第48話 動揺
(正妃になるためにリザレ王国に戻る?……何を、言っているの……)
言葉は理解できたのにその意味を理解することを頭が拒否している。
「失礼ですが、そろそろお時間でございます」
呆然とするシャーロットを見兼ねたのかケイシーが間に入った。その口調は冷ややかで客人に対する態度ではない。カナの発言にケイシーが心底腹を立てているのだと分かる。
(非常識でとても不躾だわ)
婚約解消された原因が誰だったのか忘れているとでもいうのだろうか。カイルが手を差し伸べてくれなかったら、屋敷に引きこもり悲嘆に暮れていたに違いない。
そもそも今のシャーロットはエドワルド帝国皇帝の婚約者なのだ。外交問題に発展してもおかしくない発言であるのにカナはそれすら理解していない。
「今のお申し出は聞かなかったことにいたします。どうぞお引き取り下さい」
声音に苛立ちが混じってしまったが、それに気づいたカナは何故か困惑した表情を浮かべている。
「それはシャーロット様の本心ではありませんよね?12年間ラルフ様の傍にいたのに、そんな簡単に見捨てるなんてこと——」
これ以上は聞きたくないと話を打ち切るために立ち上がったシャーロットに、カナは必死な様子で訴える。
「お願いです、シャーロット様。ラルフ様に意地悪しないでください。シャーロット様だってラルフ様のこと想っていらっしゃったはずなのに酷いです。戻ってきてくれればラルフ様だってシャーロット様のことを大切にしてくれますよ」
それがどれ程の侮辱なのか、酷い暴言を吐いているのかカナには分からないのだろう。自分たちの都合だけで簡単に婚約解消したのだから、今度も同じことができると無根拠な思い込みは愚かとしか言いようがない。押し付けられた考えと非難を跳ねのけるようにシャーロットは毅然とした口調で告げた。
「要らないわ。カイル様は私のことを大切にしてくれますもの」
ケイシーに目で合図してシャーロットはその場を立ち去ろうとした。一応客人であるカナを無理やり連れ出すことは出来ないが、シャーロットがいなくなれば留まる理由がなくなる。
「シャーロット様には人を愛する気持ちが分からないんですね。ラルフ様からすぐに皇帝陛下に乗り換えられたのがその証拠だわ」
背後から投げつけられた科白に思わず息が止まりそうになる。平静を装って足を動かしながらも、カナの言葉が頭から離れない。
そんなに簡単に気持ちを切り替えられたわけではない。苦痛に耐え悲嘆に暮れながらも残された自尊心がシャーロットを支えていた。その傷を癒してくれたカイルには感謝の気持ちしかないのだが、それに引き換え自分はどうだろう。
(私も彼らと同じだわ)
考えないようにしていたけれど、心の奥にはラルフとカナに対して恨む気持ちがあった。彼らの身勝手な振る舞いを嫌悪し、簡単に心変わりをしたことを軽蔑していたのだ。
婚約解消からたった4ヶ月で何とも思わなくなったのは、シャーロットが薄情な証拠なのだろうか。あれだけ苦しい思いをしたのに、カイルの差し出す愛情に甘えて彼の隣に立つ資格があるのだろうか。
指先が冷えて力が抜けていくようだった。
(今の私にはあの二人を非難する資格などないわ)
「お嬢様、シャーロット様!」
気づけば自室に戻っていて、指先をケイシーの温かい手が包んでいた。
「大丈夫よ、ケイシー。少し一人にしてちょうだい」
泣きそうな表情のケイシーに静かに告げて、やんわりと手を解く。
「聖女様の言うことなど全て言いがかりにすぎません。非難されるべきは恥知らずにもあのような提案をしてきたあの方です」
退出する前にそう慰めの言葉を掛けてくれたケイシーだったが、それが胸に響くことはなかった。
(私はカイル様の役に立っていると言えるのかしら……)
たくさんの愛情を注いでくれたカイルに同じだけの気持ちを返せていないこと、差し出せるような価値を持ち合わせていないことを思い知らされる。
何よりカナから言われた、ラルフからカイルに乗り換えたという下品で不快な言葉はシャーロットを酷く動揺させていた。
小国の王太子から大国の皇帝の婚約者となったシャーロットは、内情を知らない第三者から見ればより力のある男性を選んだように見られるのかもしれない。そしてそれはあながち間違ってはいないのだ。
(私はカイル様を、カイル様の好意を利用しているのだわ)
リザレ王国内に留まれば好奇や嘲笑の的となり悪意に晒されるはずだった。しばらく引きこもっていたものの、侯爵令嬢として他家に嫁ぐとしても婿養子を迎えるにしろ社交は必須だったからだ。
カイルの婚約を受けることで、母国であるリザレ王国には有益な繋がりをもたらしつつ、ラルフやカナの姿から目を背け、逃げ出すことが出来た。そんな打算的な自分がカイルの隣に立つなど烏滸がましいし、何より自分自身が恥ずかしくてたまらない。
カイルを慕うこの気持ちも偽物ではないかという疑念がシャーロットを苛んだ。ずっと心を砕き大切に守ってくれていたカイルの献身的な愛情をこんな自分が受け取っていいのだろうか。
(傍にいたい、でも相応しくない、嫌われたくない、怖い——)
様々な感情がせめぎ合って涙が零れる。苦しさと不安から嗚咽が漏れた時、室内の空気が動いた。
「ロティ!」
大好きで大切で今一番会いたくない人の声が聞こえる。
シャーロットは隣に置いていたテリーを抱き寄せて顔を隠したまま、何とか言葉を紡ぐ。
「申し訳……ございま、せん。っ……一人に……して、くださいませっ」
「嫌だ」
いつもならシャーロットの希望を優先してくれるはずのカイルからきっぱりと断られた。
カイルが近づいてくる気配を感じたかと思うとテリーごと抱きしめられて、反射的にシャーロットは抵抗しようともがく。
「ロティ、大丈夫だ。もう怖くないから、よく頑張った」
その言葉でカイルが事情を理解しているのが分かった。シャーロットの葛藤には気づいてないのだろうが、それでも落ち着かせるように優しく背中をさする腕に強張った身体が解けていく。
(ごめんなさい、今だけは……)
心細さを打ち消すようにシャーロットはその優しさと温もりに縋るように、カイルに身を委ねた。
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