第49話 聖女の言い分
「我が君」
ノルデ領主夫妻が謁見の間を退出していくのを見届けて、シャーロットのことを考えていた矢先に声が掛かった。
「何だ」
「彼の方が聖女に侮辱されました」
思わず振り返ると淡々とした影は瞳の中に珍しく感情を灯らせていた。影からの報告を黙って聞いていたカイルだが、その内容に不快感と怒りを抑えるのに精一杯だ。
「ネイサン、あの二人を連れて来い」
低い声で告げればネイサンは黙礼して部屋を後にした。普段であれば公務を優先させるため諫めようとするのだが、心底腹に据えかねているのだと察したようだ。
(シャーロットの善意を踏みにじるような真似をして、ただで済ませるものか)
シャーロットがパーティーで機転を利かせ二人を庇ったのは祖国からの招待客であり、旧知の間柄だったからだ。それに感謝こそすれ自分の要求を通そうとする聖女にカイルは良い感情を抱いていなかった。
それでも話し合いの場を設けることを許可したのは、他ならぬシャーロットが聖女に同情的であり祖国のことを、恐らく父親のことを気に掛けていたからだ。
「許さない、絶対に」
小さな呟きが謁見の間に落ちる。控えていた騎士たちは皇帝の激しい怒りを肌で感じ取って、リザレ王国からの客人たちに僅かに同情した。
青ざめた表情のラルフと対照的に聖女はどこか不貞腐れたような態度を見せている。わざわざカイルが呼びつけたことでラルフは事の重大さを理解しているようだが、聖女を御せなかったのだから容赦する気はない。
彼らが部屋に入ってきてからずっと無言で睥睨し圧力を掛けていたカイルだが、ようやく口を開いた。
「俺の大事な婚約者がそちらの聖女から侮辱を受けたと聞いているが、本当か?」
「いえ、決してそのようなつもりはございません。彼女との間には誤解が——」
慌てて弁解するラルフだったが、不用意な一言によりさらに場を凍り付かせることとなった。
「彼女とはシャーロットのことか?随分馴れ馴れしい呼び方をする」
カイルの口調がますます冷やかさを帯びて、ラルフは顔を引きつらせる。
シャーロットはエドワルド帝国皇帝の婚約者なのだ。元の身分がどうあれ客人として訪問している以上、それなりの敬意を払う必要があるのにそのことすら失念しているらしい。
「――っ、失礼いたしました!ブランシェ侯爵令嬢との話し合いにおいて、行き違いがあったことは事実でございます。なにぶん異世界から来た聖女ですので元の世界との文化や価値観の違いからブランシェ侯爵令嬢には不快な思いをさせてしまいました。大変申し訳ございません」
稚拙な言い訳に不快感が増す。
「非常識な人間をわざわざ連れてくるなど我が国を愚弄しているつもりだろうか?そちらの教育不足であるのに、どうしてこちらが許容しなければならないんだ?」
ぐっとラルフは言葉を詰まらせて唇を噛みしめているのは、カイルの言葉が正当なものだからだ。国同士の親交がどれだけ重要なのか、それを理解できないのならば王族を名乗る資格などないだろう。
(聖女に心を傾けすぎて見誤ったか。この王太子には一国の主たる資格はないな)
心の裡でラルフを見限ったカイルはカナに視線を向けた。
「さて、ラルフ王太子はこう言っているが聖女の言い分は違うようだな。発言を許すから言ってみろ」
非常識だと言われたせいか、ラルフがやり込められたためか分からないが、カナの瞳には怒りが宿っていた。
「私はシャーロット様に助けて欲しいとお願いしただけです。侮辱なんてしていません。国のために尽くすのが高位貴族の義務だといつもおっしゃっていたのはシャーロット様なのに、ラルフ様のことなんてもうどうでもいいみたいに冷たい態度を取るから…」
「当然だろう」
(聖女がここまで幼稚で愚かだとは思わなかった)
シャーロットは最早リザレ王国の人間ではなく、エドワルド帝国側の人間だ。もっと言えば婚約解消された相手とその原因である聖女の身勝手な要求にどうして応えると思うのだろうか。
「リザレ王国では婚約者の入れ替わりが簡単に行われている国なのだな。家同士の約束事を簡単に反故するような国とは付き合いを考えたほうがよさそうだ」
切り捨てるように言い放ち部屋を後にするカイルの背後から、ラルフの懇願が聞こえたがこれ以上相手にする気にはならなかった。確認すべきことは終わったのだからリザレ王国の処遇は後回しにしても構わない。
(きっとロティは傷ついたはずだ)
カナとシャーロットが交わした会話を影は一言一句覚えていて、それをカイルへと伝えていた。公の場で婚約を解消されたのに、自分たちの都合で公務を行わせるためだけに婚約を結びなおそうとするなど、どれだけシャーロットを馬鹿にしているというのか。
急いでいたあまりノックもせずに扉を開ければ、シャーロットは虚ろな表情で涙を零していた。その表情は幼少時に大切な物を手放した時のものと酷似していて、ぞくりと肌が粟立つ。
拒絶する言葉と素振りに構わずにカイルはシャーロットを抱きしめる。
この腕の中に留めておかなければシャーロットが何処かに行ってしまう、そんな気がしてカイルはシャーロットを安心させる言葉を掛け続けたのだった。
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