第8話 『魔女との生活』

 翌朝、ルーシーは太陽が昇る前に起こされる。

 カーテンの隙間から見える窓の外は当然真っ暗だった。何事だろうと眠たい目をこすりながら周囲を見渡すと、恐ろしい形相のニコラが目の前で仁王立ちしている。これほど寝起きの悪い朝があっただろうか。


「さぁルーシー、今日から楽しい魔女の修行が始まるよ。わかったらさっさと準備しな!」


 まだ覚醒し切れていない頭にニコラの怒声が響き渡る。

 朝の準備はいつもの通り、ニコラが朝食の準備をしている間に着替えや洗顔を済ませ、これまたいつも通りに朝食の準備を手伝おうとニコラのそばまで行った時だった。

 見ると食事の量が明らかに少ない。2人分どころか、いつもの1人分にも満たなかった。


「あの、これが今日の朝食ですか?」

「これは朝食前の腹ごしらえだよ」


 意味がよくわからず聞き返そうとするが、ニコラに先を越される。


「まだ夜明け前なんだよ。こんな時間にがっつり朝食を食べたら昼までもたないだろう。だから朝食の前に少し腹の中に入れておくのさ。朝食前にする仕事を今日から毎朝してもらうんだからね。わかったらさっさと食べな」


 そう言われ、ルーシーは朝食前の腹ごしらえという名のコッペパンを口の中に突っ込まれた。そこに水を飲んでひとまずおしまい。ここから朝の仕事らしい。

 住まいとしている建物とは別に、自家栽培している植物のある小屋へニコラと向かう。

 さすが雪国、日が昇る前なので暗い中を出歩いたら寒さで一気に目が覚めた。家の中も暖炉の火がついていようと寒い時は寒いのだが、外の寒さは命の危険を伴うレベルである。

 相当着込んでいるはずだが、まるで裸で外を走り回っているように感じられた。足早に栽培小屋へ入ると寒さはいくらかマシになってホッとする。

 たくさんの種類、量の植物が下から上まで驚くほどたくさんあった。地面には直接植物が植えられており、ニコラの身長より上にある何層にも組まれた棚にはプランターがたくさん並べられている。


「地面に直接植えられているものは、プランターでは育てられない植物だ。地面の中に大きな実をつける植物、つるが長く伸びるから支柱を立ててやらないといけない植物、そういったものを主に地面で直接育てている。棚にあるプランターの植物はこの辺で採集出来る植物から、別の地域で種を集めて育てているものがほとんどだよ。まぁどうしても気候の影響があるからね、全ての植物を育てることは不可能だけれど。気温が多少低くても育つ植物に限定している」


 要するにこの膨大な数の植物に水をやり、必要な植物には肥料を与えるのが毎朝の日課となるということだ。今までこれをニコラ1人でやっていたのかと思うと恐れ入る。

 植物の種類によって与える水の量や頻度などが変わってくるということで、ニコラは小屋にある全ての植物の名前を順番に言いながら、飼育の仕方を説明していった。『数が多いから1回で覚えられるとは思っていない』とニコラは言うが、1年経っても覚えられる自信が今のルーシーにはない。

 全ての植物の説明が終わる頃にはとっくに朝日は昇っていた。


「さて、それじゃあ朝食の準備をするかね」


 そう言ってニコラは小屋を出る前に、ある植物の方へ歩いて行き、茎の部分から2本ほどちぎってルーシーに見せた。


「これは何ていう植物だったか覚えているかい?」

「え……、あの……、えっと……、すみません。全然覚えてません」

「これはローズマリーという名のハーブだ。食事によく使われたりする。香ばしい香りが食欲を誘うんだよ。昨夜少し余ったクリームシチューを使って、オニオングラタンスープに添えよう。きっと美味しくなるから」


 そう言ったニコラの表情はとても優しげな微笑みを浮かべていた。料理が好きなのだろうか? 

 確かに朝から大仕事をしたのでとてもお腹が空いているルーシーは、朝食のメニューを聞いただけで急かすようにお腹が空腹を訴えている。恥ずかしげに俯くが、ニコラは黙って小屋を後にした。


 ニコラがオニオングラタンスープとやらを作っている間、ルーシーは洗濯をしていた。ニコラが毎日洗濯をする理由はただひとつ、単純に洗濯物の量を少なくすることで負担を軽くする為だ。そのおかげでこれからする洗濯物の量はそれほど多くはなかった。

 村で仕入れた洗剤を入れて洗濯板を使いつつ、桶に入れて足で踏みつつ、汚れや臭いを落としていく。

 かなりの重労働に感じられたが、ルーシーはそれでも楽な方だと思えた。洗濯にお湯を使わせてくれたおかげでもある。生前は凄まじい量の洗濯物を真冬であろうが水で洗わされた。当然お湯を使った方が汚れの落ち方が断然に違う。

 ルーシーに嫌がらせをする為だったのか、彼らにそこまで知恵が回っていなかったのか。

 今にして思えばとても効率の悪い方法で洗濯していたことが、とてつもなく無駄に思えてならない。

 気を取り直して洗濯に意識を戻すルーシー。

 あとは手回しハンドルのついたローラー状の脱水機で、衣類の水気を絞っていくだけだ。ローラーに衣類を挟み込んで、ハンドルをぐるぐる回す。

 ローラーに挟まれた衣類が右から左へ送り出されると同時に、絞られた水が流れ落ちる。それを繰り返し、全部終わったら2階にあるサンルームへと運んでいく。外で干したら、いくら天気のいい日でも洗濯物はたちまち凍ってしまう。その為この家の2階南側にサンルームがあり、寒風にさらされず暖かい日光だけを浴びて乾かすことが出来るのだ。


「暖かい日なんかは外で干せば数時間で全部乾いたのに、こういった地域ならではのやり方があるのね」


 ルーシーが生前住んでいた場所とは気候が全く異なるので、生活に関することは案外知らないことが多かった。それをニコラはひとつひとつ丁寧に、1からきちんと説明して教えてくれる。

 決して『見て覚えろ』と、完全に突き放した言葉は言わない。


 洗濯も終わり、ルーシーが洗濯カゴを両手に抱えながら螺旋階段をゆっくり下りていくと、たちまち美味しそうな香りがしてきてルーシーのお腹がまたぐぅと鳴った。


「もう出来上がるから朝食にしよう」

「はい、お師様」


 昨夜残ったクリームシチューで作ったオニオングラタンスープは、朝食で食べるには贅沢に思える量と美味しさだった。先ほどニコラが言っていたローズマリーが添えられており、思っていたより香りが強い。

 熱々のスープの湯気と共に、食べる時にふぅっと息を吹きかけて冷まそうとした時、青々とした若葉のフレッシュさを感じさせる香りが一層料理の質を上げているように感じられる。

 オニオングラタンスープを食べ、レタスや分厚いハムがはみ出たサンドイッチを食べ、またスープを口にする。朝からこんなに豪華な食事が食べられると思っていなかったルーシーは、これでもう今日1日が終わったような感覚になる。

 植物の種類をひとつひとつ説明されながら水やりしていく作業も、洗濯もそれなりに大変だった。その後に満足する食事をして、それでもまだ1日の半分も経過していない。

 ここからまだ昼、夜と。やることはたくさんあるのだろう。それが日常の家事なのか、それとも修行で費やされるのか、ルーシーはこれまでに経験したことのない1日を迎えようとしていた。


 そこから食事の後片付けをした後に、食休みと称して1日の過ごし方を簡単に説明された。

 今日は村へ行く日ではないということで、日中の明るい内に植物の採取をしに行く。これからほぼ毎日、採取しながら家周辺の地形などを少しずつルーシーに覚えさせることも目的の1つのようだ。


「年中雪で覆われているからね。景色などで特徴を把握しておかないと、お前なんかすぐ道に迷って遭難してしまうよ。まぁこんな場所を1人で出歩かせることなんてしないが、万が一もある。いつかは遠くまで1人で採取させるし、使いを頼むことだってある。その時が来るまでに1日でも早く、せめてここら一帯の地形などを把握すること。いいね」


 そう言いながらニコラはさくさく歩いていく。彼女は気づいていないだろう。どれだけ冷たい物言いをしても、どんなにぶっきらぼうな言い方をしていても、その言葉の中にはルーシーを思う気持ちや優しさに溢れていることをルーシーは感じていた。

 真に心ない言葉をルーシーは知っている。

 罵声や悪口雑言を言われることに慣れてしまったルーシーには、ニコラの言葉は優しさと親切から言っているようにしか聞こえない。言葉の意味1つをとっても、心配して言ってくれているのがわかる。

 それはもちろんルーシーがたった1人の弟子だから、失うわけにいかない存在だから言っているに過ぎないこともわかっている。それでも誰かに大切にされたことのないルーシーにとって、ニコラはこの世で唯一自分を必要としてくれているたった1人の存在だった。


 家を中心に外周をぐるりと歩き回りながら、家の近くで採れる植物を見つけたり、料理の材料になる木の実などを拾ったりして午前中は過ごした。

 昼には再びニコラが昼食の準備に取り掛かり、その間ルーシーは家の中を軽く掃除していた。

 キッチン以外の水回り、ルーシーの個室や客間など掃き掃除や拭き掃除をしていたがニコラは自身の部屋は無視していいと言った。その態度と言葉から、恐らく入室を拒絶しているのだろうと察して、ルーシーはそれ以上何も言わないでおいた。

 誰にだって嫌なことはあるだろう。些細なことで機嫌を損ねたくなかったルーシーは疑問に思うことすらしなかった。


 昼食を終えて後片付けを済ませた後は座学の時間となり、ダイニングテーブルにつくとまずは鉛筆の使い方を覚えるところから始まった。ルーシーはスペルどころかアルファベットも書けない。読み書きに一切触れてこなかったので、初めて持つ鉛筆で初めて『書く』という体験をする。


「これは文字を書く前の下準備みたいなものさ。まずは一本線をたくさん書くんだ。それから波線、それからギザギザ線。それらで書く感覚を覚えたら今度は形のあるものを書いていこう。丸、三角、四角。文字を書く前に鉛筆を持って書くという動作に慣れるんだよ。早く文字の読み書きを覚えたいだろうが、今まで何かを書いた経験がないんだろ。ならお前の今の年齢から考えてみても、線や形を書くことで鉛筆の運び方を覚える方が先決になる。運筆と言ってね、書く為の運動みたいなものだよ」


 そうニコラに諭され、ルーシーは納得してニコラの指導に従った。物事には順序があるのだろう。確かにもどかしい気はしたが、鉛筆を持った時どう握ったらいいのかわからなかった。どれくらい力を入れたらいいのかわからなかった。鉛筆の運び方、動かし方、手首だけ動かしたらいいのか、腕ごと動かしたらいいのか。

 そういった『普通の子供ならわかること』がルーシーにはわからない。だから世の中の常識に関しては、言われた通りにする方がいいのだと思った。


 ルーシーが運筆に必死になっている間、ニコラは参考になりそうな本を本棚で探したり、温かい飲み物を作って出したり、修行の段取りをメモしたりして過ごしていた。そんな時、ふと思い出して椅子から立ち上がる。

 本棚の前へ行き、文字が読めないルーシーでも絵を見てわかるような本がどこかにあったはずだと、赤ちゃん向けの絵本を探し出した。

 こんなこともあろうかとニコラは絵本を村に寄贈することなく、自分の本棚にしまっていたはずだ。そう思って屈んだ時にようやく発見できた。これだこれだと立ち上がって絵本の表紙を見つめるニコラは、懐かしげに微笑む。

 しかしまたすぐいつもの強面に戻ると、時計を見たニコラは運筆を始めてからすでに3時間経過していたことに気付いてルーシーに声かける。


「今後1日の流れとしてはこんな感じだよ。午前中は天気のいい日は周囲の探索や採集、植物を実際に見て覚える修行。天気が悪い日は午後と同じ座学に、少しずつ本を見て感覚的に読書する習慣をつけるようにすること。魔女の知識は読書量に比例することもあるからね。とても大事なことだよ」

「あの、それじゃあ強い魔女もたくさん本を読んでいる、ということですか?」

「そういうわけじゃない。才能のある魔女によっては本能的に能力が優れている場合がある。基本的にはたくさん本を読んで、たくさん知識を得て、その叡智を集結させて自身の魔法を研鑽したり、さらに強い魔法を編み出したりする。だけど中には例外もいるんだ。特に英才教育を受けたわけでもない魔女が、本能的に悟って魔法を行使する場合もごく稀にある」


 ならそれは自分のことではないな、とルーシーは思った。天才の感覚がどういうものかわからないが、少なくともルーシーは自分が魔女の才能に溢れていると感じたことは1度もない。

 地道に努力をするに越したことはないということだ。思わずルーシーは自嘲気味な笑みがこぼれてしまう。


「基本的には毎日こういった感じで修行を進めていくが、もちろんだらだらやってる時間はない。定期的にテストをして、ちゃんとノルマが達成出来ているか確認するからね。遅れているとわかれば、家事仕事をする時間を勉強時間に充てる。遅れれば遅れるほど、別の何かを削ってでもノルマ達成を目指してもらうからね、覚悟しておきな」

「は、はい……お師様!」

「明日は村に行く日だ。回数が増えるから物々交換をする時としない時で1日の過ごし方も変わるが、それはその時に考えるとしようかね。何でもかんでもきっちり予定を入れるより、その時その時で行動するのも柔軟性を養う勉強になる。魔女には柔軟な思考も大切な要素だ」


 それだけ言うと、今日1日の修行の時間は終わったようだ。

 あとはいつものように食事の準備をして、それぞれ就寝するという流れになった。

 お風呂は毎日入るわけではなく、その日の過ごし方によって変わるらしい。特に汗をかいたり汚れたりすることがなければ入らない日がある。基本的には1日置きにお風呂、という過ごし方だった。


 明日は再び村へ行く。

 初めてスノータウンへ行くことになった時に比べると、村人たちが自分たちに対して敵意を向けていないということがわかっただけ気持ちは軽くなっていた。それでも他人との会話や接し方が苦手なルーシーは、うまく人間関係を構築できるかどうか不安を隠しきれない。

 動物たちならともかく、今までまともに人間の友達ができたことがなかったルーシーにとって、誰かと仲良くする方法がまだよくわかっていない。

 相手を不快にさせなければ、嫌がることをしなければ、ペラペラと自分の話ばかりをしなければ、恐らく煙たがられることはないはずだ。

 外見は子供でも中身は18歳の少女であるルーシーだが、だからといって人との付き合い方に関して長けているわけではない。もしかしたらずっと人々との中で過ごしてきた村の子供たちの方が、自分より付き合い方が上手なのかもしれなかった。


(きっと大丈夫……、なはずよね。相手は子供なんだもの。普通にしていれば、きっと……)


 そう信じて、ルーシーは今日1日の疲れを取る為に眠りについた。

 前世での嫌な記憶が呼び起こされる夢だけは見ませんように、と祈りながら。

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