6
「どうしたの? 何があったの?」
母さんがジャクロを抱き留めてくれる。その胸が温かくて、ジャクロは余計に涙を溢れさせる。
「マスターのお店、僕が思ってたようなお店じゃないって……喫茶店でも、金属製品を集めてるお店でもなくって、本当は軍人さんの勲章の買取をしてるんだって……」
「勲章買います」――あの看板には、本当はそう書いてあったのだ。
おじいさんは教えてくれた。
マスター――アデリーズさんは何らかの理由で、勲章を集めているらしい。コーヒーやクッキーは勲章を売りに来てくれたお客さんに出すためもので、売り物ではなかった。
アデリーズさんがなぜ勲章を集めているのかは、おじいさんも知らないという。
「アデリーズさんは身体が弱いから、いつもはお店もほとんどロボットだけなんだって……僕が来るときは出迎えてくれるけど、それは特別扱いだって……」
それがおじいさんから聞いた、あのお店のすべてだった。
ジャクロはお客様どころか、迷惑な
遠慮しているつもりで、初めから全部自分の都合だった。それをあの優しいマスターに押し付けたのだ。
「アデリーズ……? それが、マスターの名前なの?」
母さんの顔つきが変わった。さっと立ち上がり、戸棚から何かを取り出して鞄に入れる。
「お仕事に行くの?」
「そうよ」
「でも、お化粧は?」
母さんは青果市場帰りの、地味なエプロン姿のままだった。
「……今日は別のお仕事に行くの。ジャクロ、いつものようにいい子でお留守番していてちょうだい。約束できるわよね?」
穏やかだが、有無を言わさぬ調子だった。
ジャクロは反射的に頷いたものの、母を見送った後で胸の奥にふつふつと不吉な予感が湧いてくる。
母さんは、マスターの名前を聞いて家を出て行った。別の仕事だなんて嘘に決まっている。本当はアデリーズさんに会いに行ったに違いない。――でも、何のために? 母さんはアデリーズさんと知り合いなのだろうか?
このままここで留守番をしていたら、疑問が解けることはない。
ジャクロは生まれて初めて、母さんとの約束を破る決心をした。
もう一度靴を履き、ボタンの取れた上着を羽織って車輪通りへ飛び出す。金属ゴミを探すことなく、手ぶらで再びアデリーズさんの店へと走った。
鼻をくすぐる甘いクッキーの匂い。けれどもジャクロの胸底は冷えた。店の中から、母さんの金切り声が聞こえてきたからだ。
「そんなに勲章が欲しいなら、持っていけばいいわ!」
キィンと高い音が響いた。母さんがアデリーズさんに向かって投げつけたのは、父さんの獅子勲章だった。父さんの代わりに母子のもとへ帰ってきた、大事なもののはずなのに。
「やめてよ母さん! 何てことをするの⁉」
ジャクロは夢中で母さんの背中に飛びついた。留守番をしなかったことをなじられても、怯むわけにはいかない。
「あなたがたが来るのを、待っていました。ダーニアン夫人……そして、ジャクロ」
アデリーズさんは、なぜか一度も名乗ったことのないジャクロの名前を知っていた。
文字を打つ。マスターにとって言葉を話す方法はそれしかない。ジャクロには愛おしい
「私たちの息子の名前を気安く呼ばないで! 帰るわよ、ジャクロ!」
「待って、僕に分かるように説明してよ!」
ジャクロは叫んだ。
母さんは何も教えてくれない。アデリーズさんは、車椅子の肘掛けの中から分厚い封筒を取り出して母さんに差し出した。彼が腕を預けていた肘掛けは箱形になっていて、中にそれをずっとしまっていたのだ。
封筒の端が破れるほど、札束がぱんぱんに詰まっている。でも、中に入っているのはそれだけではなかった。
「中の手紙に、すべて書いてあります。ジャクロが文字を読めるようになったら見せてあげてください」
たとえいくらアデリーズさんのことが憎かったとしても、母さんは封筒を無視することができなかった。ジャクロは機械整備士に憧れて学校に行きたがっているし、手紙を読み、真実を知る権利を有している。どうしても学費が必要だったのだ。
「この街から消えてちょうだい! 二度と私たちの前に現れないで!」
わずかな
さ、よ、う、な、ら。
最後にマスターの指が選び取った文字列が、ジャクロの脳裏に焼き付いた。
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