第42話 贈り物と許可

無意識に耳朶をなぞり、その存在を意識すると同時にどれだけ頻繁に触れているのだと落ち着きのない自分に苦笑する。


「執務室内なら構いませんが、人前ではご自重くださいね」

窘めるネイサンの声もどこか優しく、この側近が内心どれだけカイルのことを案じていてくれたか伝わってくる。

「悪い、どうも気になってな。じきに慣れると思うから今だけは大目に見てくれ」

外すという選択肢はあり得ない。シャーロットがカイルのために選び、贈ってくれたピアスなのだ。


「カイル様……よろしければ受け取っていただけないでしょうか」

そう言ってシャーロットは控えめにテーブルの上に小さな箱を差し出した。そこで昨日はシャーロットの身の回りの品を補充するために、王室御用達の商会の出入りがあったことを思い出す。

よく見なければ分からないが、シャーロットの瞳が不安そうに揺れているのに対してカイルは頬が緩むのを自覚した。


「嬉しいな。開けていいか?」

こくりと頷くシャーロットは未だ真剣な表情を浮かべているのは、カイルがどう反応するかを気にしてのことだろう。そう思うだけで既に最高の贈り物を得たような気分になる。自分のためにシャーロットが選んでくれた、そのことが嬉しくて仕方がない。


「これは……」

プラチナに僅かに灰白色がかったダイヤモンドが埋め込まれた一対のピアスだった。シャーロットの美しいプラチナブロンドとは比較しようもないが、それを彷彿とさせる贈り物に歓喜と愛おしさがじわじわと込み上げる。


「カイル様の御髪の色に合いそうだと思って選んだだけで、他意はございませんの。あまり高価な物ではございませんし、カイル様に相応しくないかもしれませんが……」

顔を染めながら一生懸命弁解するシャーロットの言葉に嘘はないのだろう。恐らく他の者に指摘されて気づいたのだと思うが、その様子が可愛くて少し悪戯心が湧いた。


「そうなのか?ロティの色ならいつでも身に付けていたいんだが。お礼にブルーダイヤのピアスを贈りたいと言ったら、ロティは嬉しくない?」

「っ、意地悪なことをおっしゃらないでくださいませ。カイル様のお色なら——私だっていつも身に付けていたいですわ」

徐々に俯きがちになりながらも、小さな声で告げられた言葉に愛おしさが募る。抱きしめたくなるが、適切な距離感を保てる自信がなかったので、代わりにシャーロットに別のお願いをすることにした。


「はは、済まない。こんなに嬉しい贈り物は久しぶりだな。早速付けたいのだが、ロティが付けてくれないか?」

「わ、私がですか?」

予想外の頼みにシャーロットは助けを求めるように周囲に視線を向けるが、唯一の味方であるケイシーは心得たように一礼して控えの間に下がった。

シャーロットが本当に困っていれば庇いだてするのだろうが、照れているだけと判断して行動しやすいよう配慮したようだ。


(一応信頼はされているようだな)

忠誠心の篤さはネイサンを通じて聞いていたし、ステフの件ではかなり憤慨していたらしいので僅かな懸念があった。侍女とはいえシャーロットが信頼している相手に不満や敵意を抱かれるのはよろしくない。以前はどこか距離感のあったシャーロットとケイシーは、最近では和やかな雰囲気になったと感じていたので尚更だった。


「それでは……失礼します」

細い指が位置を確かめるようにそっと触れて、カイルは思わず息を詰めた。

「カイル様?」

「あ、いや何でもない」

カイルの様子に気づいたシャーロットから声を掛けられるが、動揺を隠して誤魔化した。自分から触れれば自制が効かないと思ってのことだったが、逆の場合でも大差がないと気づいてももう遅い。万が一にでも傷付けないようにと真剣にピアスを填めるシャーロットは、顔を寄せ合う形になっていることに気づいていないようだ。


(これは最早抱きしめているのとほぼ変わらない距離じゃないか……)

それなのに抱き寄せて体温を感じることが出来ないのは、むしろ苦行でしかない。これは揶揄った罰だろうかと思いながらも、たどたどしい手つきでピアスを填めるシャーロットのいじらしさにカイルは相反する感情を持て余すこととなったのだった。




執務が一段落したところで、ネイサンはカイルに声を掛けた。

「さて、あまり時間は取れませんがシャーロット様のところで休憩されますか?」

「いや、今日はこちらでいい。シャーロットが気にするし、夕食は一緒に摂る予定だからな」

カイルの言葉にネイサンは手早くお茶を準備して、カイルの前に置いた直後のことだ。


「我が君」

温度の低い声がすぐそばで聞こえて、ネイサンはぎょっとした。

「どうした、何かあったのか?!」

カイルの表情が険しくなるのも無理はない。ネイサンがいるにもかかわらず影が姿を現したのだ。瞳の部分しか見えないよう顔を隠した姿であっても、通常影は皇帝の前にしか姿を見せない。


「危険はございませんが、大切なことをお伝えしたく」

ちらりとネイサンの姿をその無機質な瞳に映したように見えたが、気のせいであって欲しいとネイサンは切実に祈った。

目で促すカイルに、影は何故か居住まいを正した。


「この度は彼の方のお心を射止められましたこと、お慶び申し上げます」

「………は?」

流石にカイルも影からこのような祝いの言葉を掛けられるとは思っていなかったのだろう。もちろんそれはネイサンも同様だったが、何となく嫌な予感を覚えたのはこの影を見るのが二度目だからだ。


「つきましては俺にも伴侶を迎える許可をいただけないでしょうか」

そう言い終えると影の視線は明らかにネイサンに向けられた。僅かに殺気が込められているのは牽制だろうか。

「ちょっと、待て。色々聞きたいことはあるが、まずお前のいう伴侶は誰のことだ?」

「彼の方の侍女であるケイシーです。どこぞの伯爵令息が彼女を見初めたようでしたので黙って見ているわけにはいきません。ご許可をいただけないのであれば、別の手段を講じます」


(影って意外と喋るんだな)

現実逃避から思考を逸らしてしまったが、どう考えてもその伯爵令息は自分の又従弟であり、別の手段とやらに言及していないがどうやら生命の危機にあるのだと察してしまった。

「ネイサン、お前何か知っているのか?」

「アグネスがケイシー嬢とステフの仲を取り持とうとしたんです。ケイシー嬢にその気はないようでしたが、ステフは……ちょっと動揺していましたね」

正直なところアグネスの言葉でステフはケイシーを意識してしまい、必死で平静を保っていた。もしや満更ではないのではと思ったが、この場で口にすればステフの生存率を下げてしまう。


「ケイシーはお前のことを知っているのか?」

「まだ姿を見せていませんが、先日少しだけ話をしました」

それはほぼ知らない他人だということなのだが、影の声はどこか嬉しそうな響きがあった。

しばらくの沈黙のあと、カイルがどこか疲れたような表情を浮かべながら口を開いた。


「ケイシーはシャーロットの大切な侍女だ。彼女の意に沿わないことや危険に晒すような真似をしないと誓うなら行動を制限するつもりはない。仕事に支障をきたすことも駄目だ」

「かしこまりました。我が君の寛大なお心に感謝いたします」

その言葉とともに一礼すると、影は静かに姿を消した。


「陛下、よろしいのですか?ケイシー嬢が望まなかった時のことを考えると、何やら不穏な予感がしますが……」

「積極的に歓迎はしないが、あいつをずっとリザレ王国に置いていたのは俺だからな。多少の責任は感じる」

万が一暴走するようなことがあれば、同じ影から粛清を受けるので一応大丈夫だろうということで話は終わった。


影がいつからケイシーを想っていたか分からないが、どうもそう短い期間ではない気がする。主従って似るんだなとネイサンはカイルと影を思い浮かべて、重い溜息を吐いた。

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