第53話 番外編②~聖女の憂鬱~【前半】
※長くなったので前半と後半に分けてます。ご注意ください。
朝を告げる鐘の音が遠くから聞こえてくる。
(起きたくない……)
眠りにつけば嫌な現実を忘れられるが、すぐに誰かが起こしにくるだろう。そうすれば怠惰な人間だと軽蔑の眼差しを向けられて苦しい思いをするのは自分だ。
のろのろと寝台から出て憂鬱な気分で身支度を整える。王宮にいた頃は専属の侍女が全てやってくれたが、今のカナには誰もいない。
変わってしまった周囲と環境に元の世界への恋しさが募る。ラルフと出会い恋に落ちて、想いを返してくれたことは奇跡だと思った。婚約者がいて何よりも本物の王子様なのだから、ずっと一緒にはいられない。それでも突然見知らぬ場所でたくさんの人に囲まれて不安だったカナに、優しい声を掛けてくれたラルフと少しでも一緒にいたかった。
シャーロットも親切だったが、完璧な令嬢である彼女が内心どう思っているか分からずカナは苦手意識を持っていた。だから申し訳なさはあったものの、ラルフが婚約解消してシャーロットよりカナを選んでくれたことの喜びのほうが勝ったのだ。
(全部シャーロット様のせい……。婚約解消してすぐに他国の皇帝と婚約するなんてラルフ様のこと何とも思っていなかった証拠なのに)
ラルフのために我慢しようと思ったのに、まともに話すら聞いてもらえなかった。まだ婚約でしかないのだから、きちんと説明して頭を下げれば理解してくれると思っていたカナにとっては裏切られたような気分だ。
落ち込んでいた上に皇帝からも責められて、憔悴するラルフの様子に何かを間違えたことは理解できたが、一体どうすれば良かったのか。
そうしてエドワルド帝国からカナたちを待っていたのは蔑みと怒りの眼差しだった。
「ラルフ様が廃嫡……?」
「ええ、王族として責任を取らねばなりません。兄上は国よりも個人を優先させ、王太子妃の条件を兼ね備えた令嬢との婚約を解消した挙句、エドワルド帝国皇帝の怒りを買いました。未来の皇妃であるシャーロット嬢の母国として友好な関係を築いていくはずだったのに、台無しですね」
ラルフについて話しているのに、レオンの視線はカナに向けられている。誰のせいでそうなったのかと無言で責められているようでカナは俯いた。
「今回のことは私に責任がある。だがどうして母上は永蟄居の罰を与えられたのだろうか?」
カーリナとは2度しか顔を合わせたことがないが、カナのことを快く思っていないことは十分に伝わってきた。そのため同情する気持ちはなかったものの、気になることであったため顔をあげてレオンの言葉を待つ。
「……兄上は何もご存知ないのですね」
病弱な弟だと聞いていたし、実際に会った時には儚い雰囲気があり可哀そうだと思ったのを覚えている。だが今は陰を帯びた弱々しい表情から一変して、知性の宿る瞳に明朗な口調、自信が溢れる態度はまるで別人のようだ。
レオンの表情に哀れみが浮かび、玉座に座る国王がレオンの言葉を引き取った。
「カーリナの罪は色々あるが、高官たちの買収、公文書偽造、侯爵令嬢への虐待、そしてレオンへの暗殺未遂が主たるものだ」
「母上が……」
絶句するラルフにカナも掛ける言葉が見つからず、おろおろと視線を彷徨わせてしまう。
「私の暗殺については母の身分と立場を考えれば、仕方がないと割り切っていました。ですがシャーロット嬢への仕打ちは完全に私怨であり幼い子供に精神的、肉体的苦痛を与えるなど、人としての道を外れていますね」
その言葉にカナは頭を殴られたような衝撃を受けた。
レオンの話によると教育係に体罰や侮蔑的な言葉を日常的に行わせていたらしい。シャーロットの父であり宰相でもあるサイラスがその事実を知ってからあれこれと手を尽くし、集めた証拠と苛烈な追及を王妃は躱すことが出来ずに処分が確定した。
ラルフにとって実母がそのような悪辣な振る舞いをしていたことへのショックが大きかったようだが、カナはまた別のことで頭がいっぱいだった。
(シャーロット様は恵まれた令嬢ではなかったの?)
生まれた時から何一つ不自由のない生活で、最高の教育や環境を与えられて育てられた女性だと思っていた。だからこそ自分の気持ちや苦労が分からないのだろうと——。
(でも、やっぱりシャーロット様は初めからそういう環境にいたのだから私とは違う。確かに幼い時に苦労したのかもしれないけど、リザレ王国から与えられた知識や教育をリザレ王国のために役立てるべきよ。だから身勝手なのはシャーロット様だし、私は悪くないわ)
自分に言い聞かせることに気を取られていたカナは、レオンが冷ややかな眼差しを自分に向けていることに気が付かなかった。
ラルフの廃嫡とともにカナは教会に預けられることになった。
ラルフと二度と会えなくなるのではと不安に駆られたが、情勢が落ち着くまでラルフもまた教会で謹慎することとなったのだ。
ほっと胸を撫でおろしたが、ラルフに起こったことを考えれば喜んでいい筈がない。どんどん自分が嫌な人間になっていく気がした。
教会に身を寄せてからも針の筵に座っているような状況は変わらなかった。
「ラルフ殿下もお可哀そうですわ」
「あの方に唆されてしまったばかりに廃嫡だなんて…」
「王妃に相応しいのはシャーロット様だったのに、何を勘違いしたのかしら?」
修道女の中には一時預かりで滞在している貴族令嬢も一定数いる。行儀見習いの一環として預けられるのだが、噂好きな彼女たちが格好の話題に大人しくしているわけがなく、嘲笑と見下すような態度を隠そうともしない。
(まるで子供のイジメね。ばっかみたい)
窓ガラスを磨きながら聞こえよがしの悪口を心の中で毒づいて無視する。相手にするだけ無駄だと仕事に集中することで感情に蓋をした。
異世界から来た聖女は本来なら保護対象であり、雑用をする必要はないのだが何もせずに衣食住を与えられるのは落ち着かないし、無駄飯ぐらいと後ろ指を指されるよりは仕事をしていたほうが気も紛れる——筈だった。
がしゃんという音と甲高い悲鳴が上がる。音がした方向に顔を向ければ、バケツが倒れており近くにいた令嬢の裾が濡れていた。
「こんな嫌がらせをするなんて酷いわ」
そう言って令嬢はカナを睨んでくるが、嫌がらせするほど相手を知らないし、バケツだって邪魔にならないよう隅に寄せていたのだ。
面倒だなと思いながらも何と言葉を掛けたらよいか迷っていると、馬鹿にされたと感じたのか令嬢が激高した。
「謝罪の一つも出来ないなんて、聖女なんて言っても本当は下賤の身じゃないのかしら!それなのにラルフ殿下に言い寄った挙句、あの方に迷惑を掛けるなんて恥を知りなさい!」
言い返す言葉が出てこない。自分の存在がラルフに迷惑を掛けたのは動かしようのない事実だったからだ。
勝ち誇った表情を見せる態度が悔しくて、でもこの令嬢の前では絶対に涙を見せるものかと歯を食いしばる。
「淑女にあるまじき品のない声ね。それに平等をうたう教会内で身分を持ち出すのはどうかと思うわ」
こつりと靴音を響かせて現れたのは燃えるような赤髪が美しい令嬢だった。堂々とした態度から推測するにこちらに絡んでくる令嬢よりも身分が高いのだろう。
「――っ、失礼いたしますわ」
そそくさと立ち去る令嬢を止めることもなく、赤髪の令嬢はそのまま立ち去ろうとしたのでカナは慌ててお礼を言う。
「あの——ありがとうございました!」
「礼を言われることではありませんわ。淑女として相応しくない態度でしたし、シャーロット様なら黙って見過ごさなかったでしょうから」
何故ここでシャーロットの名前が出て来るのか。理解できずにカナが目を丸くしていると令嬢は変わらない表情のまま続けた。
「あの方の代わりに貴女が何を為すのか、常に試される立場にあることを努々お忘れにならないよう」
それだけ告げて背中を向ける令嬢を呼び止める言葉など浮かんでこなかった。
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