3

 答える声はロボットから聞こえる。でも、どうやら答えている人は別にいるようだ。

 店の奥に、複雑な機構が取り付けられた引き戸がある。その歯車がガシンと音を立てて回り出すと、ベルトが動いて引き戸を開けた。

 扉の向こうから、車椅子に乗った男の人が現れた。彼がこのカフェのマスターらしい。

 その人は黒くて丈の長い毛織のローブを着て、顔の左上半分を装飾のない銀の仮面で隠していた。車椅子にはタイプライターの文字盤が取り付けられている。

 マスターが文字盤を叩く。その手の甲は、火傷の痕に覆われていた。

「気味の悪い姿で、申し訳ありません」

 マスターの代わりに、ロボットが喋った。

「ううん、全然気味悪くなんかないよ」

 お世辞ではなかった。仮面に隠されていない残り半分の顔は、とても優しげだったからだ。

「……もしかして、戦争のせい?」

 マスターは笑みを湛えたままひとつ頷き、文字盤を叩いた。

「爆弾と毒ガスにやられてしまいまして、両脚と、声を失いました」

 悲惨な経験をしたはずなのに、ロボットの声は淡々としている。それがかえってジャクロには切なく感じられたが、マスターはさらに文字盤を打ち続けた。

「でもどうにか生き延びております。私は、十分幸運です。こうして、お客様にもお会いすることができましたし」

 ロボットの頭から出ているケーブルのうち一本はマスターの車椅子に繋がっていて、文字盤に入力した通りの言葉を喋る仕組みになっているらしい。言葉を話すほかにも、命令文を入力すればたいていの仕事をしてくれるのだそうだ。店内を掃除したり、客に紅茶を出したり、マスターの身の回りの世話さえも。

 ロボットの機能はそれだけではない。両目に内蔵されたカメラの映像を、もう一本のケーブルを介して奥の部屋にあるスクリーンに投影しているのだ。映像は客の顔がはっきり判別できるほどに画質が良いのだという。

「すごい機械だ!」

 ジャクロは感嘆の声を上げた。こんな高機能な機械は博覧会にもなかった。

「お客様は、機械がお好きですか?」

「うん。……かっこいいなって思うだけで、どういう仕組みかは全然分からないけど」

 機械の仕組み以前に、ジャクロは学校に行っていない。学校に通うには学費がかかるが、戦争のせいですっかり貧乏になってしまったからだ。

 ごめんください、と店の外で呼びかける声がする。次のお客さんが来たようだ。そろそろお暇すべきだと、ジャクロは悟った。

「ねえマスター、もしまた何か金属のものを見つけたら、ここに来てもいい?」

 本当は、マスターと友だちになりたかった。けれどもマスターは大人で、ジャクロは学のない子どもだ。「お客様」、それで十分だった。

 とはいえ、きっと子ども相手では大した商売にならないだろう。ほかにお客さんのいないときを見計らって、マスターの邪魔にならないとき、またゆっくりと話をしてみたかった。

「もちろんですよ、お客様」

 マスターが微笑むと、ロボットも一緒に笑っているように見えた。

 ジャクロは幸せな気分で家路につく。明日を信じて生きていこう、手を取り合って生きていこう……。調子っぱずれの鼻歌も絶好調だ。

 家に帰ると、青果市場での早朝仕事を終えた母さんが、夜の仕事の支度をするために一時帰宅していた。

「お帰りなさいジャクロ。今日はどこまで行っていたの?」

 白粉をはたきながら、母さんが尋ねる。ジャクロは車輪通りの路地裏で見つけたロボットのお店のことを、詳しく話して聞かせた。

「あの飾りボタンひとつで紅茶とクッキーが買えたの? お店は大赤字じゃない? いったいどういう商売なのかしら」

「知らない。でも『そういうシステム』だって、マスターが言ってた」

「へえ、よくそれでやっていけるものね。よっぽどお金があるんだわ」

 言いながら母さんは真っ赤な口紅を引き、長い髪を頭の上でお団子にした。夜はカフェで女給さんとして働いている。

「母さん、またあのお店に行ってもいいよね?」

「そうね……お母さんとの約束が守れる?」

「もちろん」

「よし」

 母さんはジャクロの両肩に手を置いた。

「まずひとつ、家にある金属製品を持って行かないこと。戦争で取り上げられたお鍋やフライパンを苦労して買いそろえたのに、また持って行かれるのはたくさんだわ。それに、今日は取れたボタンだったから許すけど、服からボタンをむしり取るのもだめよ。……そうね、道ばたに落ちてる金属ゴミを拾うなら、街も綺麗になって一石二鳥よね?」

「なるほど。いい考えだね」

「ふたつめ、当たり前だけど、よそのおうちやお店から泥棒をしないこと」

「そんなの分かってるよ」

 ジャクロは頬をふくれさせた。いくら貧乏だからって、悪いことをするつもりはない。

「最後にみっつめ。マスターといくら仲良くなっても、父さんの話だけはしちゃだめよ」

 母さんの眼差しが鋭くなった。

「うん」

 ジャクロは深く頷いた。

「それじゃあ、今日もお留守番よろしくね」

 きらびやかに美しくなった母さんは家を出た。

 母さんは車輪通りを避け、遠回りになる裏道から仕事場へ行く。浮かれた街を見たくないからだ。ジャクロお気に入りのエディ・アースも、母さんは毛嫌いしている。

 だからジャクロは母さんがいないときにだけ、あの歌を歌うのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る