第57話 『獣人国の王子』

 「少し話は長くなります」と言って、ライザは公王を謁見の間に残し、ルーシー達を伴って別室へと移動した。

 その際にも公王とライザは一時離れるだけだというのに、お互い名残惜しそうに手と手を絡め合わせ、頬に口付けを交わしていた。

 そんな二人の様子を見ながらルーシーは、公妃という立場でなければまだ恋人関係のままなのだろうかと疑問に思う。

 これだけ人目も憚らずに濃密な触れ合い方をするのだし、二人とも十分結婚を考えても良い年頃だろう。いくら魔女を擁護する国とはいえ、やはり普通の人間と魔女が結ばれることはないのか?

 そう思ってふと、街中にいた人間と魔女のカップルを思い出す。特に恋愛関係に発展してはいけないということはなさそうだ。

 異種族、特に獣人といった明らかな生物的違いがあるわけではない魔女相手なのだし、過去にも人間と魔女が結婚した例もないわけじゃない。だったらなぜ二人は未だに婚姻関係に至らないのだろう。


(そこはやっぱり王様……、国の王が魔女を娶ることはないのかしら?)


 腑に落ちないまま、ルーシーは二人について行く。

 謁見の間からさほど遠くない場所にある応接室に入り、豪奢な装飾品や家具類に目を奪われる。王宮自体は煌びやかさこそなかったが、白い大理石とデザインに力を入れていた為、それはそれで息を呑む美しさだった。

 だがやはりそこは王族の住む宮殿、中に入れば金細工や装飾品が目立つ。

 ふわふわのクッションが置かれた椅子に腰掛けている間、以前のようにライザ自らがお茶の用意をし出した。退屈させまいと、ライザはお茶を淹れながら話し始める。


「獣人国についてはご存知かしら? ほとんど外部の人間と交流しないようなお国柄だから、地域によっては全く知らない人間もいるんですよ」


 確かにこれまでの旅で獣人をお目にかかったことは、ただの一度もない。そういった異種族が存在していたこと自体に驚いていた位だと、ルーシーは思っていた。

 何年も旅をしていて、それなりに様々な地域を渡り歩いて来たはずなのに。


「獣人族はね、人間を避けて生きているんです。ほら、人間は自分達と異なるものを嫌うでしょう? 同じ種族であるはずの魔女ですら迫害するような人種ですもの。見た目が全く異なる異種族が、それも人間よりずっと体格の大きい者を目にしたらどうなると思いますか?」


 回りくどい説明のようで、とてもわかりやすかった。何より自分自身が経験してきたことなのだ。身に染みてよくわかる。

 魔法を扱える魔女を迫害するような人間だ。力関係でいけばきっと獣人の方が圧倒的に上だろう。それでも人間は自分達より強い力を持った者を排除しようとする。自己防衛のつもりなのだろうが、相手がもし本気で抵抗したらどうなるか……。

 ほんの少し考えたらわかりそうなものなのに、それでも人間は自分達より優れた能力を持つ者を迫害し、排除しようとする。


「中には強すぎる好奇心から獣人国を出て、人間の前に姿を現す者もいますね。それがおとぎ話などに出てくる伝説上の生物として、人間の間では語られたりしています。ケンタウロスや人魚なんかもその類ですね」

「まぁ獣人族のほとんどは哺乳類だよ。代表的なものは猫、犬、虎、獅子。そいつらが二足歩行で生活していると思えば、少しは想像出来るだろう」


 ライザの説明にニコラも加わる。なるほど、確かにそういった種族はこれまで一度もお目にかかったことがない、とルーシーは思った。

 旅の間で見てきた魔物と獣人族とで、決定的に異なる部分はどこだろう? 獣人族は人間と同じ言語を話すのだろうか? だから獣人族と呼ばれるのだろうか?

 外見的イメージは出来ても、詳細は今ひとつピンと来なかった。しかしここで獣人についての講義を長々とするつもりはないらしく、ライザは早速本題へと入った。


「隣国とはいえ私達ミリオンクラウズは、獣人国と密に交流しているわけではないんです。ただでさえ人間の世界を嫌っている彼等のことだから、滅多なことでは姿を現さないはずなんですけれど……」


 憂いに満ちた表情で、ライザの長いまつ毛が大きな瞳を覆い隠す。


「ある日、獣人国の王子という身分の者が……ミリオンクラウズ郊外にある密林に足を踏み入れたんです」


 他国への不法侵入が争いの原因なのだろうか、と口に出しかけて思い止まった。話はまだ続いているようなので、黙って最後まで聞く。


「その密林は別に誰が立ち入っても、特に問題はありません。王子様は国境を越える為の手続きをきちんと済ませていたみたいで。もちろん獣人国の方が入国したことはとても珍しいことなので、すぐに警備隊から連絡が来ました。でもそれは別に警戒の為ではなくて、ただ単に……本当に珍しいことだったから。それだけでした」


 それからライザは立ち上がり、見晴らしの良いバルコニーへと歩いて行く。遠くを指差し示した先には、確かに深い緑で覆い尽くされた密林があった。


「あの密林はとても深いんですよ。国の者も滅多に足を踏み入れない。でもそこには、ミリオンクラウズの民が一人……暮らしているんです。ひっそりと、誰にも会うことなく、たった一人で」


 ライザの表情がさらに暗く、影を落としていった。話すか話すまいか、考えあぐねていたであろうライザは口を開く。


「……毒疫の魔女メランコリン、あの密林は彼女の住まいです」

「毒疫……」

「知らない名だね。随分と物騒な二つ名を持っているみたいだが」


 バルコニー側に立っていたライザが再び歩み寄って椅子に腰掛けると、ぬるくなったお茶をごくりと飲んで一息つく。しかし憂いた表情は一向に明るくならない。


「とても可哀想な娘なんです。魔女の特性が現れたと同時に、周囲に毒疫を振り撒く災厄として……魔女狩りから逃げて来たところを私が保護したんですけれど。私の智識を持ってしてもメリィの毒疫を完全に防ぐことは出来なかった……」

「そうして国民に害を為す前に、あの密林に閉じ込めたってわけかい」

「閉じ込めた……、えぇそうですね……。その言葉が一番しっくり来るかもしれません。私達は救いを求める一人の魔女を、あの密林に閉じ込めたんです。それでも彼女に出来る限りではありますが、生きて行く為に必要な物資は提供しました。……密林の出入り口付近に置いて行くだけですけれど」


 聞いてみれば確かに哀れだとルーシーは思った。自身が望んでいないのに、人体に有毒なものを発生させる魔女に……一体誰が近付けるというのだろう。

 忌み魔女と蔑まされてきた自分とは、明らかのその度合いが違いすぎる。不憫だと、心から思った。


「で? その魔女がどうしたってんだい。結論から言ってくれないかね。私達も時間に余裕があるわけじゃないんだ。この国に何しに来たのか、わかっているだろう」


 そうだ。ミリオンクラウズを目の前に、色々なことが起きてとんとん拍子にここまで来たけれど、本来の目的は聡慧の魔女ライザにルーシーの魔女としての特性を聞きに来たのだ。

 その件に関してはライザももちろん承知で、両手を合わせて小首を傾げる。


「もちろん、わかっていますとも。ごめんなさいね? この通り」

「お前がそんな仕草をして可愛いと許してしまうのは、あの公王くらいなもんだよ」


 冷ややかな視線と口調でライザを説き伏せるニコラに、ライザもまた苦笑いを浮かべながら咳払いをして誤魔化す。

 魔女の夜会で見た時と、今日久しぶりに会ったライザとでは随分と雰囲気が変わって見えて来ているのは気のせいだろうかと、ルーシーもまた苦笑した。


「結論ね。えぇ、結論としては……そのメリィが獣人国の王子様を殺してしまったの」

「すみません! 過程を! そうなった過程を詳しく聞かせてください!」


 予想だにしなかった結論に、ルーシーは相手が聡慧の魔女だというのに大声を上げてしまった。ニコラもまた唐突過ぎる結論に呆れ返って頭を抱えている。

 慌てふためくルーシーを見て面白がっているのか、ライザはくつくつと上品に笑いながら「冗談よ」と言ってルーシーを宥める。


「冗談というのは今の話の流れ方のことで、メリィが王子様を殺してしまったことは事実です」

「お師様? ライザさんってこういう人でしたっけ?」

「こういう奴だよ。今さら気付いたのかい」


 そういえば魔女の夜会の時も、ニコラはこんな風にライザのことをあしらっていたような……とルーシーの記憶が蘇ってくる。

 聡慧の魔女ライザはもしかしたらとんでもなく面倒臭い女性なのかもしれない、とルーシーはこれまでのやり取りで察した。


 ***

 

 今から数ヶ月前ーー。

 獣人国の王子ヴァルゴは成人した暁に、人間の世界を見て回りたいと思っていた。しかし獣人国の王であるバシレウスはこれを却下した。王族は猫科の種族で、身のこなしや筋力の他に優れた頭脳を持っていた為、長く王権を手にしていた。

 それほど知恵も力も恵まれているバステト一族でさえ、人間こそ危険な種族だと認識して近寄ることさえしない。しかし外の世界への興味が止まることを知らない若き王子ヴァルゴは、父王バシレウスの目を盗んで国を飛び出してしまう。

 王族にしてはわずかな路銀と、通貨が通用しなかった時の備えとして幾つかの宝石類。食料や護身用の武器を持って、最も近い隣国であるミリオンクラウズへ単身赴いた。

 ヴァルゴは人間年齢にして二十歳、獣人族は十歳前後で成人……成獣と見做される。十年抑えてきた好奇心を解放させたヴァルゴは、ミリオンクラウズ国境検問所でやたらと人間達に話しかけていた。

 獣人自体が非常に珍しい為、比較的温厚な人柄で知られるミリオンクラウズの国民達は笑顔で挨拶する。中には見た目以外に人間とどこが違うのか、お互いに質問攻めをして検問所から一向に出て行く気配を見せなかった。

 検問所には宿もあったので、そこで出会った人間達。顔ぶれは変わる変わる、質問しては酒を煽り、意気投合しては酒を飲む。

 そんな人間達との交流を三日程続けて、ヴァルゴはようやく検問所を通ってミリオンクラウズ公国へ足を踏み入れることとなった。

 そのまま栄えている王都へ行くことも出来たが、まず気になったのが密林だった。獣人国は木々生い茂る土地で、自然が豊かすぎるくらいのジャングルだ。

 隣国とはいえ多少距離のあるミリオンクラウズは、乾いた風と砂地が特徴的な土地柄だった。緑もオアシスのある場所にしかないので、なんとも寂しい国だなとヴァルゴは思う。

 そんな中での密林だ。ジャングルをこよなく愛するヴァルゴが行かないわけにはいかなかった。鼻歌混じりに密林へと足を踏み入れる。

 瞬間、危険を察知して素早く後退した。まるで敵からの奇襲攻撃でも受けたかのような身のこなしで、ヴァルゴは誰もいないはずの密林を睨みつける。

 殺気とは違うが、明らかに嫌な予感がしてならなかった。まるで密林そのものが化け物の口の中みたいで、大きく開かれた口へ今にも足を踏み入れようとしてたような感覚に陥る。

 しかし見れば見るほどただの森で、鳥の声や他の生物の存在も感じられた。これは化け物の口の中ではない。

 一歩、恐る恐る足を踏み入れるヴァルゴの耳に、絹のように艶がある滑らかな声が響き渡った。


「それ以上入ってはダメよ!」

「……誰かいるのか?」

「ここは危険だから、引き返してください」


 声はすれど姿は見えず。しかし気配を察知することに長けている種族であるヴァルゴには、まっすぐ……駆ければ数秒の場所に声の主がいることはすぐにわかった。


「俺は獣人国が第一王子ヴァルゴと申す者! 訳あって人を知る為の旅に出ている! 良ければ少し話を聞かせてくれないか!?」


 少しの間があった。やはり馬鹿正直に話すべきではなかったのかもしれないと、少しだけ後悔する。恐らく人間の目からすれば、ヴァルゴの姿は距離からしてはっきりとは見えていないだろう。そんなところに「獣人国の王子」と名乗ってみれば、相手は自分をからかっているのだろうと思ってもおかしくはない。

 仕方がない、とヴァルゴが踵を返した時だった。


「ほんの少しなら、大丈夫なのかもしれないですけど……」


 さっきの艶やかな声が、すぐ後ろで聞こえた。すぐさま振り向くと、そこには銀色の長い髪をした美しい女性が立っている。

 検問所で見た女性と大差ない、恐らく一般的な衣装なのだろう。派手ではないが、みすぼらしくもないと言ったところか。

 怯えるような表情で、恐る恐る近寄る女性を見てヴァルゴは少しショックだった。この姿がきっと彼女には恐ろしいのだろう。だからあんなにも怯えているのだと思うと、検問所で調子に乗っていた自分が恥ずかしくなってくる。

 ここでは自分の方が異質なのだと、なぜ忘れていたのか。

 ヴァルゴは肩を落とすようにがっくりと項垂れて、女性に背を向けた。「怖がらせてすまなかった」と詫びの言葉をかけようとした瞬間、女性が先に声をかけてきた。


「獣人の方、初めて見ました……。すごく愛らしい姿をしているんですね」

「……!?」


 同じ種族の間でも、そんな言葉をかけられたことは一度たりともなかった。親にすら言われたことなどない。凛々しい、逞しい、雄々しいとは言われたことがあっても、愛らしい?

 あまりの衝撃に間抜けな表情になってしまう。すると女性は両手で口元を抑えると、慌てて謝罪してきた。


「あっ、ごめんなさい。男性に向かって愛らしいなんて、失礼でしたね! あの、とても……かっこいいですよ」

「いや、いい。気にしてないから……」


 女性の呑気な振る舞いと言葉遣いに、すっかり調子が狂ってしまったヴァルゴはこの先どうしていいのかわからず尻尾をパタパタと左右に振った。当然これは無意識の反応だ。

 その忙しく振られる尻尾を赤い瞳で追いかけながら、女性はなぜかそれ以上近付く様子が見られない。

 やはりなんだかんだ自分のことが怖いのだろうか、と思うヴァルゴに女性は会釈して自身のことを話し出した。

 

「初めまして、この密林に一人で住んでいます。名前をメランコリンと言います。どうぞメリィと呼んでください、ヴァルゴさん」


 丁寧な挨拶に気を良くしたヴァルゴは、一歩彼女の方へ近付こうとしたが同時にメランコリンがそれを見るなり二歩下がった。

 どうにも噛み合わないなと怪訝に思っていると、その事情をメランコリンは説明する。


「気を悪くさせてごめんなさい。私、ヴァルゴさんとの距離が縮まると……殺してしまうかもしれないので」


 心から申し訳なさそうに、メランコリンがそう言うとヴァルゴは一拍置いて大爆笑する。盛大に笑い飛ばし、お腹が捩れるかと思った程だ。


「あんたが? 俺を? 殺してしまうかもしれない? それは人間の間で流行っているジョークか何かか?」

「いえ、そういうわけでは……」


 一向に距離を縮めようとしないメランコリンに対し、ヴァルゴは挑発的な顔つきで自分の強さをアピールした。


「俺はな、獣人国一とは言わないがこれでも腕っぷしには自信がある! そんな木の枝みたいな手足をしたお嬢さん一人で、俺に何が出来るって言うんだ?」

「信じてもらえないですか……」


 そう言って、メランコリンはゆっくりと、少しずつ距離を縮めて来た。それでも恐る恐る、徐々に、慎重に。ふふんと鼻を鳴らしながら、メランコリンが一体何を仕掛けてくるのかと、全身で警戒した。どんな物音も、動きも、見逃さないし聞き逃さない。

 その自信たっぷりな表情で、ついにメランコリンはヴァルゴのすぐ目の前。手を伸ばせば届く距離にまで近付いていた。


「さぁ、どうやってこの俺を殺……」


 風が吹いた時、ちょうどメランコリンの香りがヴァルゴの過敏な鼻腔をくすぐった瞬間だった。彼女は何もしていない。ヴァルゴに触れてもいなければ、息を吹きかけたわけでもない。ただ風と共に、彼女の香りがヴァルゴに届いただけだった。

 全身が痺れ、激しい頭痛と共にめまいまでしてくる。そのまま膝をついたヴァルゴは、一体何をされたのかと頭を悩ませる。

 またすぐメランコリンは数歩下がり、声の届く範囲にまで距離を離すとヴァルゴに向かって白状した。


「私の名前は毒疫の魔女メランコリン、ごめんなさい……ヴァルゴさん。私の髪も、体液も、匂いさえも……人間にとっては毒になってしまうんです……」


 最後まで聞き取る前に、ヴァルゴは高熱のせいでそのまま意識を失ってしまった。

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