第7話 『魔女の修行について』

 ニコラもお風呂から上がり、白い肌が上気して頬が染まっていた。こうして見ているともう少し若く見えるようだ。村長の話ではかなり昔からここにいるようだが、一体何歳なんだろうと思ってしまう。

 女性に、しかも魔女に年齢を訊ねることはとても失礼に思えて聞く気になれないルーシーであったが、そう考えてみると以前この家に滞在していた幽魂の魔女ヴァイオレットの件が思い出される。

 彼女もニコラと同じ魔女であり、その外見はどう見ても成人しているようには見えなかった。本人は17歳と言い張っていたが、ニコラの話によると300歳以上だという。そういった情報から魔女に対して外見で窺える年齢は当てにならないのではないのかという結論に達してしまう。

 つまり『年齢には触れない』、これが最適解なのだろう。


 そんなことを思いながらルーシーが若々しいニコラを眺めていると、怪訝な表情をしつつもよほど空腹なのか珍しく食事を急かすニコラ。そしてお互い向かい合うように席につく。

 黙食、かと思っていたが意外にもニコラから話題を振ってきた。話題と言ってもとても大切な話だ。


「これから先、お前に魔女としての修行をしてもらうわけだが。一通りどんなことをしていくのか、今の内に話しておこうと思ってね。お前もいつ始めるのか、何をするのか気になるところだろう」


 そう言われ、やっと魔女の弟子としての実感が湧いてくる。食事をしながら、ゆっくりと、順序立てて説明を始めた。


「村の集会所でも言ったが、私たちがこの家に滞在しながら修行する期間は1年だ。その間にルーシーには集会所で説明したこと以外に、魔女としての基礎を固めてもらう。魔女といえばお前も知っているだろう、植物に関する知識だ。うちの本棚にある植物図鑑もそうだが、この辺一帯にある植物の種類を全て記憶すること。そして採取の仕方。採取すると一言で言われたら、その辺に生えてる雑草をむしり取るイメージだろうが、中には断崖絶壁にしか生えない植物も存在する。そういった採取場所に関する知識も採取方法に含まれる。ここまではいいかい」


 魔女の修行その1、『植物に関する知識』と来てニコラが淡々と説明して言ったが、植物図鑑という単語が出てきた瞬間ルーシーの脳内に真っ先に思い浮かんだことがあった。

 ルーシーはまともな教育を受けてこなかったので、いくら前世での記憶がある18歳の中身だったとしても、文字の読み書きが一切出来ないのだ。つまり外見が5歳の少女ではあるが、もしかしたら世間一般の5歳と比較すると学習面では遥かに劣るのかもしれない。自分は5歳以下、そう思うと泣けてくると同時に不安が増す。


(お師様? 私、読み書きが一切出来ませんって最初に言いましたよね? 覚えていますか?)

 

 そんなルーシーの不安で一杯の表情に、ニコラは言葉を付け加える。


「集会所で村の子供たちと勉強するって話をしただろ。文字の読み書きはそこで覚えるんだ。当然ちんたら勉強するんじゃなく、他の誰よりも努力して学習面で1番を取る程度は目指してもらうからね」

「はいいい! 一生懸命頑張ります!」


 ニコラの勢いに思わずルーシーまで力強く返事をしてしまう。きっと恐怖もあったのだと思う。ここで自信のない返事をしていたらきっとニコラの怒声が上がっていたことだろう。


「植物の種類は膨大だ。それら全てを1年間で記憶しろとはさすがに言わない。ただ少なくともスノータウン周辺に生息している植物に関する知識だけは完璧に覚えてもらうからね。まぁこの辺りはほとんどが雪で覆われているから、生息する植物の種類も他に比べて少ない方さ」

(……それなら、なんとかなりそうかな)

「ざっと100種類程度だったか」

「ひっ」


 思わず短い悲鳴を上げながらルーシーは、口に含んでいたクリームシチューが鼻の方へ吸い込まれそうになり、ゲホゲホとむせてしまったので慌てて口元を手で押さえる。


「植物と言っても地面に生えている草花だけじゃない。木も葉をつけるだろう。花も咲く。それらも立派な材料になるんだよ。薬にもなれば毒にもなる。染料にもなる。そういったものの知識で魔女は食べていってる。生きるには必要な知識なんだ」


 魔女があらゆる知識に長けた存在、と呼ばれる理由がわかった気がした。専門の仕事をしている人間ならともかく一般人がそういった知識を全て知り尽くしているとは思えない。

 しかし魔女は生きていく為に必要な当然の知識としているのだ。これまで教育の場を与えられなかったルーシーが、勉強というものをしたことがない自分が本当にそんな難しいことを覚えられるのだろうか不安になる。

 魔女の弟子になるか問われた時、相当に過酷であることは聞かされていた。それを承知で弟子となったのだからやるしかない。ルーシーは、やるしかないのだ。


「植物の種類、見た目と名前の暗記。採取方法を覚えたら次は調合方法だ。ここでは従来あるものから、私独自に開発したものまでを覚えてもらおう。新たに開発しようだなんて今は思わなくていい。研究や実験は時間がかかり過ぎる。それはお前の興味と自由時間次第で好きにするがいいさ。スノータウンに滞在している1年の間にここまでを習得」


 新たに開発、と聞いてまず思い浮かんだものは毒だった。毒薬なら簡単に人を苦しめることが出来るだろう。邪悪な思想だというのはわかっているが、ルーシーの本来の目的は復讐なのだ。どうしても思考がそちらへ傾いてしまう。

 そこまで考えて、ルーシーは最も大事なことを聞いていなかったことを思い出す。


「すみません、お師様。ちょっといいですか」

「ん? なんだい。じゃがいもが固かったのかい?」

「あ、いえ……そうじゃなくて。私がルーシーとして最後に死んでから、この体で生き返るまでの間にどれほどの時間が経過したのかを、聞きたくて……」


 復讐するには相手が必要だ。ルーシー・イーズデイルが火刑に処されてから、5歳の少女として転生するまでの間に一体どれほどの月日が経ったのか、それを知らなければならなかった。

 今まで色々なことが矢継ぎ早に起きたせいで、つい聞きそびれていた。しかしそれがどれだけ重要なことか、忘れていた自分が愚かすぎる。

 もし50年経過していたら? 

 両親が生きているかどうか怪しいところだ。

 もし100年経過していたら? 

 両親どころかソフィアもきっと寿命を迎えていることだろう。

 そう考えるとゾッとした。それでは前世の記憶を覚えていたところで、復讐する相手がすでにこの世を去った後だというなら一体自分は何の為に生まれ変わったのか。魔女の弟子になった意味すらなくなってしまう。

 今も心の奥底に煮えたぎるような怒りと苦しみが残っている。瞳を閉じれば悲惨だった過去が昨日のように思い出される。辛い記憶を持って転生して、一体何が楽しいのか。

 復讐という目的を果たせないのならば、こんな記憶など全て無くなってしまった方がいいに決まっている。

 鮮明に覚えているということは、それは復讐する為にあるということだ。復讐がルーシーの生きる糧なのだ。


 時間の経過に関して問われたニコラは、口に運ぶスプーンの手が止まった。


「そうだね、例えば……お前の生まれた年は?」

「……あの、わかりません」

「親から自分の誕生日を聞いてないのかい?」

「……はい」


 ズキリと心が痛んだ。両親が自分に無関心だったことは今さらのことなので、両親から自分がどう扱われていたかなどどうでも良かったが、それをニコラに知られるのが何より辛かった。出来れば生前の自分の惨めな人生をニコラにだけは知られたくなかったのだ。


「他に何か手がかりはないのかい? 例えば自分が生きていた頃、何か大きな出来事は? 戦争があったとか、大災害に見舞われた地域があったとか」


 そう聞かれ、ルーシーは思わず『あっ!』と大きな声を上げた。


「そういえば、遠雷の魔女と呼ばれている魔女が。たくさんの人間を殺したとかで大騒ぎになっていたのを覚えています。それは私が住んでいた地域の話ではないのですが、遠い場所でそういった大事件があったという知らせが。それで私の周囲の人たちが――」


 より一層自分を恐れ、離れていった。最後まで話す勇気がルーシーにはなかった。

 だがニコラは『遠雷の魔女』という言葉を聞いて、ピクリと眉が動いて反応したことをルーシーは見逃さなかった。一瞬だけニコラの表情が変わった気がする。嫌なことを見聞きした時のような表情だ。


「遠雷の魔女による大量虐殺の記録だね。覚えているよ。あれは確か10年……いや、8年ほど前の事件か。ルーシー、お前が目覚めた時に確か自分は18歳だと言ってたね。つまりお前が死んでからそれほど年月は経過していないようだ。恐らくヴァイオレットがお前の魂を捕獲したのは、お前が死んだ直後になるだろう。ヴァイオレットが自由に捕獲出来る魂は死んだ魂だけだったと聞く。生きた人間の魂を捕獲するには、その人間に触れていなければ不可能だと言っていたはずだから」

「つまり私が死んで生まれ変わるまで、1年も経過していないっていうことですね。……ありがとうございます」


 ホッとした。それならきっと両親もソフィアも健在のはずだ。自分が今こうしてニコラと共に過ごしている間も、ルーシーの復讐相手は笑顔で楽しく今を生きている。それを想像するだけではらわたが煮えくり返りそうになった。

 ひきつるような笑顔になっているルーシーを見て、ニコラは怪訝になり訊ねる。


「それがどうかしたのかい? 誰か会いたい人間でも?」

「……はい、とても会いたい人たちが今も生きているとわかって安心したんです」


 懸命に笑顔を取り繕ったはずだが、上手く笑えていたかどうか自信がなかった。でも安心したのは本当だ。何も嘘は言っていない。会いたい人たちがいることも、今も生きていると知って安心したことも、全て真実なのだから。


「話の腰を折ってすみませんでした。魔女の修行の話でしたよね。続きをお願いします」

 

 ニコラはルーシーの表情を窺っている様子だったが、ルーシーは美味しく食事をいただくことで心の奥底に潜んでいる闇を包み隠そうとした。納得したのかしないのか、ニコラは言葉を続ける。


「まぁ、植物に関する知識を得ること。そしてさっきも言ったように植物によっては採取場所が断崖絶壁にあったりするから、移動手段も含めホウキで空を飛ぶ練習もしてもらおう。これは隙間時間でいいよ。旅に出ると言ってもいきなり空を飛んで行くわけじゃない。荷物も多いから旅は馬車移動。ホウキで移動するのは必要最低限の時だけになるから、そこは旅に出てから練習しても構わないさ」

「空飛ぶホウキ……」


 いよいよ魔女らしい修行が出てきたと思ってワクワクした。魔女といえば夜空の満月を背にしてホウキにまたがり駆け回る光景が想像された。絵本の表紙によく使われる構図でもある。そもそも『空を飛ぶ』こと自体、普通の人間に出来ることではない。魔女だからこそ、の代表格だ。 


「それから植物の知識以上に最も重要となるのが、魔法だ。この村で細々と暮らすだけなら急ぐ必要もないが、1年後に各地を回る旅に出るとなると自分の身を守る為の『相手を攻撃する魔法』を習得する必要が出てくる」

「攻撃魔法、ですか」

「そう、ここスノータウンがある地域では魔女に対して敵意のある人間はほとんどいないが、私たちに危害を加える相手は人間だけとは限らない。獰猛な生物……魔物がその最たる例だね。魔物はそこらの動物とはわけが違う。自分たちの縄張りに足を踏み入れた人間を容赦なく襲ってくる。そういった奴らの縄張りを全て把握することは難しいからね。危害を加えられそうになった時に役立つのが攻撃魔法なのさ。威嚇だけのもの、殺傷能力の高いもの、色々ある。お前はまだ小さいから魔力の消費が比較的低い魔法から始めようと思う」


 攻撃魔法……、それで相手を仕留めるというのも魔女らしくて悪くはない。

 そんな恐ろしいことを考えるようになった自分に気付く。自分はこんなにも物騒な思考が平気で出来る人間だったのかと思った。しかしそれはちゃんと相手が限られている。決して誰にでもする想像ではない。ルーシーが傷付けたい人間はごく一部の人間なのだと自分に言い聞かせた。


「そうだね、魔力の消費が少なくて命中率が低くても効果が出せる魔法……。氷柱を発生させる魔法『アイシクル』にでもしようか。これなら目の前の地面に氷柱を発生させて、敵の行動を多少は制限させることが出来る。それで全ての危険を回避出来るわけじゃないが、手始めとしてはこれが無難だろう」

「お師様、私は自分に魔女の素質があるという自覚がありません。確かに動物と会話をする力があるのはわかりましたが、それでも私に魔法が使えるという気がしないのです」

「お前は生前でも魔女の外見を持って生まれてきたんだろう? それが何よりの証拠なんだよ。どういう理屈なのか私にもわからないが、親の遺伝子情報を無視して生まれてくる外見の特徴。銀髪に赤い目、それが魔女の才能を持った証となる。能力の差は確かにあるが、魔法が全く使えないなんてことはないんだよ。魔女はみんな何かしらの特性を持って生まれてくるからね。それにお前には氷の魔法を行使する能力が多少はある。ヴァイオレットに魂を捕獲させる際、私と性質が酷似している魂を選別させたからね。だから簡単な氷の魔法ならお前でも使うことが出来るだろうさ」

「そういうものなんでしょうか……」


 まだ半信半疑というルーシーの反応に、ニコラはさらに付け加える。恐らくこの旅で最も重要な、旅の本来の目的と言ってもいい内容だった。


「これは村長にすら話さなかったことだが、今言ったように魔女にはそれぞれ特性がある。この私、氷結の魔女の場合は氷を自在に操り、作り出すことが出来る特性を持っている。幽魂の魔女ヴァイオレットは魂をその目で視る能力、そして捕まえる能力、肉体に移し入れるという特性だ。ヴァイオレットの特性に関して詳しくは知らないが、そんなところだろう。魔女は誰もが自分の特性を明かしたりしないからね」

「それじゃあ私の特性は……」

「恐らくだが、動物と会話をすることが出来る特性かと思われるが。それはあくまで特性の一端なのかもしれない。だからルーシー、お前の特性を知る為に今回長い旅に出ることにしたんだよ」


 そこまで言ってニコラは立ち上がる。見るとお互い話している間に食事はとっくに終わっていたのだ。食器を片付け始めたニコラに、ルーシーも自分の分のお皿を流し台まで持って行く。

 食後の一杯をする為か、それともまだ話が長くなるから用意しているだけなのか。ニコラはケトルに水を入れると湯を沸かし始めた。沸かしている間に食器を洗い、ルーシーはテーブルの上を片付けて拭き掃除をする。


 後片付けも終わってケトルの湯も湧いたところでニコラはホットコーヒー、そしてルーシーはホットココアを淹れてもらい、話の続きをすることにした。

 お互い熱々の飲み物を一口すすり、それから一息ついてからニコラが口を開く。


「さっきも言ったが魔女の特性は、その魔女が使う魔法の種類のこと。私なら氷の魔法。ヴァイオレットなら魂を自在に操る魔法。そして遠雷の魔女は雷の魔法……といった具合にね。それぞれ使う魔法の特徴があるんだよ。魔女だからって色んな魔法を使えるわけじゃない。共通しているのは植物や人体構造の知識、ホウキで空を飛ぶこと、使い魔と意思疎通が出来ること、それくらいかね」

「私の特性を知る為、というのは。旅をしている間にだんだんわかってくる、ということなんでしょうか?」


 ルーシー・イーズデイルは魔女としての才能が覚醒しない為に、教育の場を奪われ、入れ知恵することも禁じられていた。よって18年間生きてきたが、魔女の才能が開花することがなければ自分がどういった魔法を行使出来るのか、それを知る機会など一度もなかったのだ。

 しかし今回は氷結の魔女ニコラという本物の魔女がそばにいる。

 彼女と暮らすことで、知識を与えてもらうことで、その特性に気付く機会が与えられることになる。生前とは違い、思う存分自分を知る為の教えを乞うことが出来るのだ。自分でも知らなかったことが、今なら知ることが出来るということになる。


「旅の間にゆっくり見つけて行こうとしているわけじゃない。何かしらきっかけを得て特性を知ることが出来る……ということもあるだろうが、お前の場合は未知な部分が多い。もしかしたら動物とただ会話することしか出来ないかもしれないし、それ以上のことが出来るのかもしれない。しかしそれを知る為に、いつまでもたらたらと旅を続けるわけにもいかない。私にも制限時間があるからね。手っ取り早く魔女の特性を知る方法があるのさ」


 そう言ってニコラは初めて得意満面な笑みを浮かべる。誇らしげな彼女の表情を見るのはこれが初めてだった。

 ニコラは人差し指を立てて、ゆっくりとその名を口にする。1度聞いたら2度と忘れることは許さない、とでも言うように。


「聡慧の魔女ライザ」

「そうけいの魔女……、ライザ?」


 オウム返しのように訊ねるとニコラはこくりと小さく頷き、また一口コーヒーをすすった。


「二つ名の通り、才知に優れた聡明な魔女でね。この世界でライザが知らないことはないとさえ言われている。簡単に言うと、それだけ物知りだってことさ。ライザに頼めばもしかしたらお前の特性が何なのかわかるかもしれない。膨大な知識量、そして歴史にも詳しいから過去にお前のような特性を持った魔女を知っている可能性もある。この旅の本来の目的はライザに会いに行く為でもあるのさ。だがその為にはライザが公国専属の宮廷魔術師を務めているミリオンクラウズまで行く必要がある」


 聞いたことがあった。魔女の中には国の王様が迎え入れて色々な知恵を授けたり、あるいは専属の医師として招かれたりしているそうだ。

 そうすると聡慧の魔女ライザは、国の知恵者として宮廷魔術師になったのだろう。

 国の王様に迎え入れられ、重宝され、さぞ大切に扱われているのだろうとルーシーは想像した。本当に魔女というものは、生まれた土地柄によってこうも扱いが変わってくるものだと痛感する。


「ライザのいる公国ミリオンクラウズは、100万の民衆が住まう楽園という意味を持つ公国だ。その国の大公が穏健派で、周囲からは魔女信仰していると噂されている。それくらい魔女に対しては寛大なんだ。当然魔女を敵視している地域の人間からは毛嫌いされているけどね。それでも国として成立しているのは全てライザによる貢献とも言えるだろうさ」


 国の為に働いているから重宝されている。ルーシーの認識が少し変化した。

 誰かの役に立っているから大切にされている。それでは自分はイーズデイル家にとってどんな役に立てていたのだろうと、ふと思う。

 物心ついた時にはすでにみんなから嫌われ蔑まされていた自分は、大切にしてもらうだけの何かをする機会がほんの少しでもあったのだろうか?


「だからミリオンクラウズ公国に入国すること自体はそれほど難しくない。問題はそこに辿り着くまでの道程だね。直線距離で換算しても半年かかるかかからないか、といったところだろう。まぁその間に次のブラッドムーンの時期に差し掛かれば魔女の夜会が開催される。運が良ければわざわざ公国まで行かなくても、その夜会にライザが参加しているかもしれない」

「えっと、あの……。ブラッドムーンとか、魔女の夜会ってなんですか?」


 国の名前は仕方ないとして、知らない単語が出て来たことによりルーシーは混乱する。ただでさえ夕食の時からたくさん説明されているのだ。ルーシーの頭の中で記憶出来る許容量を超えてしまっても仕方ない。


「あぁすまないね、当たり前のように説明していた。ブラッドムーンってのは、年に数回現れる赤い満月のこと。皆既月食と言ってね、月が赤く見える時があるんだよ。魔女たちはそういった時期によく夜会を開く。満月の夜に開くことが多いが、ブラッドムーンの時は魔女たちの瞳の色にちなんで、魔女の参加率が非常に高い。それだけ情報も飛び交う。ライザも普通の夜会に参加することは滅多にないが、ブラッドムーンの夜会にだけは参加することが多いんだよ」

「それじゃあもし公国に到着するのが大変だったとしても、そのブラッドムーンが先に訪れれば……。その夜会に参加すればライザさんに会えるってことなんですね」

「運が良ければね。言っただろう、参加することが多いってだけで確実じゃない。確実に会えるのは公国にいるライザの元まで直接行くことさ」


 聡慧の魔女ライザに会い、ルーシーの魔女としての特性が何なのか調べてもらうこと。

 それが1年後に出発する旅の目的。

 ルーシーはなんだかドキドキしていた。今までは『どうして自分がこんな辛い目にばかり遭わなければいけないんだろう』ということしか考えたことがなかったというのに。

 いつの間にか『自分が魔女になる為に何をしたらいいのか』という前向きなことを考えるようになった。

 目的は後ろ暗いかもしれない。それでも自分の為に何かをするということが、なんだかとても新鮮で、これから何が起きるんだろうという期待と喜びのようなものが湧き上がってくるようで、不思議な感覚だった。

 修行はきっと辛く厳しいものだとわかってはいたものの、それは自分の為に努力するものだと考えれば楽しいものに気持ちを変換できた。

 これまでは辛く厳しいことを耐えても自分に返ってくるものは何もない。ただ暴言の数、暴力の数が減って『無事に過ごせた』という安心感を得るだけだった。


 明日が待ち遠しい。

 そんな気持ちでベッドに入ることがこれほど幸せなのだということを、ルーシーは初めて知った。

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