第55話 『ミリオンクラウズ警備隊』

 ニコラの言った通り、マンチェス町からミリオンクラウズ公国までの道のりは何の問題もなく進むことが出来た。

 途中でトラブルに遭うことも、モンスターに遭遇することもなく、比較的平和な旅路であったーーが。

 ルーシーはマンチェス町を出てから、ニコラがずっと無言だったことが気になって仕方がなかった。

 最初こそロマーシカとの間柄に、何かを気取られたのだろうと警戒していたのだが。ルーシーが思っていた以上に、そのことに関してニコラが何も訊ねてこなかったこと。

 それがかえってルーシーの不安をかき立てたのだ。

 不覚にもルーシーはあの時、ロマーシカの名を明かす前に口にしてしまった。当のマルチナ自身はそこまで深く勘ぐったりすることはなかったのだが、勘の鋭いニコラ相手だとそうはいかない。

 きっと何かを……、ニコラなら察していても不思議はないのだ。

 

 ルーシーは自身の生前のことを、ニコラに知られたくなかった。

 それはスノータウンでニコラと過ごしている頃から思っていたことだ。あの頃の自分はひどく惨めで、情けないちっぽけな魔女の端くれだった。

 魔女としての才能を開花させることなく、ただ「動物と会話が出来る」という一点にのみしか発揮されない。

 遠雷の魔女システィーナのように魔力で相手を攻撃することすら出来ない、そんな無力な魔女に等しかった。

 そんな魔女としても人間としても、何もかもが中途半端な人間であったことを知られるのが、恥ずかしかった。

 もしロマーシカとの会話すら聞こえていたとすれば、もうどんなに言い繕っても無駄だろう。

 ルーシーがマルチナの言っていた「イーズデイル家に生まれた魔女」である、という事実を。

 

 しかしルーシーが懸念すべきは、それだけじゃなかった。

 いつかは突き止めようと思っていたこと。

 それはイーズデイル家が、どこに存在していた屋敷であるか。


 生前のルーシーは、イーズデイル邸の敷地内から外に出たことがない。唯一出たとするなら、それはルーシーが火刑に処される時……ただ一度だけだった。

 マルチナの話によると、イーズデイル家があったであろう場所に手紙を送ったら、住所不定ということで返送されたという。

 住所はきっとロマーシカから聞いたのだろう。

 現存していたかどうか不明だが、イーズデイル家が乳母募集の求人を出していた広告に住所を載せていたのかもしれない。

 その広告がマルチナが手紙を出そうとしていた時期まで残っていたのかどうか、それはかなり怪しいところだ。

 しかしここで手掛かりは途絶えてしまった。

 復讐をするには、イーズデイル家の現在地を特定していないといけない。しかし今のルーシーにそれを特定する術がない。

 ニコラと見聞を広める為の旅と聞いて、かなり広範囲に渡って国々を旅するのだから、いつか見覚えのある風景のある場所を通りかかるのかもしれないと、そう安直に考えていた。

 自分の考えが浅すぎたことに今さら気付く。

 ルーシーは実感なかったが、今にして思えばイーズデイル家はそれなりに裕福な暮らしをしていた。

 貴族ともなれば、その地から簡単に転々とするはずがないと思っていたから。

 どれ位の階級の貴族かまではわからない。

 屋敷内の雑用をさせられてはいたが、肝心なイーズデイル一家に必要以上に近付いたことなど一度もなかったせいだろう。

 もし身近な世話をしていたとしたら、身元を特定する何かしらの情報を目にしていたかもしれない。

 しかしイーズデイル一家は徹底的にルーシーから距離を置いた生活をしていた。そのせいで、ルーシーは彼らに関して知ることは何もない。実の両親、実の妹のことなのに、何一つ……ルーシーは知らないのだ。


 心の奥底で、もぞもぞとした不快感があった。

 憎しみとは違う。もっと別の何かが。

 だがルーシーは自分の心の機微より、イーズデイル一家が今どこにいるのか。ニコラがどこまで勘付いているのか。その二点にしか思考が働いていなかった。


 ミリオンクラウズ公国に到着する前に、聞いてみようか。


 ちらりと、ロバを挟んで歩いているニコラの方へ視線を向ける。

 表情に何も変わりはない。とは言っても、ニコラは喜怒哀楽の感情の変化がほとんど見られないので、顔色を窺っても無駄だろうとすぐに視線を戻す。

 それでも「機嫌が悪そう」「意地悪なことを考えていそう」「眠そう」といったことなら、表情から読み取れるのだが……と思っていた時だ。


「おーい!」


 呼び止める声が聞こえて、ルーシー達は歩を止める。

 周囲を見渡すが、前後左右、どこにも人が見当たらない。

 ずっと遠くの方で羊飼いらしき人物が、羊を放牧している姿が見えるが。あれは男性だった。さっき聞こえた声は明らかに女性の声。

 不思議に思っていると、ニコラが空を指差す。

 それを見てすぐに察した。

 そうだ、ここは魔女達が警戒に当たっている地域。

 つまり今の声は、空から……。

 見上げると、声をかけた魔女は急降下するように勢いよく降りてきて、地面ギリギリの高さでふわっと止まる。

 ルーシーの身長の高さで浮いたまま、くるりとホウキを回転させて優雅に着地した。

 黒いとんがり帽子から覗いて見える銀色の髪、白い肌に真っ赤な瞳。格好はおとぎ話の絵本に出てくるような、黒を基調としたローブとマント。

 どこからどう見ても魔女と言わんばかりの格好だった。


「氷結の魔女ニコラ様、ですね」

「そうだが」


 笑顔で問われ、それに淡々と答えるニコラ。

 いつもなら「自分も名乗れば」と意地悪なことを言いそうだったが、彼女がミリオンクラウズの魔女だと知ってるからだろう。

 特に勘繰る様子もなく、ニコラはあっさりしていた。

 魔女は次にルーシーの方へ視線を映し、にっこり微笑む。


「それでは、そちらのお嬢さんがニコラ様のお弟子さん。ルーシー様でお間違いないですね」


 キラキラとした瞳がルーシーの返事を待つ。

 ニコラもじろりとルーシーを見る。

 二人の視線を感じて、やっと返事をした。

 

「は、はいっ! ルーシーです!」


 ぼうっとしているわけじゃないのだが、どうしても他人との会話をニコラ一人に任せてしまう節がある。

 何をさせても鈍臭いと思い込んでいるルーシーは、会話や取引はニコラに任せておけば問題ないという無意識の表れなのだろう。

 これまでも大体はニコラが話を進めて来た。ルーシーの意見を求めてくるのは、ニコラが「どうしたい?」と聞いてくる時だけ。

 だから今回もニコラが「そうだよ」と返事をするものだと思ったが、そうだ……もう自分は五〜六歳の子供の体ではなかった。

 

 ルーシーはバツが悪そうに苦笑いする。

 それでも相手は特に変だと思う様子はなく、話を進めた。


「よかった、取り返しがつかない事態に陥るまでにお二人が訪れてくれて……」


 安堵した表情を見せながらそう話す魔女に対し、ニコラは不審に思ったのか。改めて周囲を見渡し、冷たいままの瞳がさらに鋭さを増した。


「この辺りを彷徨くのはかなり久々でね……。警備に当たる魔女の数が以前よりずっと多いように感じる。……気のせいであって欲しいところだが」


 ニコラの言葉に、ルーシーもまた空を見渡す。

 ここら一体は平坦な道のりが続いており、標高の高い山や塔といったものがない為、空は遮蔽物のない広々とした青が広がっている。

 確かに空を見上げれば、必ず二人以上の魔女が視界に入った。様々な地方、国々、町や村を訪れたが、空を飛び回っていたのは鳥くらいなもの。それがこれまでの普通だった。

 そう考えれば確かに、これだけの数の魔女が空を支配している場面など、ルーシーは見かけたことがない。

 しかしこれは魔女を平等に扱う特殊な国だからこそ、目にすることが出来る光景なのではないだろうか?

 ふとそう思ったルーシーであったが、ニコラの言葉に笑顔が消えた魔女の様子で察することが出来る。

 何か非常事態なことが、ミリオンクラウズで起きているのだということを。


「実はここ数ヶ月、我が国ミリオンクラウズでは……」


 魔女がそう言いかけた瞬間、遙か上空で爆発音が轟いた。

 大気が震えるほどの衝撃が地上にいるルーシー達を襲う。突然の出来事にロバが慌てふためくが、ルーシーが宥めて落ち着かせる。


「あれはロック鳥!?」


 ニコラの声に、ルーシーがロバを撫でながら見上げる。

 そこには巨大な鳥が滞空していた。見たこともない大きな翼を羽ばたかせ、ロック鳥の周囲を警戒しながら複数人の魔女が飛び回っている。

 ロック鳥は魔女達を威嚇しながら、甲高い奇声を発していた。


「この辺りで怪鳥を目にするなんて、珍しい光景だね」


 落ち着いた口調でニコラが感想を述べる。

 魔女達の警戒っぷりから、そんな呑気な状況ではないことは明らかだ。しかしニコラはどこか他人事のように、太陽の日差しを片手で遮りながらロック鳥を観察していた。


「詳しいお話は近くにある詰め所でしようと思っていたのですが。まさかこんな所まで侵入を許してしまうなんて……っ! 警備隊は何をしている!」


 焦燥に駆られながらも予想していたかのような魔女の言葉に、これが突発的なものではないことを語っていた。

 つまり警備をしていた魔女達は、《《これ》》を警戒していたのだろう。

 魔女がロック鳥の死角から、火属性の魔法を交互に当てていく。

 ロック鳥は魔法が飛んできた方向を向くと、次は背後から魔法が当たる。それを繰り返して牽制してはいるようだが、ロック鳥の状態を見るにそれらの魔法でダメージを負っている様子は見られない。


「あんな戦法を繰り返したところで、余計に怒らせるだけだと思うが?」

「それでも我々の中に強い攻撃魔法を扱える魔女は限られていますので……」

「攻撃型の魔女は公王を守っているってことか。だがそんなことをしていても意味がないことくらい、ライザならわかっているだろうに」

「……そのライザ様からの、これが命令なのです」


 魔女の返答にニコラが初めて目を剥いた。

 愚策だと言ったものが聡慧の魔女による命令だと知って、ニコラは珍しく驚愕する。いつも冷静なニコラ、まるでこれから起きることを予見しているかのような落ち着きぶりを見せていたニコラが、初めて動揺しているようだった。


「機を待つのだと、ライザ様はおっしゃられました。それまでの間、不意を突かれないように警戒すべきは公王陛下であると」

「あのライザがそう言ったのかい」

「はい。全員そのお言葉に従って行動しています。幸いにも、あのように我が国を狙って来る魔物はいつもこの辺りで撃退することが出来ています」


 誇らしげにそう話す魔女であったが、ニコラはその言葉にすら疑問を抱いていた。眉をぴくりと動かし、解せないといった口調で聞き返す。


「撃退?」

「はい、撃退しています」

「駆除や退治ではなく、追い払っただけだと取れるけどね」

「そ、そうですが……? 何か問題でも……」

「問題しかないだろう。敵を追い払っただけなら、またすぐ攻めてくるに決まっているだろうが」


 呆れたように息を吐くニコラに、魔女はたじろいだ。

 言葉尻を取られて慌てて言い繕おうとするが、ニコラはそれ以上の弁明を求めようとはしなかった。


「追い討ちしないこともライザの考えあってのことなんだろうさ。だったら、こちらもそのやり方に乗るだけさ。……ルーシー、行けるね?」

「はい、お師様」

「えっ!? あの、それではルーシー様の援護を」

「必要ない。ルーシー一人にやらせておくれ」


 相手はロック鳥、鳥類の魔物の中で最も巨大で強力とされている。

 不死鳥フェニックス、金翅鳥こんじちょうガルーダと並ぶ三大魔鳥としても有名だ。

 地域によってはロック鳥を手懐け、その力強さから運搬・乗り物として扱うこともあるという。

 しかし今目の前にいるロック鳥は、完全に野生であり攻撃的だ。

 顎の力は非常に強く、かなりの強度を誇るダイヤモンドすら噛み砕くとされている。大きな翼で力強く羽ばたけば、その扇風によって空を飛ぶ魔女はすぐさまバランスを崩し飛ばされてしまう。

 狙いを定められれば、いくら攻撃魔法を当てようともその扇風によって防がれるか。強靭な羽根に守られ、その効力は半減する。

 それを理解しているからこそ、少女一人に任せようとするニコラの言葉に魔女は賛同するわけにはいかなかったのだ。


 しかしルーシーはホウキにまたがり、あっという間にロック鳥のいる上空まで飛び去ってしまった。

 仕方がないので、周囲でロック鳥を威嚇していた警備の魔女達に指示を送り、退かせる。当然反論の様子を見せたが、魔女は頑なに後退を命じた。

 ロック鳥は新たに現れたルーシーに気付き、その猛禽類特有の鋭い眼光が完全に少女一人を捉える。

 ルーシーは対話を試みた。


「初めまして。私の名前はルーシー、見ての通りただの魔女よ」

『まさか対話をして来るとは驚いた。しかし、それが無意味なことはわかっていまい? お前はあの国の魔女ではないと見た。そこを退け』


 強気な姿勢だった。

 大抵の動物はルーシーからの問いかけに驚き、興味を抱いたものだ。しかしそれはあくまで、ただの動物に限ったことである。

 ずっと昔、ルーシーはニコラに釘を刺されたことがあった。

 知能の高い魔物、特に神獣や聖獣……魔獣といった類のものはプライドが高い。その為、対話をするだけならまだしも一方的な願いを聞き入れさせようとするものではないと。ましてや命令など以ての外だと。知能もプライドも人間に優っていると思っているものほど、下等な生物からの願いなど聞いてはもらえないことがほとんどだ。

 下手をすれば相手を不快にさせ、そのまま殺されてしまうことだってあるのだ。

 ロック鳥がまさにその類の魔鳥といえよう。


「あなたこそ引いてちょうだい。でなければ、私も強硬手段を取ることになるわ。私は会話の出来る相手を、出来れば傷つけたくない」


 ルーシーの言葉は、ロック鳥の機嫌を損ねた。

 鋭かった目に殺意が込められる。表情すら読み取れそうなほどに、相手の雰囲気が一変した。

 否、と解釈したルーシーは肩の力を抜く。


「そう、残念だわ」


 ルーシーが一言発した瞬間、すぐさま後退したと同時にロック鳥はホバリングしたまま威嚇の声を上げた。

 扇風で吹き飛ばすのは生ぬるい、愚かな魔女には痛みこそ相応しいと判断しての、鉤爪攻撃を選んだようだ。

 ギラリと光る鋭利な鉤爪を構えた瞬間、ルーシーの魔法の方が早かった。


「アイシクル・レイン」


 そう口にした直後、ロック鳥を取り囲むように周囲に氷の刃が発生する。空気中の水分を凝縮させ、一瞬にして氷を生成させたのだ。

 それがまるで大粒の雨のように一斉にロック鳥へと襲いかかる。

 いくら強靭な羽根で守られているとはいえ、これだけの量の氷で攻撃されれば、さすがのロック鳥でさえ怯んでしまう。

 ホバリングすらままならなくなったロック鳥は、数多の氷雨に襲われながら地上へと落下していく。

 そのまま地面に叩きつけられれば、その重量からかなりのダメージを負うことは必至。即死となる。


『グゥ……ッ! 小娘如きが……っ!』


 周囲から歓声が上がる。

 ニコラも腕を組み、良しと首を縦に振った時だ。

 ルーシーは落下するロック鳥を追うように急降下しながら、片手で杖を構えて呪文を発する。


「フロート!」


 地面に届く寸前、ロック鳥の体は宙に浮き留まる。肉体に負担のないよう、ゆっくりと落下スピードを緩めてから浮かせたので地面すれすれの距離でなんとか間に合ったところだ。

 ルーシーはそのまま着地し、ロック鳥の目の前まで近寄る。ルーシーが少し見上げる高さに、ロック鳥の顔があった。


『……恩に着せるつもりか』

「そうじゃないわ。可能な限り、動物も魔物も殺したくないだけよ」


 わずかに微笑むルーシーに、ロック鳥への恐怖心も畏れもない。それを不敬と捉えるか、愚かと捉えるか、ロック鳥はルーシーを値踏みするように見つめた。

 しばし目が合ったまま無言が続くと、ロック鳥は小さく息を吐くと観念したように願い出る。


『わかったから、そろそろ降ろしてくれないか』

「あ、気が付かなくてごめんなさい」


 ロック鳥はほぼ逆さまの状態で宙に浮かんでいた。不恰好に浮いていたせいもあるが、ルーシーの魔法によって強制的に浮かせていたので思うように身動きが取れなかったのだ。

 ルーシーがロック鳥の体勢を整えた状態で、両足が地面についた形で魔法を解除する。

 途端に重力が戻ったように、ずしりと地面を踏み締めるロック鳥。

 巨大な鳥の魔物を前に物怖じしないルーシーであるが、周囲の魔女達はその驚きの光景に目を奪われていた。

 これまで攻撃的だったロック鳥が、少女を前に大人しくしている。

 信じられない光景だとでも言うように、誰もが釘付けになっていた。


 一人の魔女が呟く。


「あの少女がライザ様の言っていた、魔獣を鎮める切り札……」

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