003

 最初の会合は思ったよりも早かった。

 集合日時は夏休みに入って最初の土曜日の午後一時、場所は駅前の広場である。呼びかけたのは文芸部の中で唯一衛藤くんの連絡先を知っていた健也だ。基本的に連絡には『コネクト』というアプリを使用している。グループ内のメンバーでチャット形式でメッセージのやりとりができるので、多人数、リアルタイムでの連絡に適している。

 健也が作った『伊隈七不思議調査隊』というなんの捻りのない名前のグループに関係者が招待された。要は文芸部員プラス衛藤くんである。文芸部の中で寺島先輩だけが招待されていなかったが、おそらくは健也が先輩の連絡先を知らなかったからだろう。寺島先輩は最初から調査隊に参加するつもりは無さそうだったから別に構わないのだが。

 予想通りというかなんというか、樋口先輩も塾の夏期講習を理由に不参加を表明した。よって当日の参加者は私、美郷、真鍋くん、健也、衛藤くんの五人ということになった。

「悪い、遅れた」

 集合時間に十分ほど遅れて、健也と衛藤くん合流した。遅れる旨の連絡はコネクトを通じてしてもらってたし、彼らは午前中サッカー部の練習があったので仕方ない。

「問題ないよ。ところで衛藤くん、自転車で集合ってことだったけど、遠出でもするの?」

 何気なく私は訊いた。コネクトの招集には要自転車の文字があった。それはつまり目的地に行くのに自転車が必要だということだ。伊隈はさほど大きな町ではない。場所によっては電車やバスよりも自転車での移動の方が優れている場合もある。

「それに動きやすい靴と服装でって話だったよね」

「うん。それも含めて、ちょっと渡したいものがあるんだ」

 言って彼はショルダーバッグからクリアファイルに入れられた印刷紙を取出し、みんなに配った。

「……なにこれ?」

「その前に一点」

 私がその紙に目を通そうとしたところで、衛藤くんは人差し指を立てて言った。

「この前俺は『七不思議はある』って言い方をしたけど、それは正確じゃない。俺は覚え違いをしていたんだ。父さんは『七不思議がある』と言ったんじゃなくて『七不思議を知ってるか?』って俺に訊いたんだ」

「なるほど。衛藤くんのお父さんは確証があったわけじゃなくて、疑念を持っていてそれを衛藤くんに確認したってわけね。……じゃあお父さんはどこから『七不思議』の話を仕入れたのかってことだけど」

「その答えが、今配った紙だよ」

 ようやく私は紙に目を落とす。

「それは永野江市が運営するサイトにある『ご意見板』に寄せられたメッセージの一覧なんだ」

 すかさず衛藤くんが解説を挟んでくれる。なるほど確かに、やれどこどこの工事の音が煩いだの子供が遊べる公園を増やして欲しいだの市民の要望が綴られている。その中で一際異質さを放つ単語を見つける。

「伊隈七怪……」

 七不思議ではなく七怪。私は気になって伊隈七不思議について調べようとした。けれどネットで軽く検索してみてもそれらしい記事は見つからなかった。道理で見つからないわけだ。

「うん。七不思議って呼び方も俺の覚え違いだった。悪いね」

「それはいいけど……」

 私はその書き込みの内容に目を滑らせる。その下には七つの項目が箇条書きしてあった。

 一、来洲くるすダムの水面に映る亡者の影。

 一、子供攫いの怪人クロズマ。

 一、呻き声を発する石碑。

 一、安敷山あじきやまに住む仙人。

 一、還らずのトンネル。

 一、図書館に現れる幽霊少女。

 一、冥界に繋がる公衆電話。

「…………へぇ」

 なるほど。それらしくなってきたじゃないか。所々ローカルな地名があるがいずれも伊隈にある場所だ。この土地にまつわる不思議な噂だということは疑いようもないだろう。残念ながら、私は一つとして知ってはいなかったけれど。

「訊いてもいいか?」

 ふと健也が口を開けた。

「なんでこんな書き込みが市のご意見板にあったんだ?」

 当然の疑問だ。この書き込みのどこにも、要望や意見は含まれていない。百歩譲って『こんな噂があるけど真偽を確かめてください』と言うのならまだわかる。まあ、それにしたって市役所の人が真面目に対処することでもないとは思うが。

 疑問を受けて、衛藤くんは首を横に振った。

「わからない。俺としてはそれが一番知りたいところなんだけど、話を整理するために順を追って説明するね」

 ことの次第はこうだ。

 ご意見板に奇妙が書き込みがあることを役所の担当員が気が付いた。そういった悪戯というのも定期的にあるらしいので無視するつもりでいるのだが、興味本位で『伊隈の七怪って知ってる?』という風に他の所員に訊いて回ったそうだ。それが巡り巡って市長である衛藤くんのお父さんの耳にも届いたという話である。

「よくこのデータ貰えたな。市役所の機密なんじゃねぇの?」

「そこまで重要なものじゃないよ。別に誰かのプライバシーを侵害してるわけじゃないからね。みぎわさんに頼んだらすぐに貰ってきてくれたよ」

「汀さん?」

 それまで一言も喋っていなかった美郷が耳聡く聞いていた。

「ああ、父さんの秘書の人」

 秘書までいるんだ、衛藤くんのお父さん。つくづく自分とは違う世界に住んでいるんだなと思い知らされる。

「どこの誰が書き込んだのか分かるもんじゃないのか?」

「そりゃ、警察だったら調べられると思うよ。けど、別に爆破予告とかされたわけじゃなければ業務を妨害されたわけでもない。こんな悪戯程度で警察は動かないよ」

 それもそうだ。警察もそれほど暇ではない。よしんば書き込み主をつきとめたとして、一体なんの罪を問えるというのだろうか。

「ふぅん。じゃ、この七怪ってやつも信憑性は怪しいもんだな」

「それがそうでもないんだよね」

 衛藤くんが肩を竦める。

「話を聞いた何人かの所員は、この内の一つないし二つの話について聞いたことがあったらしい」

「マジか。俺ひとつも知らないぞ」

「もともとそういうアンテナを持ってない健也と、関わる人数が多い役所の人じゃ得られる情報が違うってことさ。……栗原さんならなにか聞いたことあるんじゃないかな?」

 突然名前を呼ばれ美郷は身体を硬直させる。なにもそこまで緊張しなくともいいのに。

「えっ。あの、その。こ、この『還らずのトンネル』は聞いたこと、あるかも……」

「僕も、このダムの噂話は聞いたことありますね」

 美郷に続いて真鍋くんも答える。

 ほらね、とでも言いたげに衛藤くんは健也を見た。

「つまり、ひとつひとつの話は小規模でも実際にある噂なんだ。ただ誰もそれを『七怪』とは認識してなかったってだけ」

「誰かが噂話を集めて『七怪』にした……?」

「そういうこと」

 だとするとこのメッセージの主はさしずめ編纂者ということか。七怪という言葉自体が浸透していない――というよりここが初出だろう――から眉唾に感じるが、噂自体は検証の余地があると言える。

「それで今日はどれを調べるんですか?」

 真鍋くんが訊いた。

「うん。結論から言うと今日調べるのは『安敷山の仙人』だ」

「理由を訊いてもいいか?」

「汀さんには市役所の人に、それぞれの噂の概要がどういったものかも訊いてもらった。詳細は省くけど、『発生場所が明確である』『発生時刻が夜ではない』――この二点を満たすのは『安敷山の仙人』だけだった」

 はぁなるほど。調べるにしても場所が分からないとどうしようもない。『来洲ダム』や『安敷山』は場所が明確だけど、その他はわからない。夜に集まるには準備が不十分だ。それぞれ家族にいい言い訳を用意しなくてはならない。そう考えれば今回のチョイスは妥当なところだろう。

「ちなみに、夜調査しないといけないのはどれだ?」

「ダムとトンネルと図書館は夜だって言われてる。クロズマは出現時刻がよく分かってないのと場所が散見していて断定できない。石碑と公衆電話に関しては誰も噂を知らなかった」

「わかった。じゃあ今日は安敷山で決まりだ」

「その『安敷山の仙人』ってどういう噂なんですか?」

「そのまま。安敷山には仙人が住み着いてるって噂。なにか悪い影響があるっていう話は聞かないから、まあ初回の調査にはうってつけなんじゃないかな」

「良かった。あまり怖くなさそうで」

 そう言って真鍋くんは胸を撫でおろした。もしかして真鍋くん、怖いのが苦手なのだろうか。

 彼ほどではないにせよ、私も少し安堵していた。私は幽霊や心霊の類は信じてはいないが、人並の恐怖心は持っている。立場上、怖いから調査はできないなどとは言えないが、安全であるならそれに越したことはない。

「それじゃ行こうか」

 衛藤くんの一声で、みんなが一斉に動き出す。衛藤くんが先頭で、その後にみんなが続く。

 安敷山は伊隈の北東に位置する小さな山だ。近くに電車の駅などはなく、バスや車を除けば自転車で向かうのが一番早い。衛藤くんが自転車移動を要望したのはそういった事情もあるのだろう。

 私はあまりハイキングやトレッキングの趣味はないので安敷山にも数えるほどしか来たことがない。確か、最後に来たのは小学生のときの遠足だったのではなかろうか。

「ところで司、自転車で山登りするつもりじゃないだろうな?」

「まさか。自転車は八尾神社に停めさせてもらうよ」

 八尾神社は安敷山の麓にある神社だ。

 近くにある駐車スペースの端に自転車を停める。恐らく正規の駐輪場所ではないだろうが、怒られたらその時はその時だ。

 石階段を上って鳥居を潜る。そのまま境内を通り抜けて裏手に回ると直接山道に繋がる道がある。

「なあ、この神社ってどんな神様祀ってるんだ?」

 思いついた様子で健也が訊いた。

「考えたことない」

「ほら、あるだろ。稲荷系とか八幡系とか」

「いや八尾神社はそんな有名な系列神社じゃないよ。多分地元の土着信仰なんじゃないかな」

 ふうん、と言って健也はさほど興味なさげに相槌を打った。自分から訊いたくせに。

 さて一行は境内の裏手に辿り着いた。木でできた看板には『この先安敷山ハイキングコース』と書いてある。

 ここからは本格的な山道だ。緩やかな勾配にところどころ大きな岩が転がっている。夏の日差しを木々が遮り心なしか涼しくも感じる。しかし全方位から降り注ぐ蝉の合唱は、少しばかり気が滅入る。

「さて、来てみたはいいけどどうやって調査しようかな。闇雲に探してたんじゃ埒が明かないだろうし」

「どこで目撃したのか情報はないの?」

「詳しい位置はなんとも、麓だったり中腹だったりいろいろらしい」

「そんなに目撃情報があるんですか?」

 言われてみれば妙ではある。噂話が広まるにつれて脚色が増えていったというのなら分からないでもないが、それにしては話自体にパンチが薄いのである。もっと『人が襲われた』とか『目撃した直後不幸に遭った』とか印象に残るエピソードがあって然るべきだ。

 なのにこの噂は目撃情報があるだけである。ならば脚色の余地なく本当に『ただそれだけ』の可能性がある。つまり複数の人が実際に『仙人』を目撃しているということになる。

「…………」

 仙人、ねえ。自分の持ってる知識で言えば、仙人とは世捨て人で人里離れた山奥に住み霞を食べて生きているあれだ。白髪に髭を蓄えた老人の姿をイメージする。本当にあれがこの山にいるというのだろうか。

 実際に目撃報告があるというのなら真相はきっとなにかを見間違えたというところだろう。山道に疲れて頭がぼんやりしていたなら見間違いが起こっても不思議ではないだろう。問題は、なにを見間違えたということになるが。

 山にあって仙人と見間違える可能性のあるもの――。

 もしかして猿か。

「なあ、それって猿なんじゃねぇの?」

 私が考えに至るのと同時に健也が口を開いた。

 それを聞いて衛藤くんは高笑いをあげる。

「まさか。山で猿を見ても猿と思うだけだよ。仙人だと思うわけがない」

「ちぇ」

 考えが一蹴され、健也はふてくされたように舌打ちした。私は内心で考えを口に出さなくてよかったと思っていた。

 そうか。山で見る猿は猿なのだ。猿は山にいるものだから。例えば、山で遊んでいた子供を猿と見間違う、というような図式なら成り立つ。

 それならば、いったい仙人はなにを見間違えたというのだろうか。

「……今、なにか動かなかったか?」

 山登りを始めて二十分くらいたったころ、ふと健也が言った。慣れない山道に足元を見ていた私は、その声に顔をあげる。

「どうしたの?」

「いや、あそこでなにか動いた気がしたんだ」

 健也は向かって左、山道から外れた傾斜を指さした。背の高い藪が生い茂っている。なにかが動いている様子はない。

「猿じゃないの?」

「まあ、鳥とかかもしれないけど」

 揶揄からかうように私と衛藤くんが言う。

「ちょっと見てくる!」

 私たちの言い草が頭にきたのか、健也は道もない斜面を駆けあがった。

 ああもうむきになっちゃって、子供なんだから。健也は昔から考え無しに行動することがよくあった。その行動力そのものには感心するけれど、いつもいい結果が得られるわけじゃない。小学生の時も下級生の喧嘩を仲裁したと思ったら、実は健也の早とちりで二人は特撮ヒーローの真似事をしているだけだった、なんてこともあったっけ。

「ちょっと、危ないってば!」

「大丈夫だっつの」

 私の忠告も跳ね除け、健也は藪の中を突き進む。隣で衛藤くんが苦笑いを浮かべながら肩を竦める。好きにやらせろということらしい。

 美郷や真鍋くんが心配そうに見守るなか、ずんずんと健也は進んでいきやがて藪の中に姿を消した。

 そろそろ呼び戻したほうが良いんじゃないだろうか。

「おーい健也ー。なにか見つかったかーい」

 衛藤くんが大声で呼び掛ける。

 しばらくすると健也の声が返ってきた。

「おい、ちょっとこっちに来てみろ!」

 その言葉に、私と衛藤くんが顔を見合わせる。

「なにがあったんだ?」

 首を傾げる。あの健也に細かい説明を促しても無駄だ。私は観念して彼のあとを追うことを決めた。衛藤くんを先頭にして道なき道を突き進む。

 運動音痴の美郷の手を引っ張りながら、私はようやく健也のいるところまでたどり着いた。景色は変わらずの草藪である。

「……これがなに?」

「よく見ろ。人が通ったあとがある」

 言われて気付く。根本から折れた草藪が一筋の線がある。少なくともなにかが通ったあとに間違いない。

「人……とは限らないかも」

「猪とかでしょうか?」

「猿かもね」

「もしくは仙人、だ」

 言って健也は目の前の獣道に分け入る。ここまで来たらとことん付き合おう。これほどはっきりした道があれば迷うこともないだろう。

 道なき道を進む、か。昔読んだ冒険小説のワンシーンのような描写に、私は少しばかりの高揚感を覚えていた。さて、この道の先に待ち受けるのは鬼か蛇か。

 はたまた仙人か。

 私たちは一列になって草藪をかき分ける。先頭に健也、次に私、その後ろを美郷、真鍋くんが続き、しんがりを衛藤くんが務める。なんの取り決めもしていないが自然といい布陣が出来上がっている。勿論、衛藤くんが進んで最後尾を選んでくれたのだろう。本当にできた男だ。

 更に進むこと十五分ほど。やはり本来のコースでないためか足場が悪く、疲労もたまってきた。いくら山間とはいえ季節は真夏だ。蒸し暑さに体力が奪われる。

 景色は依然として草藪のみ。斜面を上がったり下ったりはしているが、目ぼしいものはみつからない。せめて拓けた場所があれば休憩もできるのだが。

 そろそろ頃合いだろうか。諦めて一旦引き返すのも手だ。もとよりあるかないかも分からないものを探しているのだ。見えないゴールを進む道のりは、それだけで精神的負担になる。

 ふと振り返ると三人とも口には出さないが心身ともに参っている様子だった。

 前を見る。迷いなく突き進む健也の背中があった。どうしてこんな時に限ってやる気なんだろう、こいつ。もしかしたら彼にストップを掛けられるのは私だけなのかもしれない。

 そう思って声を掛けようとしたその瞬間、急に健也がしゃがみこんだ。

「ど、どうしたの!?」

 駆け寄る。「シッ」と口に指を立てて私に見せる。それから目配せして前を見るように促す。つられて私は前を見る。

 草藪の先。木々の向こうに少し拓けた空間があった。

 そしてそこには、昔話にでも出てくるような粗末な木造家屋があった。

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