第54話 番外編②~聖女の憂鬱~【後半】

※前半を読んでからお読みください。



「孤児院への慰問?」

「ああ、以前カナも興味を示していただろう?」

児童クラブでボランティアをしたことがあると話していたのを覚えていたのだろう。不自由な生活を気遣って外出許可を取ってくれたのだと思うと久しぶりに自然な笑みが浮かぶ。

「ありがとうございます、ラルフ様」

そう言うとラルフもほっとしたように笑みを返してくれた。


(どんな子供たちがいるんだろう、あっちの世界の遊びを教えたら喜んでくれるかな?)

わくわくした気持ちで孤児院に到着したカナを出迎えてくれた院長は緊張しながらも歓迎してくれたが、子供たちの表情はどことなく暗い。

(ラルフ様も一緒だし緊張しているのね)

そんな呑気な感想は幼い少女の一言で吹き飛んだ。


「シャーロットさまはどこ?」

すぐ傍にいた年嵩の子供が小さな声で注意するのが、こちらまで届いてしまう。

「しっ、黙ってろ。シャーロット様は……もう来れないんだって言っただろう」

「いやだ!シャーロットさまがいいもん!おえかき上手になったの、ほめてもらうの!!」

院長の顔色は蒼白で、気まずそうにカナから視線を逸らす。


(誰も彼もシャーロット様のことばかり……どうしてあの人ばっかりなの)

気づけば少女の傍に歩み寄っていて、ラルフの声が背後から聞こえたような気がしたが構う余裕などなかった。

「シャーロット様はもう来ないわ。あの人はリザレ王国を捨てたのよ」

しんと場が静まり返る。子供も一瞬きょとんとした表情になったが、次の瞬間激しい泣き声が響き渡り、カナは我に返った。


「ミーシャ!――っ、誰のせいだと思ってるんだ!!」

隣にいた少年が少女を庇うように抱きしめてカナに向かって怒鳴った。周りにいた子供たちもそれに同調するように睨みつけている。彼らはシャーロットの居場所を奪ったのがカナだと理解しているのだ。


(私……最低だ)

取り返しのつかない言葉にカナはその場から逃げ出すように駆け出した。息が苦しくて仕方ないが、それよりも心が切り裂かれたようでその苦痛から逃れるようにカナは必死で足を動かす。

(あんな酷いこと言うつもりじゃなかったのに……)

親に捨てられた子供もいる中で、絶対に口にしてはいけない言葉だった。それでも我慢できなかったのは、もう限界だったからだ。


ラルフの婚約者になってからずっとシャーロットと比べられてきた。カナだってラルフの役に立ちたくて必死で頑張ったのに誰も認めてくれない。

元々貴族としての行儀作法が必要としない環境で育ち、見知らぬ世界に来た自分が出来なくて当然だと反発する気持ちがいつの間にか大きくなり、理解されない苦しさに精神が疲弊していった。


視界が開けたかと思うと目の前には川が流れている。飛び越えるにはちょっと躊躇するような幅で、水面に映る自分の顔がひどく醜く見えて目を逸らした。息を整えているとずっと心の奥にあった感情が浮かびあがってきて、自嘲的な笑いが漏れる。


(私、ずっとシャーロット様に嫉妬してた。もっと嫌な人なら良かったのに)

一緒に過ごす時間は少なかったが、カナのことを気に掛けて刺繍を教えてくれたり、お茶を飲みながらさり気なく知識を教えてくれるシャーロットは表情には出ないものの、とても良い人だったのだ。友人だと思っていた令嬢たちは手の平を返すように態度を変えたことも、シャーロットの優しさを改めて感じる要因となっていた。


そんなシャーロットの婚約者であるラルフを奪ったという罪悪感からシャーロットに非を押し付けようとした自分はあまりにも醜い。

「もう、ラルフ様の傍にいる資格なんてないよ」

「そんなことは、ない!」

川のせせらぎと自分の呼吸音で足音を聞き逃していたのだろう。咄嗟に逃げようとしたが、背後から抱きしめられて抵抗する気が失せる。


「カナは僕のことを買いかぶりすぎなんだ。次期国王になるための覚悟や自信なんてなかったし、母上や周囲の人間が何をしているかきちんと見ようとしなかった愚か者でしかないのに」

そんなことない、と口にしかけてラルフが腕に力を込めたことで止められたような気がして続きを待った。


「公より私を優先したから廃嫡されるのは当然だ。僕から離れていく人間が多い中でカナは僕への態度を変えなかった。それがどれだけ嬉しかったか分かるかい?」

「そんなの当たり前です!私はラルフ様が王太子だから好きになったわけじゃないもの。……それに私が原因なのに」

堪えきれずに涙が溢れた。大好きで大切な人の立場を自分のせいで失わせてしまったことが悔しくて苦しい。シャーロットが婚約者のままだったらラルフは今でも王太子であったのだ。


「僕はこれで良かったのだと思う。僕が後悔しているのはカナに無理をさせたことと、ちゃんと話を聞いてやれなかったことだよ。辛かったね」

その一言でもう駄目だった。感情が一気に溢れてわあわあと子供のように泣くカナをラルフは黙って寄り添ってくれたのだった。


「……ラルフ様、ごめんなさい」

一生分というのは大げさだが、散々泣いてすっきりした頃には頭も冷えてカナは落ち着きを取り戻していた。

「謝らなくて大丈夫。それよりもカナはこれからどうしたい?僕に出来ることは少ないかもしれないけど、カナのために何かしたいからもっと頼ってほしいんだ」


(あ……)

周囲の悪意や言葉を警戒するあまり、ずっとラルフを気にする余裕がなくなっていたことに気づく。もっと言えばラルフへの罪悪感と嫌われることへの恐怖から見ようとしなかったのかもしれない。

「私……」

「うん」

大丈夫だよと言うようにカナの目を見て頷くラルフに勇気を出して口にした。


「孤児院に行って謝りたい。許してもらえなくてもちゃんと謝って、あの子たちのために何かしたいし、もっと教会の仕事を手伝って役に立ちたい」

ただの女子高生だったカナに出来ることなんてたかが知れている。いつか元の世界の知識が役に立つ日が来るかもしれないが、今は目の前にあることをしっかりやっていくしかないのだ。


「僕も王族としての仕事しかやったことがなかったけど、出来ることから始めてみるよ。二人で頑張ろう」

「うん、ラルフ様大好き」

二人でと言ってくれたことがとても嬉しくて告げた言葉に、ラルフが真っ赤になってとても可愛いと思ったのは内緒だ。

それから二人で護衛と大司教から説教を受ける羽目になったが、不安はすっかり消え失せていた。



その後カナの一言をきっかけに算盤が作りだされることになった。そして子供が身に付けたい教育の一つとして脚光を浴びるようになり、カナとラルフは教育者として活躍するようになるのだが、それはまだ少し先の話である。

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