002
その日はそれで解散となった。塾があるからとそそくさと帰宅した樋口部長を皮切りにそれぞれが帰り支度を始めた。寺島先輩だけは変わらずタロットカードを並べていたので、教室の戸締りをお願いすると了承したように手を振った。
図書室に寄ると言った真鍋くんは教室前で、帰宅方向が真逆の美郷とは校門前で別れた。
時刻は午後三時半。相変わらずの陽気が空気を満たしていた。
登下校の手段は徒歩である。自転車通学は学校が禁止している。したがってこの熱気の中、一キロメートル近くある距離を歩いて帰らなければならない。
「お姉ちゃん!」
近所の公園に差し掛かったところで何者かに呼びつけられた。声がした方に振り向くと私に手を振る女の子がいる。
すぐそれが妹だと分かった。中山
「お帰り! いつもより早いね!」
「今日から夏休みだからねぇ。そっちは公園で遊んでたの?」
私が訪ねると琴音は思い出したように「あっ」と声を上げた。
「助けてお姉ちゃん! 困ったことがあるの」
「?」
手を引かれるかたちで公園に招かれる私。それほど大きくない公園である。遊具はブランコと鉄棒くらいしかない。あまり整備されてないのか敷地の端の方は夏草が生い茂っている。その草陰から一人の女の子がひょっこり顔を出した。
「琴音ちゃん……!」
その子は泣きだしそうな困った表情で妹を見た。私はその子に見覚えがあった。妹の友人で何度か家にも遊びに来たことがある。名前は確か――。
「大丈夫だよ、
そう真美ちゃん。
状況から察するに、『困ったこと』はこの真美ちゃんに関係しているのだろう。
「それで、どうしたの?」
「真美ちゃん、失くしものしちゃって……」
「失くしもの」
それで草陰から出て来たのか。
「なにを失くしたの?」
「ゆ、指輪……」
真美ちゃんが小さな声で答える。
なんとまあ、最近の小学生ははいからなものをお持ちのようで。しかし困った。指輪のようなものを探すとなるとかなり骨が折れる。せめて失くした場所が分かればいいのだが。
「闇雲に探しても時間が掛かるだけね。失くしたのは公園で間違いないのよね?」
こくり、と真美ちゃんは頷く。
「えっとね。私たち学校から一度家に帰ってから公園に来たの。それで一端鞄をあそこに置いて、しばらくはバドミントンしてたの。その時には間違いなく指輪はあったよ」
助け船を出すように我が妹が一連の行動をおさらいする。
「あそこ」と言ったのは公園内にある屋根付きの休憩所のことだ。あずまやのような一辺が五メートルほどの正方形の敷地に柱と屋根、高さ一メートル程度の板壁と、ベンチがあるだけの休憩所だ。
――ん?
よく見ると誰かがベンチに寝転んでいる。黒いスーツ姿のようだが、夏日にそれも平日の昼間に公園のベンチで寝ているなんてどんな人間だろうか。端的に言って怪しい。あまり近づかないほうがいいかもしれない。
「それで?」
怪しい存在に注意を払いつつ続きを促す。
「バドミントンを一端やめて、ベンチで休憩しながらおしゃべりして、またバドミントンしてたら、指輪が無いことに気がついて」
「ふむふむ」
「それで真美ちゃん、一度バドミントンをやめた時に手洗い場で指輪を外したのかもって思い出して探してみたんだけどそこには無くて、風で飛ばされたのかもって思って公園中を探してみようって」
なんとなく話はわかった。公園を見渡す。確かに手洗い場はあった。蛇口のひとつしかない簡素な手洗い場だが、縁に指輪を置く程度のスペースはあるようだ。
近づいて見る。もちろん指輪はどこにも無い。
「それから、鞄の中に仕舞ったのかもって思って探してみたんだけどやっぱり無くて」
思い当たるところは調べつくして成す術無くなったところで、公園を虱潰しに探していたというところか。大きな公園ではないので高は知れているだろうが、ものが小さな指輪ともなれば少し厄介だ。
「そういえば、どんな指輪なの?」
ものの色形を把握していなければ探しようもない。まあ、公園に指輪が落ちてるなんてことはそうそう無いだろうが。
「えっと。色はシルバーで、赤い宝石がついてて……」
「宝石っ!?」
「あ、いや。本物の宝石じゃなくって、宝石みたいなきれいな石? ガラス? なんだけど」
びっくりして思わず声を上げてしまった。考えてみれば小学生に宝石のついた指輪を持たせる親はいないか。いや、日本中探せばいるにはいるだろうけど、少なくともこんな片田舎にはいないだろう。
きれいな石ね。私は夏祭りの露店なんかでよく見る子供だましのカラフルな石を思い出していた。まあそれなら、最悪紛失してしまっても損害という意味では大したこととは言えないだろう。
いけないいけない。
仮にも他人のものの価値をその値段の多寡だけで判断するのは良くない。おもちゃの指輪であっても彼女には思い出の品で、大事なものなのかもしれないのだ。失くなって簡単に諦められないほどに。
状況を整理しよう。
二人が最初にバドミントンをしていたときには確実に指輪はあったのだろう。失くしたことを気づいてからは二人は公園を出ていない。失くしたのは間違いなくこの公園の中だ。だとすれば、必然的に指輪は公園の中にあるということになる。
誰かが持って行っていなければ。
ものはおもちゃの指輪だ。盗む価値があるとは思えない。真美ちゃんを困らせたくて盗んだというなら筋は通るが、そんなレアケース考え出すとキリがないので今回は想定からはずす。カラスが光物を集めるなんていう話も聞くが、これも除外しよう。
バドミントンをしている最中にはずれて飛んでいったとも考えづらい。指にフィットしていなかったのなら、そもそもつけて遊んだりはしないだろうし、飛んでいったのならその場で気づきそうなものだ。
指輪をはずす可能性が一番高いのは、二人が言うように手洗い場だ。しかしそこには指輪はない。もし、本当に手洗い場で指輪をはずしたのなら、なんらかの要因で指輪がそこから移動したことになる。ならばその要因とはなんだろうか。
「…………」
考えてもわからない。風に飛ばされたのが一番現実的だろうか。とにかく、このまま突っ立ってるだけではなにも解決しない。一先ず行動に移さないと。
「もう一度、手洗い場の周りを探してみましょう」
二人はこくりと素直に頷く。しかし結果は芳しくなかった。それなりに丁寧に探してみたつもりだが、目当てのものは見つからなかった。もしかして排水溝に落ちたのではと疑ったが、排水に繋がる網目は細かく、指輪が入る隙間は無さそうだった。
結果ふりだしに戻る。最終手段にしたかった、公園全体の捜索をするしかないのだろうか。
いや。
可能性はまだある。どちらかと言うとこの方法も、できればとりたくは無かったけれど。
「ねえ。あの人、いつからいたの?」
私は休憩所を指さして二人に尋ねる。あの人とは今もベンチに寝そべっている黒スーツのことである。二人は顔を見合わせて小首をかしげる。
「確か、指輪が無いことに気が付いて鞄の中を調べたあと入れ替わりに来たんだと、思う」
「ふうん」
聞いてみる価値はある、か。
私はまっすぐ休憩所に向かって歩き出した。黒スーツはどうやら男性のようだった。上背は高そうだが線は細く、やや不健康そうな印象を受ける。サングラスを掛けており、怪しさに拍車をかけていたし、その所為で年齢が判別しづらかった。成人だとは思うが、大学生にも見えないこともない。
「あ、あのう……」
私は声を掛けようか逡巡したが、結局控えめに呼びかけてみた。しばらくして黒スーツは「ん?」と呟き上体を起こした。
「なんでしょうか、お嬢さん?」
丁寧な言葉遣いで男は言った。取り合えずいきなり喧嘩腰で来るような荒っぽい人ではないようなので安堵する。
「すみません、実はこの子がここの公園で失くしものをしたみたいで、もしなにか知ってらしたらと思って声を掛けたんですが……」
「失くしもの、ですか。もしかしてそれは『依頼』ということですか?」
「はいぃ?」
自分でも驚くくらい素っ頓狂な声を上げていた。単に話を聞きたかっただけなのに、依頼だなんて取り方をするのだから仕方ない。そんな私を視て、男は「失礼」と言ってスーツのポケットをまさぐる。
「僕はこういったものです」
差し出された名刺を受け取る。
すぐさま『
「探偵っ!?」
「え、探偵さん? すごいすごい、初めて見た! ねぇ、本物なの?」
隣で盗み見た妹たちがはしゃいでいる。探偵なんて資格も免許もいらないので、偽物も本物もないと思うのだが。探偵の肩書だけで目の前の人物を信用する理由にはならない。怪しいことに違いはないのだ。
「えっと、『依頼』したら『調査』してくれるんですか?」
「もちろんタダじゃないけどね」
にっ、と笑って探偵は親指と人差し指で輪っかを作って見せた。
「お金とるんですか!?」
「僕はプロだからね。プロが自分の技能に対価を要求するのはおかしなことじゃないだろう?」
それはそうだろうけども。
「ちなみに失くしものについてだけど僕はなにも知らない。けど、依頼してくれるなら、それを見つけるのに力を貸そう。ああ、ちゃんと学割も使えるから安心してね」
あるんだ学割。
「ちなみにいくらですか?」
「依頼内容によって上下するけどね。君は中学生かな? だったら一番安価なので依頼料が五百円。成功報酬が追加で五百円だ」
うーん。
確かに探偵を雇うということに対しては破格の安値なのかもしれないが、失くしもの探しという事件に対して言うのであれば若干手痛い出費のような気もする。中学生にとって千円は決して安い金額ではない。
「ん? 今中学生ならって言いました? 小学生ならいくらなんですか?」
「小学生は一番安くて依頼料百円。成功報酬が追加でもう百円」
私は鞄から小銭入れを取り出し(余談ではあるが草柳中学校は生徒の財布の持ち込みを許可していない)、百円玉を探して琴音に手渡した。
「これでそこのお兄さん手伝ってくれるって」
琴音は笑顔で硬貨を受け取り、探偵に『依頼』をお願いした。一本とられたとでも言いたげに頭を掻きながら、探偵は苦笑いを浮かべて百円玉を受け取った。
「よし分かった。探偵黒崎、君の依頼を聞こうじゃないか。さて一体なにを探しているんだい? 話してごらん」
私は妹たちの体験を話して伝えた。
「この子が失くしたのは指輪なんです。最初公園に来てバドミントンして遊んでたそうなんですけど、その時は確かに指輪はあったそうです。その後ここで休憩しながら話をして、バドミントンを再開しようとしたところで指輪が無いことに気が付いたそうなんです。休憩前に手を洗ったことを思い出してその辺りを探してみても見つからず、その後ここにある鞄を探してみたけれども無かった。風で飛ばされたのかと思って公園中を探そうとしたところで私が出くわしました。話を聞いて、手洗い場にあるんじゃないかと思って、もう一度探してみました。けれど見つかりませんでした。そこで、休憩所にいた貴方になにか知らないか尋ねてみようと思ったんです」
探偵は話を途中で遮ることなく適当な相槌をうちながら聞いていた。
「もし指輪の在処がわからなくても、公園内を探すのを手伝ってもらえれば助かるんですが」
「いや、その前に探すべき場所がひとつあるよ」
探偵は人差し指立てながら不敵な笑みを浮かべた。
「! どこにあるか分かったんですか!?」
「そんなに確証めいたものじゃないよ。ただ、可能性が高い場所があると思っただけだ」
「どこなんです?」
「鞄の中さ」
それを聞いて妹は「えっ!」声を上げた。
「でも鞄の中はもう探したよ?」
「人はパニックになると注意力が落ちるものだ。探したと思っていても見落としがあるかもしれない。もう一度探してごらん」
半信半疑という雰囲気で、妹たちはそれぞれ自分の鞄をまさぐった。するとすぐ真美ちゃんが小さく「あっ」と呟いた。そして恐る恐る鞄から手を出す、その手には小さな指輪が摘ままれていた。ルビーを模した赤い石がついた指輪だった。想像したよりも大きな装飾で、遠目に見たら本物と見間違えそうである。
「あった……」
力なくそう言ってこっちを見る彼女。それからたちまちその頬が紅潮していく。
「ごご、ごめんなさい! 私、大騒ぎしちゃって! こ、ここにあったのに。琴音ちゃんにも、お姉さんにも迷惑を……」
「いいよいいよ、気にしないで。見つかって良かったよ」
恥ずかしさのあまりか耳まで真っ赤にさせて、真美ちゃんは謝罪した。今にも泣きそうな友人を我が妹は宥めるように肩を抱いた。
私は視線を二人から探偵へと移す。
「どうして鞄にあると思ったんですか?」
「ん? 単なる消去法だよ。確かに指輪を外す可能性が高いのは手洗い場だ。ただ、その辺りはもう探したんだろう? だから指輪が手から離れたのはそこじゃないと踏んだ。なら他に考えられる場所はないか? 一番可能性があるのは鞄の中だ」
「そうでしょうか。真美ちゃんが鞄の中に指輪を仕舞ったのなら、それを覚えているはずでは?」
「まあ、おしゃべりに夢中で無意識のうちに仕舞いこんでいたとも考えられるけれども、僕は指輪は偶然外れたんだと考えているよ」
「それほど簡単に外れるとは思えないですが。もしそうなら、ちょうど鞄の中で指輪が外れた理由はなんですか?」
もしかしたらもっと別の場所で指輪が外れたとも考えられないだろうか。幸いにも指輪は鞄にあったけれども、どうも出来過ぎな気もする。
「鞄の中だからこそ外れる要因があったんだよ。彼女たちは遊んだあとここで『休憩』しながらおしゃべりをしていた。あの鞄の中には飲み物やタオルがあったんだろう。それを取り出す時に、なにかに引っかかって指輪はとれた。この暑さの中遊んでいた彼女たちは汗もかいていただろう。指輪はいつもよりも外れやすくなっていたのかもしれない」
「なるほど……」
そういう筋書きか。確かに、あの装飾ならなにかに引っかかっても不思議ではない。私は納得して一人頷いた。なにはともあれ、大事なものが見つかったことは良いことだ。見ると妹と友人はすっかり笑顔になっていた。
「ありがとう、お姉ちゃん! 探偵のお兄ちゃん!」
二人は律儀にお辞儀する。結局のところ私はなにもしていない。お礼を言われる筋合いもないのだ。
「お姉ちゃん、私、真美ちゃんのお家に行ってくるね」
「あ、うん。行ってらっしゃい。暗くなる前に帰りなよ?」
「分かってるって! もう子供じゃないんだから!」
言って琴音は真美ちゃんを伴って駆け出して行った。
私と探偵は簡易な休憩所に取り残される。
「いやぁ、なにはともあれ一件落着だねぇ」
探偵は言いながら、私に向かって手のひらを差し出した。なにかを要求する仕草に私は「ああ、成功報酬か」と思いつく。小銭入れから百円玉を摘まんで男の手のひらに載せようとしたところで、私はその手を止める。
「その前に」
「?」
「ひとつ質問させて下さい。どうして指輪がひっかかりやすい形状だって分かったんですか?」
私の質問に、探偵はぎくりと聞こえてきそうなほどあからさまに動揺した。
私は畳みかける。
「小学生がつけるような指輪を想像したとき、あまり大きな装飾は想像しづらいと思うんです。私もそうでした。石が付いているということを知っていても、実物を見て少し驚いたくらいです。ところで探偵さん、あなたは指輪の形状について一度も訊きませんでしたね」
探し物をする時まず確認すべきはその物自体の色形、大きさである。物体のイメージが共有できてないと探す労力は何倍も掛かることになる。にも拘わらず、彼は指輪という情報だけでその在処を推理したのだ。それはまるで――。
「私が思うにあなたは最初から指輪がどんな形をしていたか知っていたんじゃないですか? もっと言えば、『指輪が鞄の中にある』ことも最初から知っていたんじゃないでしょうか?」
「どういう、ことかな?」
「私はやっぱり、指輪は手洗い場にあったんだと思います。鞄の中でひっかかって落ちたとしても、直接指がその感触を受ける筈です。おしゃべりに夢中でも、気づかなかったというのは考えづらいです。手を洗うために一度外したと考える方がよっぽど自然です。ではなぜ指輪は手洗い場から消えたのか。カラスが持って行ったわけでも風に飛ばされたわけでもない。指輪は、何者かが持ち去ったんです」
「…………」
探偵は腰に手を当てながら黙って話を聞いていた。サングラスの奥の目は分からないが、口元は少し笑っているようにも見える。
私は構わず続ける。
「その人は最初指輪が高価なものだと思ってそれを持ち去った。直接お金に換えようと思ったのか、警察に届けようと思ったのか分かりませんが。でも後でよく見ると、その指輪は装飾が派手なだけの玩具でした。すると持ち去ったことが後ろめたくなり、もとあった場所に戻そうと思いました。しかし公園に戻ってみると、小学生が血相を変えて指輪を探しているではありませんか。その人は指輪を返そうとは思っていましたが、自分が持ち去ったことは悟られたくありませんでした。そこで、期を窺って、指輪を鞄の中に入れることを思いついたんです」
「……それが僕だと?」
「はい」
探偵は「ふむ」と言いながら顎をさすって考える素振りをする。
「その何者かが僕だとは言い切れないんじゃないかな? 僕ら以外の第三者が行ったとしても不自然はないと思うけれども」
「いいえ。あなた以外に考えられません。第三者であったなら、指輪が二人の小学生のどちらのものか、また休憩所に置かれた鞄がどちらのものか分からないからです。でもあなたは違う。妹によると、鞄に指輪がないか探した後、あなたとこの休憩所で入れ違いになったと言ってました。なら、見てたんじゃないですか? 真美ちゃんが自分の鞄の中を探しているところを」
普通に考えると、琴音が自分の鞄を探す必要はない。もし自分の鞄から指輪が見つかれば、自分が盗んだということになるからだ。真美ちゃんが琴音を疑っていたのなら、鞄の中を検めることを強要したかもしれないが、二人にそんな様子は無かった。琴音が自分から鞄の中を確かめる可能性もあるが、状況を見れば二人のうちどちらが失くしものの主かはすぐ分かる。この人ならば。
「当てずっぽうで入れたのかもね。犯人にとっては、二人のどちらが指輪の持ち主でも大きな問題ではなかった」
「ええ。その可能性もありますね。もし指輪が妹の鞄から見つかって、二人の仲が険悪になったとしても知ったことでないでしょうし。でもその場合、損をする人がもう一人いますね?」
私は探偵を見つめる。
損をする人物とはこの探偵だ。もし指輪が琴音の鞄から見つかってしまっては、『鞄の荷物をとるときに引っかかって外れてしまった』という彼の推理が破綻することになってしまう。自身の信用を落とすとともに、なぜ指輪が琴音の鞄にあったのかという疑問も解決しなければならなくなる。それは、誰かが一度指輪を持ち去ったということを示さなくてはならず、その疑いを掛けられるのは他でもない自分なのだ。
「あなたは思いつきました。この件を正式な依頼として受ければ、依頼料そして成功報酬が間違いなく手に入ると。あなたは待っていたんじゃないですか? 困った私たちが話しかけてくるのを」
「やっ、流石に小中学生からお金を毟り取ろうなんて、そんな、そこまで落ちぶれては……」
「実際にお金貰おうとしてましたよね? それに、それくらいお金にがめついなら、おもちゃの指輪を本物と見間違えるくらいのこと、やりそうですよね? 自称探偵さん?」
二人は沈黙した。
乾いた風が吹く。男は不敵な笑みを浮かべている。
やがて。
「……ふ」
男の口から空気が漏れる音がした。
「あっはっはっは。いや、大した名探偵だ! 君、うちの事務所に入らないかい?」
「……じゃ、じゃあ認めるんですか?」
「ああ認めるとも。全て君の推理通りだ」
私は手の中に握られている百円玉を小銭入れにしまった。
「やるじゃないか名探偵。これでジュースでも買うがいい」
「これはもともと私のお金です!」
言って探偵が依頼料として受けとってた百円も、その手からひったくる。
いい歳した大人が恥ずかしくないんだろうか。探偵なんて職業、小説や漫画の世界ないざしらず、現実社会においてはそれほど需要はないのだろう。なんとなく現実の厳しさみたいなものが垣間見えた気がして、なんだか寂しい気分になった。
さて。
ここに長居する理由はない。正直、探偵という職業には少し興味はあるが、こんな得体の知れない人物と一緒にいるのはそれだけでリスクだ。私はその場を離れようと踵を返した。
その瞬間。
「あーーーーー!!」
公園の外から女性の絶叫が聞こえた。目を遣ると声の主と思しき女性が公園の入り口付近でこちらを睨んでいる。若い女性だ。高校生、いや私服を着ているから大学生だろうか。ショートボブの髪型に太腿が見えるようなショートオール。ボーイッシュというよりは活発な印象を受ける出で立ちだった。
彼女はずんずんと大股でこちらに近寄って来る。私の横を素通りして黒い探偵の目の前で立ち止まった。そして開口一番。
「もうっ! こんなところで油売って! 月に何件も仕事なんか無いんだから、せめて迷いネコの捜索くらい頑張ってくれたっていいでしょ!」
ものすごい勢いでまくし立てている。探偵はばつが悪そうな表情でその言葉を受けて止めていた。ひとしきり言いたいことを吐き出すと、彼女はしばらく肩で息をしたあとくるっとこちらに向き直った。そして眼にも止まらぬ速さで頭を下げた。
「ごめんなさい! よく分からないけどとりあえず謝っとくね。この男に変なこと言われなかった!?」
「い、いえそんな……」
正直に言うと面倒なことになりそうだったので、私は適当にはぐらかした。彼女は「はあ」と息を吐き胸を撫でおろす。
「自己紹介するね。私は
助手。助手かぁ。確かに探偵ものには助手がつきものだ。天才的なひらめきや記憶力を持つ探偵とは違って一般人に近い目線で思考するため読者にはありがたい存在だ。私はミステリをあまり読まないから詳しくはないのだけれど、最近の作品にも探偵助手は出てくるのだろうか。今度真鍋くんにでも訊いてみよう。
とか思ってると、助手は探偵の腕を引いていこうとする。
「さあ行くよ。今日中にネコちゃん見つけるからね!」
あああー、と情けない声を上げながら探偵が引っ張られていく。探偵なんて、普通の人生の中で偶然出会えるものでもない。それがよりにもよってこんな奇天烈な人物だというのは、運がいいのか悪いのか判断が難しかった。
「き、君!」
手を引かれながら探偵は私に呼びかける。
「この度の非礼は詫びよう。その代わりと言ってはなんだが、もし困ったことがあったらどんなことでも言ってくれ。君からの依頼は無償で引き受けると約束しようじゃないか!」
なんだか気前のいいようなことを言ってる気がするのだが状況が状況だけに全然格好よくはない。第一、最初は嘘をついてお金を騙し取ろうとした人間が、困ったときにあてになるとでも思うだろうか。
私はただ公園から去っていく二つの影をぼんやりと眺めていた。
なんなんだろう、あれ。
しばらくそこに立ち尽くしたあと、我に返った私は帰路に戻った。
それが奇妙な探偵との最初の出会いだった。
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