衆が住まう楽園」という意味を持つミリオンクラウズ公国に無事辿り着くことが出来た。


 ***


 本当ならニコラと共に街中を見て回る予定だった。空から見下ろせば、そこには今まで見たこともないような光景が広がっている。

 魔女であることを隠すことなく、誰にも憚れることのない様子で魔女が堂々と店を開いていた。

 市場となっているテントには普通の人間と魔女が、隣り合って店を出しているという光景。買い物客も同じだ。人間と魔女が本当に共存している。

 ルーシーは話に聞いていた限りの情報だけで想像していたのだが、全然違っていた。てっきり国側が魔女を庇うように、守って匿っている光景を想像していたのだ。普通の人間全てが魔女を受け入れることなんてあり得ない。だからそんな人間から危害を加えられないように、保護しているものだと思っていた。とんでもない誤解だ。

 人間も魔女も、互いに笑顔で街中を歩いている。人間の男と魔女のカップルも普通にいた。普通じゃ考えられない、信じられない現実だった。


「ルーシー。ぼうっとしてたら他の魔女にぶつかっちまうよ!」

「……っ! すみません」


 空を飛びながら下ばかり見ていたルーシーは、慌てて前を見る。周囲にはルーシー達の他にも魔女が多数飛んでいた。

 移動手段にホウキを使っている魔女に、荷物運びをしている魔女。使い魔にカラスを選んだのか、一緒に空の散歩をしている魔女など。これは危ない、とルーシーは気を引き締める。

 これまで何度か空を飛んでいて気付いたが、空には魔物以外の危険物はあまりない。鳥達はこちらを障害物だと思って避けてくれるし、一際高い一本杉にでも引っかからない限り何かにぶつかるなんてことはなかった。

 しかしここでは障害物だらけだ。下手をすれば魔女同士で衝突して大事故になりかねない。


「宮殿はすぐそこです。このまま入城出来るので、ついて来てください」


 先導している魔女が指差す先には、象牙色のように真っ白い大きな建物が見えた。白い大理石で建てられた宮殿には、華美な装飾は一切施されていない代わりにデザインやレリーフといった象嵌ぞうがん細工によって美しさを表現している。

 四方にはミナレットという張り出しのついた細い塔が建っており、巨大な宮殿の屋根部分は玉ねぎのような形をしていて、なぜだか可愛らしくさえ見える。

 いくつかの国々を旅してきて、様々な城や邸宅を見て来たが、そのどれにも決して劣ることのない美しさだ。それだけこの国が豊かな証拠とも言える。

 時折ニコラが口にしていた言葉を思い出した。


『その国が本当に豊かかどうかは、国民の表情を見ることだ。下位であればあるほど、その表情に曇りがなければその国は豊かな証拠だよ』


 国民の表情はさっきの通りだ。ミリオンクラウズ公国は非常に豊かな国だと言える。何より魔女を受け入れる数少ない国であることは間違いない。

 聡慧の魔女ライザが、自国へ来るよう呼びかける理由がわかる。これだけ豊かなら、自信を持って勧めることが出来るだろう。


 そんな風にルーシーが思っている内に、宮殿へと辿り着いた。導かれた場所は、恐らくホウキで入城する魔女専用の出入り口となっているのだろう。

 離着陸するスペースが広く取られていて、そこから飛び立つ場所と降り立つ場所がはっきり分けられている。反対側からは色んな魔女が空へと飛び立っていた。まさに魔女専用の入城場所といえよう。

 案内されるまま受付でニコラが名前を記入し、それから入城許可が下りた証としてペンダントが渡された。


「それを首に提げてください。決して外さないように。それが無ければ侵入者として捕縛されますので、気をつけてくださいね」


 魔女を寛容に受け入れているけれど、警備は割としっかりしているのだなと思った。それでも中には姿形を変貌させる魔法も、この世にはあるとニコラから教わったことがある。その場合はどうやって識別するのか興味のあるところだったが、魔女はスタスタと先を行くので考える余地はなかった。


 宮殿の外観は見事であったが、中も相当だ。さすが公王の住む城といったところだと思いながら、ルーシーはあまりきょろきょろしないように気をつけながらニコラ達の後をついて行く。

 すれ違う人は普通の人間だったり魔女だったり、支えている者だったりルーシー達のように城に用事があって訪れている者だったり。

 支えているのだなとはっきりわかるのは、やはり服装だ。掃除婦なんかは動きやすい格好をしているが、決して見すぼらしい服ではない。城勤めの者は独特の衣装で、どれも目を引く格好ばかりだった。

 この国の気候が比較的暑いせいだろう。男性はほとんどが頭にターバンを巻いていて、裸の上に軽くチョッキなどを着ているだけ。裾がダボついたズボンに、人それぞれの好みでネックレスにピアス、バングルやアンクレットといった装飾品を身につけていた。

 女性に至っては際どい衣装がほとんどだ。お腹を出している格好がほとんどで、上半身は下着同然といったような女性もいる。しかしこの国ではそれが普通なのか、肌の露出が多い格好をしていても当然だが恥ずかしがっている女性は一人もいない。

 中にはシアー素材で透けるようなシフォンやレースといったものを身につけている女性もいる。決して全ての女性が裸同然の格好をしているわけではなさそうだ。

 魔女を受け入れる国なのだから、様々な人間がいて当然。だがやはり目に入る多くの者は、褐色の肌に黒髪といった外見的特徴だった。

 恐らくこの肌と髪色をしている人間が、この国出身特有なのだろうと察する。

 スノータウンとは真逆の環境、照りつける太陽光で肌が焼けた証拠だろうか? それにこれほど艶のある真っ黒い髪は割と珍しかった。

 思えばライザも褐色の肌だった。髪色はさすがに魔女の特徴である銀髪であったが、きっとライザはこの国出身の人間なのだろうとルーシーは推察する。


「着きました。こちらがミリオンクラウズ公王陛下と面会する謁見の間となります」

「随分とあっさり面会許可が下りるんだね。他にも謁見を求める国民がいるだろうに。順番をすっ飛ばして周囲から反感を買うのはごめんだよ」


 ニコラが渋い顔をしながら吐き捨てるように言った。どこに行ってもニコラはいつもの態度を崩さない。仮にも国の王がいる場所であるからには、それなりの敬意と礼節があって然るべきだが、そんなものニコラには全く関係ないようだ。

 師のおかげでルーシーも随分と肝が据わって落ち着きのある歳の重ね方をしたが、これにはさすがに肝が冷えた。不安そうに顔色を窺うも、あっけらかんとした表情で言葉を返す魔女。


「ご心配無用です。氷結の魔女様が入国した際には、何事があろうとすぐに取り付けるよう公王陛下並びに聡慧の魔女からのお達しであります」


 笑顔でそう告げると、大きな扉が開かれる。

 中へ通されると密閉空間ではなく、東側は壁がなくとても開放的になっていた。

 等間隔に置かれた観葉植物は、この国独自の植物だろうか。茎が折れ曲がっているものから、真っ直ぐに伸びているものがある。その中でも一際目を引いた植物は、鮮やかな緑色の大きな葉がハートの形にそっくりだ。

 そういえば温暖な地域原産の植物で、フィカスというゴムの木が有名だったことを思い出す。暑さに強く寒さに弱いのが特徴で、決して珍しい植物ではない。

 真っ赤なじゅうたんが謁見の間を縦断するように敷かれていて、その先に玉座がある。そこに鎮座するはミリオンクラウズ国を治める若き王、その隣には本来妻となる者が座するであろう玉座にはライザがいた。

 魔女の夜会で見た時と同じ柔和な笑みを浮かべ、ライザは歓迎する。両手の指を組んで喜びを表現していた。


「いらっしゃい、よく来てくれましたね。ニコラ、それにルーシー」

「この者達か、お前の言っていた珍しい魔女というのは」


 まるで円満の夫婦のように語り合う姿を見て、ルーシーは何の疑いもなく二人が夫婦だと思っていた。しかしそれなら国民全員がライザのことを「聡慧の魔女ライザ」ではなく「公妃」と呼ぶはずだ。

 ニコラが立ち止まり膝をつく姿を見て、ルーシーも真似る。


「お初にお目にかかる。そちらの魔女から話を窺っておいでのようですが、改めて紹介に預かる。私は氷結の魔女ニコラ、そして隣にいるのは私の弟子で名をルーシーと申します」


 ところどころ際どい言葉遣いで話すニコラに、ルーシーは心底ハラハラしていた。ライザの紹介なのだから大抵の粗相は許されるかもしれないが、ルーシーはまだ公王の人柄を知らない。王とは傲慢で、不遜な態度をする者には相応の罰を与えるものだと思っていた。

 石のように固まってしまったルーシーをよそに、公王は高らかに笑いう。嘲笑ではなく、心の底から笑っているようだった。


「はっはっはっ! ライザ、お前の言ったように本当に誰彼構わぬ態度をする魔女のようだな!」

(ひっ……!?)ルーシーは縮み上がる。

「ニコラはね、本当に面白いの。お願いだから優しくしてあげてくださいね」

「うんうん、愛いお前の友人なのだ。歓迎するのは当然だ」


 まるでベタベタに惚れ合ってるバカップルのように、人目も憚らず仲の良さを見せつける二人の姿にルーシーは面食らった。

 あれが魔女の夜会で絶対的、圧倒的な神々しさを放っていた聡慧の魔女の姿であろうか。

 これが数百万の民衆を治める手腕を持った公王の姿であろうか。

 ルーシーの思っていたイメージとあまりにかけ離れすぎて、かえって背筋が凍るような思いだ。

 そんな二人のイチャイチャぶりをこれ以上見せつけられるのは目の毒だと判断したニコラが口火を切った。


「ところで先ほどこの近辺でロック鳥と出くわしましてね。何か問題を抱えておいでのようだが?」


 ニコラの言葉に先ほどまで目尻が限界まで垂れ下がっていた公王の目元が、キリッと鋭くなる。口元から笑みが消え、賢王たる凛々しい顔つきへと変わった。瞬間、公王から威圧的な何かを感じたルーシーは鳥肌が立つ。

 ピリッと張り詰めた空気になったせいだろうか。これも公王から出る、絶対的王としてのオーラのせいだろうか。


「そのことなんだが、早速で申し訳ないが頼みがある」


 ライザの方へ視線を向けると、続きは彼女が引き受けた。ライザもまた凛とした表情になり、あの時の神々しさが蘇ったように畏れ多いと思わせるような雰囲気を放っている。


「ミリオンクラウズ公国より南に位置する隣国と、少し揉め事が起きてしまって困っています」


 ライザの深刻そうな言葉に、ニコラは頭の中で地図を思い浮かべて、それから合点がいったように問題点を言い当てた。


「獣人国相手とは、これまた運が悪いことだね。あの国は普通の人間はもちろん、魔女でさえ毛嫌いするような連中だ。……だからルーシーを、というわけだね」


 獣人国のことは旅の途中でニコラから教えてもらったことがある。この世界には普通の人間と魔女と、そして人間とは全く外見が異なる異種族ーー獣人の存在だ。


「独自の文化、言語を話す彼等への交渉人として……獣と言葉を交わせるという、その少女の力を借りたい。引き受けてくれるだろうか?」

「わ……、私ですかっ!?」


 突然の思いがけない申し出にルーシーは、公王の前でみっともない声を上げてしまっていた。

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