第19話 『一触即発』

 聡慧の魔女ライザとの話も終わり、目的は半分達成……というところで魔女の夜会にすっかり興味を無くしたニコラは、もうそろそろ帰ろうかと促すが。

 初めての夜会で少し気持ちが高揚していたルーシーは、もう少しこの魔女たちの世界を堪能してみたいと感じていた。そう思っているのは確かだが、それでは何をしたいのか、なぜまだここにいたいのか、他にどんな用事があるのかと具体的に問われたらルーシー自身何も思いつかない。

 気持ちがそうさせるだけで、具体的に何か目的があって残りたいというわけでもなかったせいだ。

 しかしルーシーは初めて自分から「ここいたい」と思った。以前までならほとんどなかった感情。必要とされているからここにいる、他に用事がないからここにいる、という程度だった。今までは。

 小間使いとして何か命じられるかもしれないから。細かい気配りを必要とされる為、何かあった時の為にすぐ動けるように、ただそこに存在しているだけだった。今までは。

 そこに自分の気持ちや感情は込められていない。他人から「そうしろ」と言われたから、それに従っているだけだった自分。それが初めて、ルーシー自身が「魔女の夜会をもう少し楽しみたい」と思うようになっていたのだ。

 そこで真っ先に思い付いたのが「遠雷の魔女システィーナ」の存在である。

 実際ルーシーは彼女と話をしてみたかったし、彼女がどういった魔女で、どういった経緯で大事件を起こしたのか。そこにひたすら興味があった。不謹慎だと思われることはわかっていたが、魔女に対して敵意を剥き出しにしている人間にルーシーはさほど感情移入が出来ない。

 可哀想だとか、不幸に見舞われたとか、酷いとか、そういった感情を人間に対して強く抱くことが出来ないのだ。

 なぜそういった思考に至ったのか自分自身で考えた時、真っ先に思ったことは「どうせ殺された人間側が、遠雷の魔女に何か酷いことをしたのだろう」というものだ。

 ルーシー自身も魔女だと蔑まれ、酷い扱いを受けてきた。全ての魔女がそうであるとは思っていないが、当時の自分は「魔女は人間から酷い扱いを受ける不幸な存在」だという認識を持っていた。

 それは今でこそ多少緩和されたかもしれないが、根底にまだその考えは残っている。だからこそ大勢の人間を殺すに至った過程を、システィーナに何があったのか、どんなことをされればそのような事態になるのか。

 いずれルーシーも少数の人間を不幸にする為に動く身だ。その時、復讐を果たした後のことは考えていない。全てルーシーの勝手な想像であるが、システィーナが人間に恨みを抱いて復讐したと仮定する。実際に復讐を果たしたシスティーナは、今何を思っているのか。清々したのだろうか、それとも後悔しているのだろうか。

 彼女の境遇を何も知らないルーシーは、全て自分の中で勝手に妄想する。

 もしかしたら自分とシスティーナには何かしら共通点があるのかもしれない。人間を殺したいほど憎んでいたとしたら、それはきっと自分と同じだろう。復讐目的で人間を殺したとなれば、それもきっと自分と同じだろう。

 ルーシーの現在の頭の中は、遠雷の魔女システィーナに関する興味で支配されていたと言っても過言ではない。だからこそニコラに怪訝な表情をされても、ニコラに不快な思いをさせたかもしれないとしても、ルーシーの今の気持ちは止められなかった。

 そしてルーシーが初めて自分の意思を示したことで、ニコラもきっとそれを汲んでやりたいと思ったのだろう。システィーナと会話することを認め、二人で夜会パーティーが行われている玄関ホールでシスティーナを探した。

 

「や、や、やめて……っ、返して……っ!」


 階段を下りているとシスティーナの泣きそうな声が響いてきた。

 見下ろすとすぐ目の前で二人の魔女が笑いながらシスティーナをからかっている。二人は先ほどニコラが渡していた灰色猫のぬいぐるみでキャッチボールをするように、高く放り投げてはシスティーナの頭の上を何度もぬいぐるみが行き来していた。


「きゃはっ、遠雷の魔女さんこっちだよ〜!」

「ほらほら、大事な猫さんが床に落ちたら大変よ〜!」


 見たこともない魔女だった。

 一人は短髪で、吊り目が特徴的だった。いかにもいじめを楽しんでいますという表情をしている。

 もう一人はふわふわに広がったロングヘアーで、こちらも高飛車な雰囲気を醸し出していた。

 彼女たちを見知っているのか、ニコラは深いため息をつきながらぼそりとつぶやく。


「またか……、あいつらも懲りないね」


 そう言うと幽魂の魔女ヴァイオレットの時のように肩さげカバンから杖を取り出すと、それを今ちょうどぬいぐるみをキャッチしようとしている短髪の魔女がいる所に先端を向けた。

 ほんの少し杖先を軽く上下させたかと思うと、杖の先端から氷のつぶてが複数発射される。それは勢いよく飛んでいき、ぬいぐるみを掴もうとしている指先を掠めていく。危うく手に当たりそうだったところで短髪の魔女は慌てて引っ込め、魔法を放った方角へと視線を走らせた。

 ふわふわ髪の魔女も驚いて階段の方を見上げる。その間に床に落ちる寸前だった猫のぬいぐるみを、楽しく見学していたヴァイオレットがひょいと受け止め、にへらと笑ってシスティーナに手渡した。


「ちょっと! 興醒めだぞ!」

「そうよ! 不快なんですけど!」


 二人はほぼ同時に文句を言った。周囲にいた魔女たちは、我関せずといった風に無視して夜会を楽しんでいるか、もしくはヴァイオレット同様にただ眺めていただけの者。

 何人かは注意をしようとおろおろしているだけで、怖くて間に入れなかったという様子だ。

 そんな中、ヴァイオレットが言わなくてもいいことをぽろっと口に出す。


「私はやめといた方がいいよって言ったんだよ? ちゃんと言ったよ? でもねぇ、魔女同士の諍いは御法度じゃない? 見学してるしかなかったんだよ〜! ちゃんと止めようとしたからね? ニコラちゃん」


 しかしヴァイオレットの言うことは全て嘘のようにしか聞こえないと思っているニコラは、相手にするのも億劫なのか完全に無視している。それでもヴァイオレットは全く気にしていないのか、いつものようにへらへらしているだけだった。


「あ、あ、あり……がとう……! ニコラ……」


 灰色猫のぬいぐるみをしっかりと抱きしめて、ニコラの方へと駆け寄るシスティーナ。つくづくこの少女が何千人という人間を殺した張本人にはとても見えないとルーシーは思う。

 ニコラはシスティーナの背中をぽんと叩いて、それからぎろりと二人の魔女を見下ろした。


「夜会で諍いは御法度だよ」

「それ私が言ったやつ〜!」


 なおもニコラを始め、全ての魔女に無視されてしまうヴァイオレット。


「諍いじゃない! 遊んでただけだろ!」

「そうそう、楽しくキャットキャッチしていただけだわ」


 悪びれた様子もなく、二人は堂々と言い放った。

 ルーシーは直感する。この魔女たちは嫌いだ。


「そういうニコラこそ! 魔女に向けて魔法を放ったら夜会一生出禁だぞ!」

「そうだわ、ニコラこそ夜会の禁を破っていてよ!」


 一人が言い放てば、もう一人も続けて言い放つ。二人一緒につるんでいることがよくわかる光景だ。ニコラもそれはよくわかっているのか、一歩も怯むことなく大人として冷静に対処する。


「憤怒の魔女、そして傲慢の魔女。あんた達の評判はよく知ってるよ。あんた達の功績のおかげで、他のおとなしくて平穏に暮らしたいと思っている魔女が迷惑被っていることもね。人間相手だろうと魔女相手だろうと、不必要に攻撃的な魔法を使うこと。それが魔女の間で良く思われていないことは知っているだろう」

「なんだよ、いきなり出てきて説教か! 気に食わねえ!」

「そうよ、偉そうに何様のつもり?」


 周囲がざわつく。ニコラに対して攻撃的な二人の魔女、こんな時にライザが現れればすぐに治まるところなのだが、残念ながら一向に現れることなくルーシーは動揺する。

 ニコラはいつも強気な態度で、他人に対して腰を低くして接してるところを見たことがない。それはニコラがそれだけスノータウンの住人に信頼されている証拠なのだが、それは村の中での話だ。

 村以外の場所でニコラがどういった立ち位置なのかルーシーは知らない。憤怒の魔女、傲慢の魔女と呼ばれた二人はまだ若い容姿をしているが、その実力が見えない。

 一触即発といったところでパンッと手を叩く高い音が建物内に響いた。手を叩いた人物はライザではなく、魔女の夜会へ向かう最中に出会った劫火の魔女エーテルだった。


「はいはい、そこまで。それ以上やり合うとライザのご機嫌が斜めになっちゃうからさ! そうなるとみんなだって面倒臭いでしょ? 面倒なのはやめようよ。夜会は楽しく、それがモットーの夜会じゃない。ほら、解散!」

「突然しゃしゃって来て何を偉そうにまとめようとしてんだ、おいエーテル!」

「本当ですわよ。自分が一番強いとでも思ってるのかしら!」


 せっかくエーテルがその場を鎮める為に割って入ったが、それがかえって二人の魔女の闘争心に火をつけてしまった様子だ。四人の睨み合いが始まってしまう。その光景がなんとも恐ろしく、ルーシーでは何の役にも立たないことは当然だった。ただただこの睨み合いを横で見ているしかないのかと思うと、ルーシーの心が保たない。

 なぜこんなことになったのか。当人であったシスティーナを見ると、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながらぬいぐるみを強く抱きしめている。

 聡慧の魔女ライザなら……。そう思ったルーシーは、先に部屋を出ていったはずのライザを探そうとする。しかし見晴らしがいいはずの階段の踊り場からもライザの姿は見当たらない。

 玄関ホールにはいないのだろうかと、探すために一歩踏み出した瞬間だった。


「おっと、そこを動くんじゃないチビ!」


 そう叫んだ憤怒の魔女が腰ベルトに備え付けていた杖を取り出し、それをあろうことかルーシーに向けて構えた。どんな魔法を使うのかわからない魔女の杖が自分に向けられている。そう思った瞬間、ルーシーの体は硬直して動けなくなる。

 憤怒の魔女に言われたから動けないわけではない。恐怖で身が竦んでしまったせいだ。

 だが先手を打ったのはニコラの方だった。憤怒の魔女がルーシーに向かって杖の先端を向けた瞬間に、ニコラはすでに魔法を放っていたのだ。気付いた時には憤怒の魔女の持つ杖がすっかり凍り付いてしまっている。


「ニコラ! てめぇ魔女に攻撃魔法を使ったな!」

「それは攻撃魔法なんかじゃないよ、バカだね。ただ杖を凍り付かせただけだ。みっともなく慌てるんじゃない」

「卑怯だわ! 杖を構えただけの相手に魔法を放つなんて!」

「小さな子供に杖を向けた、それだけでお前の罪は確定なんだ。さぁ、どうしてもらいたい?」

「うっ……!」

「ひっ……!」


 憤怒の魔女の杖だけではない。

 その場全てが凍りついたかのようだった。

 踊り場から魔女たちの表情がよく見える。魔女たちの表情は恐怖で凍りつき、青ざめていた。仲のいい者同士では身を寄せ合い震えており、中には恐ろしさのあまり視線を逸らしている者までいる。

 ヴァイオレットは引きつった笑顔のままで、エーテルは蛇に睨まれた蛙のように顔が強張り固まってしまっている。

 みんなは何をそんなに恐れているのか。ニコラが二人の魔女に対して当然のことを言い放っただけなのに?

 そう思ったルーシーだったが、すぐ隣に立っているニコラから冷たい何かを感じ取る。すぐ隣に恐ろしい幽霊が立っているような寒気がした。恐る恐るルーシーは見上げる。そしてニコラの表情を覗き見た。

 口元はきゅっと引き締まっている。ゆっくり視線を上げてニコラの瞳を見てみると、その赤い瞳はひと睨みで人を射殺せそうなほど冷たかった。いつもの強気な目ではなく、怒りに満ち溢れたように鋭く光ってるように見える。

 ぞくりと背筋が寒くなった。その目を見ただけで本当に人を殺せそうなほど、心までもが凍りつきそうな冷たさを放っていたのだ。

 確かのこの目に睨まれれば誰もが足が竦むだろうと納得する。

 そして案の定、二人の魔女はそれ以上何も言わなかった。そのままじりじりと後退りし、今にも腰が抜けて尻餅をつきそうになっている。しかしニコラはそれだけで終わらせるつもりはないようだった。

 もうひと睨みしたのだろう、二人の魔女がもう一度短い悲鳴を上げたと同時にニコラが低い声で謝罪を求めた。


「悪いことをしたら、ごめんなさい、だろう?」

『はっ、……はいっ! ご、ごめんなさい……』2人の小さい声がハモる。


 だがニコラは納得していない。

 杖をふいと上下に揺らし、威嚇するように訂正する。


「そうじゃない。ぬいぐるみをいじめてごめんなさい、システィーナさん……だろう?」

『ぬいぐるみをいじめて、ごめんなさい。……システィーナさん』


 次にニコラは隣で固まっているルーシーを指差し、彼女らに示す。


「杖で脅かしてごめんなさい、ルーシーさん……は?」

『つ、杖で脅かしてごめんなさいっ! ルーシーさん!』


 二人の魔女がそう叫びながら姿勢を直角に曲げて頭を下げる。ニコラは一言「もう失せな」と発すると、慌てるように玄関ホールの扉を開けて出て行ってしまった。

 呆気に取られるルーシーだったが、もう一度ニコラの顔を覗き見ると知ってる鉄面皮に戻っている。


「ご、ごめんね……ニコラ! 僕が……、ど、ど、どんくさい……せい、で」

「お前が気にすることじゃない。あいつらが悪いんだ」


 それより、とニコラは促す。システィーナと話したいんだろうと背中を押すが、今はとてもそんな気分に早変わりできない。システィーナはひたすら謝罪を繰り返すばかりで話にならない、ルーシーも先ほどの衝撃がまだ残っているせいか、とても世間話が出来そうな気持ちになれなかった。


「私がいると落ち着いて話ができないかい? 飲み物を取ってくるから、ほら。あそこにあるソファに座って待ってな。その間に話したいことがあったら話すといい」


 まるで自分が邪魔者だとでもいうような口調で、ニコラはさっさと飲み物を取りに歩いて行ってしまう。

 残されたルーシーとシスティーナは互いに目を合わせ、ぎこちなくニコッと笑う。

 そのぎこちなさも、まるで双子のようによく似ていた。


 システィーナがどんな境遇だったのかわからないが、もしかしたらこういった仕草ひとつひとつが自分に似ているせいで共感めいたものを感じているのかもしれない、とルーシーは思う。

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