第22話 別荘
鮮やかな緑と濃厚な木々の匂い、耳をすませば鳥の囀りが聞こえてくる。
「気に入ったか?」
「はい、とても素敵な場所でございますね」
遠くに来たことへの解放感と心地よい空間に気分が浮き立つ。
シャーロットとカイルは皇都から半日ほどの距離にある別荘を訪れていた。
「視察ですか?」
「ああ、直接確認したいことがあってな。そこからこの前話していた別荘も近いからロティも一緒に行こう」
視察は1週間後、移動を含め5日間の行程だという。昨日から授業を再開したばかりというのにそんなに休んでいいのかと逡巡するシャーロットにカイルは言葉を付け加える。
「ロティはベイールに行ったことはないだろう?現地を訪問しなければ得られないものもあるし、道中は民の暮らしを見ることも出来るからこれも勉強の一環だ」
そう言われれば躊躇う気持ちよりも楽しみに思う気持ちのほうが強くなる。そして何よりもシャーロットの葛藤を見抜いた上で掛けてくれたカイルの言葉が嬉しかった。
「カイル様、ありがとう存じます。とても楽しみですわ」
シャーロットの言葉にカイルも柔らかい笑みを浮かべた。
「皇帝陛下、今年もお目にかかれて恐悦至極に存じます。今年は婚約者様もご一緒ということで使用人一同張り切ってご準備いたしました。どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」
人の良い笑みを浮かべる別荘の管理人——マーカスは使用人を代表して出迎えの言葉を掛ける。
「ああ、今年もよろしく頼む」
短い言葉だがその声には親しみが込められているようで、カイルもまた別荘への訪問を楽しみにしていたのだと分かった。
案内された部屋は華美ではないが、重厚感がある自然な素材の優美さがあり、大きな窓の外には空の青さと木々の緑が広がっていて思わずため息が漏れる。
(本当に素敵な場所だわ)
ほとんど王都でしか過ごしたことのなかったシャーロットにとってこんなに自然豊かな場所にくるのは初めてだった。さりげなく置かれたポプリのほのかな匂いで心を落ち着かせていると、荷解きをしていたケイシーが手を止めて嬉しそうな笑みを浮かべていることに気づく。
「シャーロット様がそんな表情をされているのは久しぶりでございますね。さあどうぞ、こちらをお召しになってください」
ケイシーの指摘に少しだけぎくりとする。確かに心が緩んでしまったようだが、気を抜き過ぎてしまったのかもしれない。自分がどんな顔をしていたのか気になったが、何事もなかったような振りをして支度を済ませた。
ダイニングルームに入ると、既に昼食の準備が整っており美味しそうな香りが漂っている。傍に控えている優しそうな中年の女性——アンヌは別荘で料理を担当しているという。
「メインディッシュは近くの清流で育った虹鱒のムニエルでございます。他の食材も土地もものを使っております。皇都の料理と比べると華やかさに欠けますが、味は遜色ないものと自負しておりますので、どうぞお楽しみくださいませ」
後半のセリフはシャーロットに向けたものなのだろう。いくつか見慣れない料理や食材があり、どんな味わいなのだろうと考えると興味が湧いた。
「そちらは干しキノコと野菜のスープでございます」
まずはスープに手を付けると、シンプルな味付けなのに旨味と甘みが凝縮されて複雑で優しい味わいだ。
「今朝収穫したばかりで、今が一番美味しい時期なんですよ」
サクサクした歯ごたえの瑞々しいサラダは普段食べている物よりも、しっかりとした味がする。
食べるたびにアンヌが説明してくれるので、楽しいのはもちろん勉強にもなる。
「アンヌは以前皇宮で働いていたんだが、好奇心旺盛で料理に関しては妥協を許さない性格でな。食材を自分の手で育てたいと言って辞職したんだ」
カイルの発言にシャーロットは驚いてアンヌを見たが、彼女は僅かに苦笑しているだけだ。
宮殿で働くには厳しい審査があり、その中でも厨房に立ち入る者については特に綿密な審査が課せられる。直接皇族が口にする物なので万が一がないように三親等の履歴から生い立ちまで全て調べられ、その上で高い技術を求められるのだ。そのため宮殿の料理人は社会的地位も高く尊敬される立場であるのだが、アンヌはそれをあっさり手放してしまったという。
「陛下や皇族の皆様方に料理をお作りすることは、もちろん光栄なことでございましたが、もっと美味しい料理を作るには素材からだと思いまして」
活き活きとした表情で語るアンヌは心から料理が好きなのだと思わせるとともに、やりがいと自信がみなぎっていた。
才覚と努力で道を切り開き、望むとおりの人生を手に入れたアンヌが眩しくてとても羨ましく思える。
(それに比べて私は……)
マイナスな方向に思考が傾きつつあることに気づいて、シャーロットは慌てて食事に意識を向ける。せっかくの美味しい食事を自分で台無しにするなんてもったいない。
「虹鱒に使ったソースは陛下のお気に入りでございます。シャーロット様はいかがですか?」
濃厚なバターと爽やかな酸味が癖になりそうだ。シャーロットも一口食べるなり気に入ってしまった。
「とても美味しいわ。私も大好きよ」
シャーロットがアンヌに告げれば、向かいの席から盛大に噎せる音が聞こえた。
「カイル様、大丈夫ですか?」
「っ、ああ問題ない」
どことなく浮かない表情だったが、そう言われてしまえばそれ以上訊ねることも失礼だろう。そんなカイルに生温かい視線を向けるアンヌも不思議だったが、シャーロットは気にせず食事を続けることにしたのだった。
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