第19話 努力と牽制
「――ロティ?」
呼び掛けにはっと我に返ったシャーロットが正面を見ると、カイルが気遣うような表情を浮かべている。
「最近遅くまで勉学に励んでいるようだが、少し無理をし過ぎじゃないか?」
「……申し訳ございません」
婚約発表後、2日に1回ほどのペースでカイルと一緒にお茶の時間を過ごすにようになっていた。今ではすっかり慣れてしまい、心地よい初夏の陽気と寝不足も手伝ってついぼんやりしてしまったようだ。
シャーロットよりもカイルのほうが遥かに忙しいにもかかわらず、失礼だったとシャーロットは反省する。
「ロティが努力家なのは知っているが、あまり根を詰めすぎても良くないな。息抜きに近々別荘に行くか。標高が高い位置にあるから夏でも涼しく、星空がとても綺麗なところだ」
嬉しそうに語るカイルの言葉に、シャーロットは何故か泣きたいような気分になった。込み上げる感情を悟られないように紅茶と一緒に飲み込む。
ミルクの柔らかな甘さに心が落ち着くと、ふとあることに気づく。レモンゼリーやキャロットケーキ、フルーツたっぷりのパルフェなど疲れを取るための食材を使った菓子類ばかりが並んでいる。
今日の紅茶も最初からミルクが入っていたが、胃腸に負担を掛けないために効果的だと以前ケイシーが教えてくれたことを思い出す。
ケイシーやミシェルの気遣いなのかもしれないが、何となくシャーロットはこれがカイルの指示によるものだという気がした。
「――カイル陛下、ありがとう存じます」
別荘への訪問についてなのか、準備されたお茶菓子についてなのか明言しなかったが、シャーロットが気づいたことにカイルも気づいている、そんな確信があった。
「ロティはよく頑張っている。意欲的で覚えるのも早いと指導係も褒めていたぞ」
(ああ、本当にこの人は……)
カイルはシャーロットが欲しかったものばかり与えてくれる。
努力を認めて褒めてくれる言葉も、体調を気遣ってくれることも、当たり前のように旅行に誘ってくれることも、ずっとシャーロットが望んでいたことだ。
嬉しくて胸が苦しくなりそうなほどだったが、カイルの言葉に現実に引き戻された。
「だからそんなに焦らなくていい」
無理をし過ぎだと心配されたばかりだったから、それはシャーロットを気遣うために口にしたのだろう。頭ではそう分かっていたが、嬉しかった気持ちが霧散し、浮かれた自分が腹立たしくさえある。
アイリーンに嫌な感情を抱いていないが、彼女と同じレベルを身に付けなければ自分の居場所を守れない。
通常の教育に加えて深夜遅くまで自室で勉強しているため少々寝不足ではあるが、幼い頃の王太子妃教育に比べればずっと楽だ。焦りはなくとも少しでも早く追いつきたいという気持ちのほうが強い。
だからシャーロットは何も言わずに、大丈夫だという意味を込めてカイルに微笑んだ。
「失礼いたします。陛下、お呼びと伺い馳せ参じました」
些か大仰な言い回しは急な呼び出しに対する軽い当てこすりだろう。アイリーンこそ皇妃に相応しいと考えていた貴族の中で、父親であるメイヤー公爵の落胆は計り知れないほどだ。
それゆえに独断で将来の皇妃を決めたカイルへの反発は強かった。
「今日来てもらったのは、アイリーン嬢のことで話があってな」
「……娘に何か御用でしょうか?」
表情自体は変わらないが、瞳の奥に期待と猜疑の色が宿る。
「ベルノス帝国で妃探しが始まったそうだ」
メイヤー公爵の顔色が変わった。エドワルド帝国から遠く離れたベルノス帝国は最北に位置し、現在は国内の争乱が勃発している国である。他国から嫁いだ2人目の皇妃が先月不慮の事故により命を落とした。
「ベルノス帝国に嫁がせたところで我が国に益はないでしょう。陛下は娘に死ねと仰っているのでしょうか」
淡々とした口調だが怒りを抑えているのが分かる。
「心外だな。アイリーン嬢を皇妃にと望んでいたのはお前だろう」
「――娘は陛下のお役に立てるよう努力してきました。他国の令嬢に慈悲を掛ける前にお側で仕えていた者にも目を向けていただけないでしょうか」
嘆願するように口調を変えたメイヤー公爵に対してカイルは冷ややかな眼差しを向ける。
「確かにアイリーン嬢は優秀で忠義に厚い。俺の婚約者に何かと心を砕いてくれているようだからな。だが、俺はずっと皇妃は迎えないと言い続けていたはずだ」
何かを言いかけてメイヤー公爵の動きが止まった。滅多に素の感情を出すことがないその顔は驚いたように目を見開いている。
「……リザレ国からの令嬢を迎えるとは何故かと思っておりましたが、もしやそれは12年前の訪問が関係しているのですか?」
絞り出すような声にカイルは無言で肯定を伝える。
「……そうでしたか。一時の気の迷いかと案じておりましたが、そこまでとは……」
「アイリーン嬢の嫁ぎ先は本人に決めさせてやれ。聡い女性だから自分にとっても公爵家にとっても最善を取るだろう。必要なら口添えしてやるが、これ以上外野が騒ぐようなら俺も傍観するつもりはない」
婚約者を迎えても未だにアイリーンを推す声が上がるのは、メイヤー公爵家がそれを否定しないどころか容認しているからだ。最終通牒として告げればメイヤー公爵は悄然とした様子で立ち去った。
「ロティの負担が少しでも減ればいいが……」
シャーロットが無理をしている原因はアイリーンにある。彼女に非はないが、周囲から比較されることで早く追いつこうと必死になっているようだ。
元々の素養があり真面目に取り組んでいることもあって、決して劣っているわけでなくむしろ優秀なのだが、これまでの経験と人脈は一朝一夕に得られるものではない。
だからこそもっと知識を身に付けようと頑張る気持ちも分からないではないが、あれでは身体を壊してしまう。
「お気持ちは分かりますが、あれ以上の牽制はお止めくださいね。メイヤー公爵が仰っていたようにアイリーン嬢をベルノスにくれてやるのは惜しいですから」
タイミングを見計らってお茶を差し出したネイサンに、カイルは礼を言って受け取った。
「じゃあお前が彼女の婚約者に立候補すればいい」
ネイサンもアイリーンの実力を評価しており、彼女の言動に好意的なことが多い。
「ご冗談を。私と彼女では釣り合いませんよ」
ネイサンはどこか自嘲的な笑みを浮かべた。
伯爵家の次男坊で家を継がない立場だからこそカイルの傍にいることは出来るが、跡取りでないことは政略結婚で考えれば不利になる。宰相の地位に付けば話は別だが、ネイサンもまた若く現在の宰相と比べれば経験不足は否めない。
シャーロットについても同様だが、こればかりはどうしようもないことだ。
せめて周囲の評価に煩わされないようにと手を回したカイルだったが、シャーロットが倒れたという知らせが入ったのはその3日後のことだった。
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