第52話 番外編~ケイシーの葛藤~
(シャーロット様、本当に幸せそうだったわ)
結婚式のシャーロットの姿を思い浮かべると、自然に笑みがこぼれる。婚約解消を機にすっかり変わってしまった大切なお嬢様に胸を痛めながらも傍にいることしか出来なかったが、今では昔以上に信頼してくれるのが分かる。
それもこれも全てカイルのお陰だ。
シャーロットが6歳の頃から特別に想っていたと聞いたときには少し警戒したものだが、心から愛しそうに慈しんでいる様子に、この方ならシャーロットを悲しませるような真似はしないだろうと思えた。
「ケイシー、危ないよ」
背後から掛かった声に思わずびくりとした。
振り向けば夜闇と同一化したような黒一色を纏った男性が立っている。最初に見た時は思わず悲鳴を上げてしまったが慣れとは恐ろしい。
「何が危ないのですか?」
少しだけ声に苛立ちが混じってしまったが、男は気にした様子はない。
「外でそんな可愛い顔したら駄目だよ。いつもよりずっと無防備な表情を見たら俺のケイシーを望む奴が増えてしまう」
「貴方のものになった覚えはございません」
拒絶の意味を込めてきっぱりと否定したのに、男は目を細めて嬉しそうにケイシーを見つめている。
「少し気が早かったかな?ごめんね、俺の大切な可愛いケイシー」
「――普通に名前だけで呼んでください」
この男はよく可愛いという言葉を使うが、毎回誰のことを言っているのだろうと疑問に思う。きつく見える顔立ちと素っ気ない態度は男性から敬遠されることを知っているし、それはケイシーが望むことだったため、特に変えようと思ったことはない。
「じゃあケイシーも俺のこと名前で呼んでよ」
「………」
直接顔を合わせた時に名前は聞いている。だけど一方で彼の立場は特別なものであり、隙あらば距離を詰めようとしてくる節があるため口にするのを躊躇ってしまう。
「……御用がなければ失礼いたします」
一礼して背中を向ければ、引き留める言葉は聞こえなかった。
(でも、さっきは少し気が緩んでいたわ。シャーロット様の専属侍女として恥ずかしくないよう常に冷静な態度でいなくてはね)
気づかせてくれたことに感謝はするが、口に出せば面倒なことになる。もやもやした気分になるのはお礼を伝えられなかったことへの罪悪感だろう。
(思えばあの人は最初から人の話を聞かなかったわ)
ぱたんと扉が閉まる音がして不思議に思ったが、それよりも茶葉の蒸らし時間に気を取られていた。陛下の側近であるリトレ秘書官がシャーロットに危害を加えるとは思っていなかったが、人の好さそうな笑顔には裏がありそうだったしわざわざケイシーを遠ざけたことで何か企んでいるのではないかと不安が募る。
別荘での滞在で二人の距離が縮まりつつあるのを見守っていたのだが、ある晩を境にまたシャーロットは距離を取るようになった。
(まだお嬢様は心の傷が癒えていらっしゃらないのかもしれないわ)
長年努力を重ねてきたシャーロットの努力を踏みにじるかのような仕打ちを思い出せば、身体が震えるほどの怒りを感じるが、幸いカイルはシャーロットのことを大切にしてくれている。時間を掛けて少しずつでいいから笑顔を取り戻してほしい。だからこそ余計なことをしないで欲しいとケイシーは心の中で祈っていた。
「え……?」
支度が整いドアノブを捻るが開かないのだ。
(……閉じ込められた?)
「ごめんね、少しそのままでいて欲しいんだ」
扉の向こう側から男性の声が聞こえてきて、ケイシーは血の気が引いた。一介の侍女であるケイシーを閉じ込める理由などなく、シャーロットから遠ざけることが目的なのだと察したからだ。
「彼の方は大丈夫。ただリトレ秘書官殿と話をする時間が欲しいだけなんだ。きっとそれが陛下にとっても彼の方にとっても必要だと思うから」
彼の方というのはシャーロットのことだろう。だがケイシーは男の言葉をそのまま鵜呑みに出来なかった。断りもなく閉じ込められた上に姿を見せない相手など信用に値しない。
「俺は少し特殊な立場だから姿を見せることは出来ないんだ。でも君にも彼の方にも決して危害を加えないと誓うから、少しだけ我慢して欲しい」
ケイシーの心を読んだかのように告げる男の言葉にケイシーは押し黙った。どうやら相手は手慣れているようだし、下手に騒ぎ立てて刺激するのも良くないだろう。
(いざという時は少し狭いけど窓から逃げ出せるはず)
こっそり足音を忍ばせて窓の外を確認する。幸いにも1階なのでそこまで高さはなく、青々と茂った柊が邪魔なぐらいだ。
「窓から出ては駄目だよ。柊の葉は君の身体を傷つけてしまうからね」
同じ部屋にいる訳でもないのに、ケイシーの行動を見透かしたかのような言葉を掛けてくる。下手に動けばシャーロットに迷惑がかかるかもしれない。不安な気持ちを抱えながら過ごしたのは、恐らく10分程度の時間だったがケイシーにはとても長く感じられた。
「陛下がいらっしゃったようだ。もう大丈夫だよ」
僅かに鍵が開く音がして、恐る恐る外に出ると誰もいない。ほっと安堵の息を吐くとともにケイシーは急いでシャーロットのもとに向かった。
淡々とした口調の中にもこちらを気遣う気配を見せた男性のことを少しだけ考えながら——。
二度目の邂逅はもう少し距離が近かったとはいえ、羽交い絞めにされた上にまたとしても顔が見えない状態だった。
苛々している中突然バルト伯爵令息を勧められて溜息を吐きたくなったところに急に現れたのだ。
(しかもどさくさに紛れて勝手に自分の物扱いしてたわよね)
結局顔をまともに見たのは三度目の時だ。久しぶりの休日で外に出た途端に声をかけてきたのは綺麗なヘーゼル色の瞳と焦げ茶色の細身の男性で、すぐに件の男性だとは分からなかった。
「今日も俺のケイシーは可愛いね。陛下から許可が下りたからやっと君の前に姿を見せることが出来た。俺のことはシドと呼んで。あ、護衛兼荷物持ちとして一緒に行くからよろしくね」
立て板に水のごとく話す男性——シドにケイシーは口を挟む余裕も与えない。当然のようにケイシーの持つ籠を手にして、もう片方の手を差し出されたところでケイシーはようやく我に返った。
「あの、そもそも貴方は何者なのですか?」
聞きたいことは山ほどあったが、まずは素性をはっきりさせたいと思ったのが間違いだったのかもしれない。
「俺は影だよ。陛下以外の前には姿を現さない特殊な部隊だ。その存在も公然の秘密で例外はその伴侶ぐらいだね」
内容があまりにも規格外過ぎて、頭が上手く働かない。第一陛下の前以外に姿を現さないと言っておきながら、自分の前に堂々と姿を現しているのだ。
「私、もしかして……消されるの?」
気づかないうちに知ってはいけない皇室の秘密にでも触れてしまったのだろうか。声に出した途端、恐ろしくなり身を竦めたケイシーを見てシドは困ったように笑った。
「そんな訳ないでしょ。ケイシーは俺の大切な未来の伴侶なんだよ?これからはしっかりアプローチするから覚悟してね」
その言葉どおりその日を境にシドはケイシーの前に頻繁に姿を現すようになったのだ。
「ねえケイシー、陛下の配下の方に求婚されているって本当なの?」
シャーロットの言葉に思わずカップを持つ手が震えた。普段なら絶対にあり得ないが、シャーロットより大切な話があるからと人払いをして向かい合ってテーブルについている。
「それは……一応その事実はありますが……」
シドが姿を見せるのはケイシーが一人でいる時だけだ。他の人に姿を見せないらしく、急に消えたかと思えばそれからすぐに侍女や騎士が現れるということもよくあった。
だからどうしてシャーロットが知っているのかと疑問に思ったが、すぐにその理由が分かった。
「最近ケイシーの様子が違うからカイル様に相談したの。そうしたらそれが原因じゃないかと教えてくださって」
シャーロットが心配したためにカイルはあっさり影の存在とケイシーとの関係をばらしたらしい。そもそもカイルの許可をもらったと言っていたので、正直出さないでくれたらこんなに色々頭を悩ませる必要はなかったのだ。
「あのね、それがケイシーの負担になっているようだったら教えて欲しいの。私から諦めていただくようにお話するわ。私の大切な侍女を困らせているのならちゃんと守ってみせるから頼ってちょうだい」
真剣な眼差しからシャーロットが案じてくれているのが分かり、目頭が熱くなる。その心遣いが嬉しくてケイシーは素直な気持ちを口にした。
「ありがとうございます、シャーロット様。何というか困っていない訳ではないのですが——嫌でもないのです」
シドの言動に振り回されている自分に腹立たしく思うことはあるが、シドが嫌いだとは思えないのだ。本人には絶対に言わないけれど、好意を示され大切に扱われて心が揺らぐ時はある。それでも子供が産めない自分は彼に相応しくないのだと思ってしまう。
「ふふ、ケイシーのそんな表情初めて見たわ。じゃあこの件については余計なことをしないけれど、何かあったらちゃんと教えてちょうだいね?」
自分がどんな顔をしているのか分からなかったが、どことなく楽しそうな表情のシャーロットに何だか頬が熱い。
「……お気遣いありがとうございます」
その後は何気ない話題が上がったが、ケイシーはどことなく落ち着かない気持ちでお茶会を終えた。
「ケイシー」
聞き慣れた声に振り向けば鮮やかなオレンジ色の花束が目に飛び込んできた。
「俺の愛しい人、どうか俺の伴侶になってください」
「――っ」
今まで仄めかされていたけれど、こんなに直接的な求婚は初めてだ。
(どうしよう…私、まだ答えられないわ)
だが流石にこれは選ばなければならない。受け入れるか断るか、どちらの選択をしても後悔しそうな気がする。
「まだ迷っていいよ。俺、気は長い方だしケイシーのためならいつまでも待てるから。ただしっかりと意思表明はしておこうと思ってね。――嫌じゃないんだろう、俺の可愛いケイシー?」
「――っ、聞いてたの?!」
「俺は彼の方の護衛だからね」
楽しそうに笑うシドはケイシーに花束を押し付けた。咄嗟に受け取って両手が塞がった隙に頬に柔らかい物が触れた。
「ちょっと、シド!」
「やっと呼んでくれた。愛してるよ、ケイシー」
現れた時と同じくあっという間にシドは姿を消す。頬に残る唇の感触と花束が、シドが存在していたことを表わしている。じわりと胸を満たす感覚は困ったことに不快ではないのだ。
シドのことを知りたいし、自分のことを知ってほしい。答えを出すのはそれからでも遅くないのだろう。
花の芳香に頬を緩ませながら、ケイシーは次に会った時にシドと話すことを考えつつ軽い足取りで部屋へと向かった。
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