第20話 『制約』
ニコラが気を使ったのか、飲み物を取りにいっている間にルーシーとシスティーナは、空いた席に座るとお互い目配せしては同じような下手な微笑みを浮かべて俯く、という行動を2〜3度繰り返した。
会話が苦手なのはルーシーだけではなくシスティーナも……といったようで、このままでは何も話が始まらないと判断したルーシーは呼吸を整え、なんとか言葉を絞り出す。
「えっと、あの。改めてよろしくお願いします。私の名前はルーシーで、ニコラの元で魔女の修行をさせてもらってます」
「あ、えっと……。ぼ、ぼ、僕の名前は……、システィーナ。よ、よ、よろしく……」
「システィーナさんは、えっと……。ニコラとは仲がいいみたい、ですね?」
「ニ、ニ、ニコラ……が、優しく……して、くれる……から。仲良し……だったら、い、いい……んだけど」
自分自身もそうなのだが、どうにも会話がしづらいと感じるルーシー。もしかしたらルーシーも相手に同じようなもどかしさを感じさせているのだろうかと、少し気が滅入った。
「失礼だったら、その……ごめんなさい。システィーナさんは、他人と話をするのは……、その……ものすごく苦手だったり、しますか? 私がそうなので……。私と同じなのかなって……」
少し間を空けて、ゆっくり考えるように。言葉を選ぶように慎重になるシスティーナ。挙動不審な口調は初めて会った時からだったが、慎重になりながら言葉を選ぶ姿は初めて見る。
これは「会話が苦手だから」という感じではなさそうだった。
「えっと、ね……。な、な、内緒……だよ?」
「え?」
そう囁くとシスティーナは手招きして、耳打ちするように口元を手で隠す。
耳元でこっそり話すんだなと察したルーシーが首を傾げるようにして、耳を貸した。
「魔女には制約があるんだ」
突然、流暢に話すシスティーナがそこにいた。
ルーシーは驚いて目を丸くするが、まだ話は続くようなのでじっとする。
「強い魔法を行使する魔女には制約が課されている。でもそれを他の人間に知られてはいけないんだ。制約は縛りだから、それを破らせれば魔女は強い魔法を行使出来なくなる。だからこれは本当は誰にも言ってはいけない秘密なんだよ。強い魔女はみんなその制約を課している。幽魂の魔女ヴァイオレットも、聡慧の魔女ライザも、そして氷結の魔女ニコラも。だからみんな魔女の中でも特別に強力な力を持っているんだよ」
今、隣に座って話をしている少女がまるで別人のように思えた。
さっきまで途切れ途切れで弱々しく話していたシスティーナとは異なる。これもその制約に関わることなのだろうかとルーシーは考えるが、まだその全容を把握していないので判断しかねた。
「僕が普段まどろっこしい喋り方をするのも、制約が関わっている。でも詳しくは教えられないんだ。ごめんね。今こうやって君に話している間も、僕はその制約を破っていることになる。空飛ぶホウキに乗って帰る程度なら出来るだろうけど、もし誰かに今ここで喧嘩を売られてしまったら為す術もない。僕が行使できる雷すら、ただの静電気程度しか起こせないだろう」
そう話して、耳元でふっと吐息がかかる。システィーナが鼻で笑っていた。
「ニコラには迷惑をかけてしまって、本当に申し訳ないと思ってる。あの二人の魔女、本当なら僕一人で片付けてもよかったんだけど。魔女の夜会で喧嘩を買うとライザに嫌われちゃうからね。それだけは僕、絶対に嫌だから。でも結果的にニコラが悪者扱いされて、本当に悪いと思ってるんだ。だからその罪滅ぼしってわけじゃないけれど、制約を破ってでも君に教えたかった。制約は縛りだ、わかったね? それはいつかニコラが教えることになるだろうけど、君はずっと僕のことを気にしてる様子だったから」
そこまで言われ、急にシスティーナが年齢相応の魔女に思えた。そのせいかルーシーは思わず聞きたかったことを問うてしまう。なりふり構わず、ニコラが戻る前に本音を聞き出したくなった。
「気に触るようなことを聞くかもしれないけど、どうしても教えてほしいことがあるんです」
「なんだい? 遠雷の魔女である僕に聞きたいことっていうのは、8年前の大虐殺の話かな?」
頭の回転の速さも、ルーシーがシスティーナに抱いていた第一印象とは大きく異なっていた。察しがよく、頭もいい。見た目は今もなおダボダボの衣類に身を包んだ小柄な少女だが、その中身はルーシーが思っていた以上に賢しい魔女そのものだった。
「私は人づてにしか聞いてないのでその詳細は知らないんです。ただ……、遠雷の魔女という恐ろしく強力な魔法を扱う魔女が、町ひとつ滅ぼすほどの人間を大量に殺した……ということしか。気軽に聞ける話じゃないことはわかっているので、誰にも詳しく聞くことが出来なくて……」
「あぁ、そうだろうね。誰もが口をつぐむような内容だから、それは当然か。興味津々になって他人に聞かなくて正解だよ。まだ幼いのに、君はとても賢い子だね」
ルーシーの中身は18歳なのだが……、と言ってもシスティーナに説明するつもりはなかった。
大量虐殺の話題になって、システィーナの表情に影が落ちる。やはり嬉々として話せるような内容ではなさそうだ。
「誤解を招きたくないから言っておくけど、あれは人間の方が悪い。そりゃたくさん殺した僕にも罪はある。それは僕だって理解してるつもりだよ。でも反省はしていない。あれは、そう……お互い様だった。僕にも、彼らにも守りたいものがあった。守るための戦いだったんだよ。だから僕は、罪は認めても反省はしない。一生しない」
声のトーンが下がる。まだ心の奥底に憎しみが沈澱しているのかと思うほど、システィーナの高く可愛らしい声はそこになく、喉の奥で鳴らしているような低い声は、ただ深い闇を孕んでいた。
しばしの沈黙、そしてルーシーは踏み込む。これ以上進んではいけないようだったが、どうしても聞きたい。
「反省はしていない、ということは。人間をたくさん殺したことに、後悔はない……ということですか?」
ふっと笑うシスティーナ。
そこには幼さを残していた少女の顔はどこにもなかった。
どこか大人びたような、人生の苦楽を十分に経験してきた年配者のように見える。
「後悔はしてないよ。相手は当然の報いを受けたと、今でもそう思っている」
「そう思わないとやっていけないとか、そういうことではなく?」
「なかなか厳しいことを聞くね。……今でもたまに夢に見る時はあるよ? それでもやっぱり僕の行動は正しいと思ってる。それは多分、これから先もきっと変わらない」
はっきりとした意思で、そう断言するシスティーナ。
何千人という人間を殺したと聞くだけでは、その規模も実感もルーシーにはわからない。しかし当の本人は罪を認めてはいるが、正当な結果だと言い切っている。後悔もないと断言するシスティーナの心情は計り知れなかった。
自分もシスティーナのように割り切ることが出来るのだろうか、という一抹の不安を覚えるルーシー。
「憎かったの? その人たちが……」
「僕の大切なものを傷付ける人が嫌いなだけだよ」
果たして「嫌い」と「憎い」は同一の感情なのだろうか?
ルーシーはとっくに「嫌い」の域を超えている。ルーシーのそれは、はっきりと「憎しみ」だと言えた。
システィーナの気持ちや答えを聞けば迷いは晴れるのかと思っていたが、そうじゃない。ますます悩みは大きくなるばかりだ。
悩んだところで憎しみの炎が消えるわけではないし、復讐をやめようだなんて選択肢も今のルーシーにはない。
家族に復讐することこそが今のルーシーの生き甲斐と言っても過言ではないのだから。
「すっかり仲が良くなってるみたいじゃないか」
ルーシーが思い悩んでいるところへニコラが両手にジュースの入ったグラスを持って戻ってきた。
システィーナはニコラの声と同時にルーシーから離れ、フードの先を両手でぐいっと引っ張って「えへへ」と笑い声を出す。
先ほどまでのシスティーナとはやはり別人のような変わりように、ルーシーは一体どちらのシスティーナが本当のシスティーナなのかわからなくなってくる。
厳密に言えばどちらもシスティーナなのだが、どうにも制約とやらを守っているシスティーナの方が演技くさく見えて仕方がない。
ウキウキするように足をバタつかせながら、ニコラからグラスを受け取り「あ、あ、ありがとう……」と言ってぐびぐび勢いよく飲んでいくシスティーナ。
ルーシーは少し戸惑いつつ、ニコラに悟られないように気をつけながらグラスを受け取った。
「有意義な時間は過ごせたかい?」
「あ、……はい。聞きたいことも聞けて、その……すっきりしました」
「そうかい。ルーシーが満足したんならそれでいいだろう。システィーナもあんまりルーシーを困らせるんじゃないよ」
「う、うん……。気を付ける……から、心配……しない、で」
そう言いながらシスティーナはルーシーに目配せするように顔を向けて、それからにっこりと微笑む。今ではその微笑みもどんな感情で微笑んでいるのやら。
ついさっきまでシスティーナのことが純真無垢でおとなしい、引っ込み思案で内気な少女として認識していたルーシーであったが、普通に対話が出来る年相応の魔女だと知ってからはシスティーナのことがわからなくなってしまった。
そしてルーシーは思い出す。
ニコラに言われた言葉を……。
『魔女を外見で判断するなと言ったが、印象だけで判断するのも気を付けな。本性なんて誰にもわからない。上手く隠しているからこそ、本性なんて見た目からじゃわからないものなんだ』
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