第14話 『空飛ぶホウキ』

 ルーシーがニコラの家で目覚めてから半年以上が経過した。

 魔女の弟子として修行を始め、スノータウンの人々と交流し、修行の旅へ出るまであとひと月……。

 ルーシーはすっかり村の住人と打ち解けてきたようだった。それでも最初の数ヶ月は大人に話しかけられる度にびくびくしていたものだ。

 氷の花の事件があって以来、子供たちとは想像していたより早く仲良くなったように思える。

 恐らくルーシーにとって大人よりも子供の方が心を開きやすかったのだろう。子供たちは遠慮なくルーシーに話しかけ、一緒に遊んだり勉強したりすることを誘ってくれたりしていた。

 勉強会という名目で子供たちと接する機会が多かったからかもしれない。しかし一番の理由はやはり生前での記憶にあった。

 年頃の年齢相手になると途端に萎縮し、言葉もしどろもどろとなり、「はい」か「いいえ」しか口にすることが出来なくなってしまう。

 後遺症ともいうべきか、どうしても心の傷が深すぎるルーシーにとって大人とのコミュニケーションはなかなか上手くはいかなかったようだ。

 ルーシー自身も、あの時と今とでは全く状況が異なることはわかっていた。

 しかし思考より心に深く刻み込まれた本能が、ルーシーに警戒心を与えてしまう。


 こんなことを言ったら嫌われるかもしれない。

 こんな態度を取ったら不快にさせるかもしれない。

 こんな行動をしたら迷惑かもしれない。


 思ったことをなんでも口にして、表情を隠すこともない子供たちならば平気であったが、相手が大人になった途端にその表情からどんなことを思われているのか。

 もしかしたら……という考えがどうしても頭をよぎってしまうのだ。

 だからこそルーシーはトラウマを克服する為に半年以上も時間を費やすこととなった。

 それでも完全に克服できたわけではなかったが、最初の頃に比べれば短い会話なら出来るようになっている。

 ルーシーにとってこれは大きなことだった。

 長年に渡って辛い目に遭ってきて、最後には同じ人間たちの手で殺されたルーシーが、人間相手にまともに会話することが出来るようになる。

 これが1年以内に出来るようになったことは、とても大きな成果であった。


 ルーシーにとって、ニコラだけは別格だった。

 ルーシーを生き返らせてくれた恩人であり、師匠であることもその理由のひとつだったが、それ以上にルーシーにとってニコラはかけがえのない存在になろうとしていた。

 ぶっきらぼうで、いつも無愛想な鉄面皮、口にする言葉は厳しくそっけないものも多いが、その奥に見え隠れする優しさにルーシーは安心感を覚えていた。

 もし自分に優しい母親がいたとしたら、ニコラのような女性が望ましい、そう思えるほどに。

 村人たち、特に子供たちはニコラのことを「怖い魔女」だと茶化すことがある。

 しかしそれは親しみからそう呼ぶだけであって、本当に恐怖しているわけではない。

 初対面であれば「怖い魔女」として映るかもしれないが、ニコラは元々そういった女性だという認識があるから、誰もがつっけんどんな物言いをするニコラに対してとても好意的だった。

 もっと怖い経験をしたことがあるルーシーにとって、本当に怖い人間がどんな表情で、どんな口調で、どんな言葉で自分を傷付けてくるのかをルーシーは知っている。

 ニコラがどんなに怒った表情をしていようと、どんなにキツイ口調になっても、どんなに厳しい言葉を放っても、そこにはどこかしら優しさを感じられた。

 ニコラがルーシーを傷付けようとしていないことがわかっているから。

 そんな彼女の態度を言葉に表すとしたら、一体何ていうのだろう。

 ルーシーはそれに当てはまる言葉がなかなか思い当たらなかった。


 ニコラとの生活、魔女の修行はほぼ単調に近かった。

 毎日ほとんどが同じことの繰り返しだ。それでもルーシーの修行の成果によって、修行内容はどんどんステップアップしていく。

 ルーシーの成長に合わせつつ、なおかつ旅立ちに間に合うように、ニコラは段取りを組んで教えていった。

 ようやく栽培している植物の名前、外見、生息地などを頭に入れることが出来たルーシーは、ニコラと共に採集に出かけては学習していく。

 休憩時間にはようやく文字を読めるようになったので、1人で読書をして過ごしたりもした。

 少しでも多く、少しでも早く、魔女として成長する為に。


 魔女の夜会は皆、空飛ぶホウキに乗って参加するらしい。

 そう聞いた時ルーシーはてっきり「ホウキに乗ったまま、空で夜会をするのか」と勘違いしたものだ。

 空飛ぶホウキに乗って行かないとたどり着けない場所、つまり断崖絶壁の山頂に夜会をする場所が設けられるということだった。

 なぜそんな危険な場所で夜会を行うのか。理由は単純だった。


 人間という邪魔者が来ないようにする為、である。  


 魔女は皆、複雑な事情を抱えている。

 人間と共に親しまれて生きてきた者、そして人間に迫害されて生きてきた者、その両者が集うお茶会だ。

 そんな場所に人間が迷い込んでしまえば、人間に恨みを抱く魔女によって攻撃されても不思議ではない。そして魔女の間では、人間に憎しみを抱くことを禁止しているわけではなかった。

 つまり互いの事情に干渉しない、というのが魔女の間での暗黙の了解である。


「例えば人間に好意を抱いてる魔女を、人間を憎んでいる魔女が攻撃でもしてみな。魔女の間で不毛な戦争が起きてしまう。それも大規模な、ね。ただでさえ魔女の数は人間ほど多くはない。それに魔女によっては大精霊と契約している者、ドラゴンといった魔生物や魔獣と契約している者がいるんだ。そんな奴らがぶつかってごらん。ただでは済まないのが目に見えてわかるだろう? だから暗黙の了解としたんだ。人間に対する感情を夜会には持ち込まないってね」


 確かに魔女同士が争ったらそれはとても恐ろしい大惨事となるだろう。

 ルーシーはぞっとした。

 かつて遠雷の魔女と呼ばれる魔女が、人間を大量虐殺したという話を聞いた時に1人の魔女がそれだけのことをやって退けたという、それだけで国中が大騒ぎしたものだ。

 それによって人間たちの間ではより一層魔女に対する偏見が強まり、魔女狩りが盛んに行なわれたという噂も流れた。世情に明るくないルーシーは使用人たちの噂話でしか耳にしたことがないので、実際はどういう状況になっていたのか知る由もなかったが。


「あの、お師様……。もしかしてその夜会には……、遠雷の魔女も……?」


 そう問われ、ニコラの顔から感情が消え去った。無に近い表情とでもいうのか、喜怒哀楽が感じられない。心の内が全く読めない表情だ。そして抑揚のない声で返事をする。


「まぁ、そうだね。私も夜会に毎回参加しているわけじゃないが、大体来ているそうだよ」


 心臓が高鳴った。

 これはどういう感情から来る高鳴りだろう、とルーシーは思う。

 確かに遠雷の魔女には思うところがあった。この魔女が大事件を起こしたことによって、ルーシーはイーズデイル家の人間全員から孤立することになったからだ。

 いわばルーシーが孤独になるきっかけを作った張本人ということになる。

 憎しみ?

 怒り?

 どの感情も少し違う気がした。

 言ってみれば、そう。一体どんな理由で人間をたくさん殺したのだろうか、という興味だったかもしれない。

 そこに興味を抱く自分が恐ろしくもあったが、ルーシー自身も殺したいほど憎んでいる相手がいる。

 遠雷の魔女も、ルーシーと同じなのだろうかと思った。

 しかし噂話で聞いた遠雷の魔女のイメージは、ルーシーのような哀れで惨めな感じに思えない。あくまでルーシーの想像であったが、ルーシーが思い描く遠雷の魔女のイメージは天才的な魔法の才能を持った、知的で、しかし残虐で、快楽だけで人間を殺せそうな、そんな恐ろしい姿をしていた。

 外見は儚げだがとても美しく、老若男女全てを魅了する容貌で、すらりとした背筋は知的さを窺わせ、その氷のように美しく冷たい物腰、表情を崩すことなく笑顔で人を攻撃する凶暴さを秘めている。

 それがルーシーのイメージする遠雷の魔女の姿だ。


 もしかしたらその魔女の夜会に参加することが出来れば、遠雷の魔女に会うことになるかもしれない。

 その時ルーシーは何を思うだろう?

 一体何をしてくれたんだと、怒り狂うだろうか?

 興味本位で近付いて、世間話でもするかのように人間を虐殺した時の話を聞こうとせがむのだろうか?

 想像だけではわからなかった。

 ルーシー自身が遠雷の魔女に対して、どんな感情を抱いているのか。

 しかし本人に会う為にはまず空飛ぶホウキに乗って、空高く遠くまで操れるようにならなければいけなかった。


 ルーシーにもうひとつ理由が出来た。

 魔女の弟子として目指す目標。


 自分を苦しめ、死に至らしめたイーズデイル一家に復讐すること。

 聡慧の魔女に会って、ルーシーの特性を教えてもらうこと。

 そして遠雷の魔女に会って話を聞くこと。


 より修行に力が入った。

 ニコラが驚くほどに、目標を定めたルーシーは疲労も睡眠欲も物ともせず、修行に身を費やした。

 その執念に疑念を抱かれたかもしれない。

 なぜそんなに必死になるのかと、その必死すぎる姿に疑問を抱かずにはいられないだろう。

 問われても答えられない。

 本来の目的が復讐であることは、ニコラにだけは絶対に。

 破門されることが怖いのではない。

 ニコラに嫌われることが、何より怖かったからだ。

 それでも復讐を諦めることはない。ニコラに隠しながらきっと完遂してみせる。そう誓う。


 ブラッドムーンまであと10日といったところで、ルーシーはようやくスノータウン上空を1人で安定して飛べるようになっていた。

 そうなるまで相当な紆余曲折があったことは、今思い出しても背筋が凍りそうなほどだ。

 初めのうちはホウキにまたがるだけで、どんなに頑張ろうとちっとも浮かび上がったりはしなかった。

 集中しろと言われても、もちろんルーシーは集中しているつもりだ。

 ホウキに乗って浮かぶイメージをしろと言われても、もちろん頭の中でイメージしているつもりだった。

 それでもただまたがるだけの日々が続く中で、突然ニコラに言われた言葉は「2階から飛び降りろ」だ。正気じゃないと思ったが、ニコラの目は至って真面目で真剣そのものだった。


「お師様、怪我します」

「ホウキで飛べなかったら、そりゃ怪我するだろうね」

「まだ少しも浮かんだ試しがないのですが」

「だから荒療治に出たんだろう」

「スパルタが過ぎませんか」

「だったら一本杉のてっぺんから飛び降りてみるかい?」

「死にますが?」

「死に物狂いの約束だろう? 果たせそうで何よりだね」


 無駄だった。

 ニコラに口で勝てるなど思っていないが、抗議したところで無駄だということが証明されただけである。

 ルーシーは階段を1段1段上る度にため息をつく。自分の部屋の窓から身を乗り出し、屋根の上に上がるとその高さは一層恐怖心を煽ってくるようだ。

 なぜ飛び上がる練習をしているのに、飛び降りなければいけないんだろう?

 そんな疑問を抱きつつ、何を言っても無駄なこの状況でルーシーが最も頭を使わなければいけないことは「どうやってホウキで浮かべばいいか」であった。

 ニコラのアドバイスに従っても何も起きない。自分にはホウキで空を飛ぶ才能がないのではないかと疑う。

 しかしここまで来たら「飛べませんでした」では済まない。

 それに魔女の夜会に参加する為にはどうしてもホウキに乗って空を飛ぶ必要がある。

 これまで必死で乗り越えてきたものが、たかがホウキ1本の為に台無しにするわけにはいかなかった。

 ルーシーは深呼吸をひとつ、ふたつ。

 集中してもダメだった。イメージしても今ひとつ。ならば後はどうしたらいいか?


「落ちたら痛い、じゃ済まないわよね。お師様は本気みたいだし。飛ぶしかないのはわかってるけど、飛び方がわからない……。一か八かに賭けてもいいの?」


 緊張が走る。

 これで飛べなかったらきっと大怪我をして、しばらく魔女の修行に影響が出ることだろう。それこそ座学しかすることがなくなってしまう。魔女の夜会はもうすぐそこだ。聡慧の魔女に会って自分がどんな特性を持っているのか教えてもらいたい。遠雷の魔女に会ってなぜ人間を殺すに至ったのか話を聞きたい。

 ルーシーには前に進むしか道は残されていないのだ。

 そう思った瞬間に、一歩、足を踏み出した。

 ホウキにまたがったまま、ホウキの柄を持つ手に力を込める。飛べ、飛べ、と心の中で叫んだ。

 宙を舞う体、胃がひっくり返るような奇妙な感覚がルーシーを襲う。時間にして数秒だったはずなのに、ゆっくりと時間をかけて落ちて行くような感覚だった。そう、「落ちていく」……。両目を閉じる。目の前に地面があったからだ。痛いだろうな、打撲で済むだろうか、骨折したらどうしよう、打ちどころが悪くて死んでしまうかも?

 頭の奥に電気が走ったようにピリピリと痺れるような感覚がした。

 奥歯を噛み締めるように、これから襲ってくる激痛に耐える為に歯を食いしばる。

 しかしいつまで経っても痛みはやって来なかった。ぐしゃりという鈍い音もしない。地面にぶつかる衝撃もない。

 まだ落ちている最中なのだろうかと片目をゆっくり開けると、やはり目の前には地面に降り積もった真っ白い雪があった。ギリギリ、ほんの小指の長さ程度の距離に地面が見える。


「もう少しで顔面から突っ込むところだったね。合格だ」


 ホウキにまたがってはいたが、体勢はホウキにぶら下がるように、地面ギリギリで浮かんでいた。もう少し浮かぶのが遅ければ頭から雪に突っ込んでいたところだろう。


「……カッコ悪いです」


 それでも合格は合格だった。

 あとは「ちゃんとした姿勢で飛ぶことを覚える」ところからスタートらしい。

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