第20話 不調

午前中の授業が終わり、教師を見送った直後のことだった。朝から日差しが強く汗ばむほどの陽気になっていたが、不意に涼やかな風を感じてシャーロットが窓の方を振り返った途端に視界が歪んだ。


「お嬢様!?」

驚いたケイシーの声が遠くから聞こえ、その呼び方を懐かしいと感じる余裕さえあったのに身体は言うことを聞かず、シャーロットはそのまま床に倒れ込む。

「お嬢様、大丈夫ですか?!誰かお医者様を!」

すぐに支えてくれた温かい腕がケイシーのものだと傍で叫ぶ声で分かった。


「や……めて、大げさだわ。太陽の光に、目が眩んだだけよ」

頭がくらくらして視界が安定しないが、幸い声を出すことは出来た。

「ですがお嬢様——」

「大丈夫よ。少し休めば良くなるから。こんなことでお医者様を煩わせてはいけないわ」

不安そうなケイシーの言葉を遮り、手を借りてソファーに横になる。


(次の授業まで30分、それぐらい休憩すればきっと何とかなるわ)

少し離れた場所からケイシーとミシェルが小声でやり取りしているようだが、内容までは分からない。もっともこんな状況なのだから、シャーロットの不調にどう対処するかという相談なのだろう。

健康に問題があると疑われたくなかったから出来れば何もしないで欲しかったが、主人の体調管理も侍女の責任範囲である。ケイシーはともかくミシェルの本来の雇用主は皇太后のため、意見を強く主張することは出来なかった。


扉の開閉音が聞こえると、二人は部屋から出て行ったようで室内は静かになった。彼女たちが戻ってくる前には大丈夫な姿を見せなければと、シャーロットは目を閉じたまま溜息を吐く。少し気分が悪かったが、軽度の不調ならすぐに収まるだろうと自分自身に言い聞かせる。

だが、それからすぐにノックもなくドアが開いた。そのことに驚いて目を開くと真剣な表情のカイルと目があった。


「――カイル陛下、どうしてこちらに?」

「そのままでいい。気分はどうだ?すぐに医者が来るからな」

起き上がろうとしたシャーロットを制して、カイルはソファーの前に跪いたかと思うとシャーロットを抱き上げた。


「陛下!お待ちください。わ、私一人で立てますわ!」

「駄目だ。大人しくしていろ」

カイルは軽々とシャーロットを抱えてベッドに向かう。壊れ物を扱うかのようにそっと下ろされて、シャーロットは早鐘を打つ鼓動をなだめながらも意識的に笑みを浮かべた。


「本当に大丈夫ですのよ。うっかり太陽を見てしまって目眩がしただけですから、お医者様に診ていただくようなことではございませんわ」

「ロティ、俺は君の大丈夫を信用しないことにした」

無理をしているのではないかと指摘されたのは、ほんの数日前のこと。軽微な不調であるもののカイルの懸念が的中した形になり、シャーロットは居たたまれなさに身を縮める。


「……申し訳ございません」

「謝らなくていい。だが無理をしないでくれ。君が倒れたと聞いて心臓が止まるかと思った」

シャーロットの指先を握り締めてカイルは沈痛な面持ちで吐息を漏らす。そんな表情をさせているのは自分が原因だと思うと胸が締め付けられるように苦しくなる。


(こんな風になるのはお母様が亡くなって以来だわ)

すぐに治ると思っていたのに、寝込んで1週間も経たないうちに儚くなってしまった。二度と会えないのだと分かってからシャーロットは悲しくてどうしようもなかったが、共に悲しみ寄り添ってくれたのは父やケイシーだ。今のカイルと同じように手を握ったり、抱き締めてくれたことを鮮明に思い出す。

あの頃は確かに愛されていたのだと思うと、心が少し軽くなったような気がした。


その後駆けつけた医者からは睡眠不足と過労と診断された。大丈夫だと思っていたが専門家からの見立てにシャーロットは胸を撫でおろしたが、カイルはそう受け取らなかったらしい。


「今日から3日間、予定を全てキャンセルしろ」

ケイシーにそう命じたカイルにシャーロットは慌てて声を上げる。

「カイル陛下、夜はきちんと休みますからそこまでしなくても大丈夫——」

つい先ほど信用しないと言われたため、別の言葉を探しているとカイルが有無を言わせない口調で告げた。


「3日間しっかり休養を取れ。これは命令だ」

「……畏まりました」

不甲斐ない自分が悔しくて目頭が熱くなった。カイルの視線から逃れるように俯くと、優しい手が頭を撫でる。


「何も心配しなくても大丈夫だ。ほら、今は取り敢えず休むことだけを考えていればいい」

申し訳なさでいっぱいになったシャーロットに、カイルは先ほどとは打って変わって優しい声で告げると枕をポンポンと叩く。横になれという意味だと分かるが、皇帝の前でだらしない恰好を見せるのは気恥ずかしいというより畏れ多い。

だが無言の圧力を向けられてシャーロットは覚悟を決めてそろりと身体を横たえた。


カイルが傍にいるのなら眠れないだろうが、少しでも身体を休ませるため目を閉じる。温かい指先が頭を優しく撫でる感触に子供に戻ったような気分だ。心地よい感触に身を委ねるうちにシャーロットはいつの間にか意識を手放していた。

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