エディ・アースはもう歌わない
泡野瑤子
少年時代
1
はるか頭上から古い流行歌が聴こえる。ジャクロ・ダーニアンは空を見上げた。
ポロン市を縦断する「車輪通り」に流れるその歌の名前を、十歳のジャクロ少年は知らない。
ラッパに似た金色のスピーカーは、こないだ取替工事がすんだばかりでピカピカだ。でもそこから流れている歌は新しくない。ジャクロが生まれる前、戦争が始まるよりも前の歌だ。
昨年の夏、この国は戦争に勝った。遠くの大国同士のいがみ合いに巻き込まれて、三年前にいやいや参戦したのだ。
当時七歳だったジャクロは、その頃のことを少し覚えている。お手製のプラカードを掲げてデモ行進する人々の「戦争反対」の声と、打ち鳴らされる太鼓の音が地鳴りのようで怖かった。
それなのに、いざ戦争が終わると人々は浮き足立って、戦時中ひどい目にあったことをまるっきり忘れてしまったかのようだ。
車輪通りを行き交う賃走の蒸気自動車には、派手やかな一張羅を着込んだ人々が乗り込んでいる。
彼らは果たして覚えているだろうか。飛行船による旅行が禁止されたことや、金属供出令のためにかわいがっていたブリキロボットたちを手放さなくてはならなかったことを。――そして何より、たくさんの軍人さんが戦場に送られて、その二割が帰ってこないことを。
ジャクロの父さんもその中のひとりだ。陸軍の士官として小隊を率いる立場にあった父さんは、参戦後間もなく戦地へ赴くことになった。
「どんなことがあっても、必ず生きて帰ってくるよ」
出征するとき、父さんは母さんと息子に約束した。
父さんは戦地から手紙を送ってくれた。読み書きできないジャクロの代わりに母さんが手紙を読んでくれて、ジャクロの分まで返事を書いてくれた。
けれども父さんからの手紙は、戦争が終わる少し前に途絶えてしまった。
半年前に帰ってきたのは、父さんではなかった。一通の封筒と、父さんが若い頃にもらった黄金の獅子勲章、それだけだった。
ジャクロは字が読めないけれど、郵便屋さんから封筒を受け取った瞬間に母さんが泣き崩れたのを見たから、よくない報せだったのだと知れた。
残された母子に、国は一銭も出してくれない。暮らし向きは急に傾いた。母さんはジャクロを養うために、朝な夕な働きに出ている。その間、ジャクロはひとりぼっちだ。
雑穀パンとハム三枚、あり合わせの野菜とジャガイモを煮込んだ味の薄いスープ。朝昼兼用にしては粗末な食事をお腹に詰め込んだ後、家に鍵をかけて散歩に出かけるのがジャクロの日課だ。
羽織った上着は去年配給でもらったものだが、いつの間にやらつんつるてんだ。右袖の銀ボタンが、取れかかって危うげにぶら下がっている。
ポロンは地方都市ではあるものの、山をひとつふたつ越えた先にある首都ディターニアに比べれば片田舎に過ぎず、ずっと治安がいい。蒸気自動車にさえ気をつけていれば、ジャクロがひとりで出歩いていても、さしたる危険はない。あまり遠くには行かないで、暗くなる前に家に帰るという約束で、母さんから家の鍵を預けられているのだ。
ジャクロは母さんとの約束を、毎日きちんと守っていた。
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