第14話 婚約パーティー

「皇帝陛下、シャーロット・ブランシェ侯爵令嬢、ご入場です」

高らかに告げる声と共に扉が開いた。静まり返った大広間に二人の靴音だけが響く。

絢爛というより荘厳さを感じさせる室内は、天井や壁に精緻な装飾が施されている。また審美眼がある者が見ればそれと分かるような希少な美術品が随所に配置されており、エドワルド帝国の繁栄を象徴しているかのようだ。


歩みを進めるごとに背後からの視線が強くなるが、不思議と不安も緊張も感じない。リザレ王国よりもはるかに多くの貴族が集まっており、エドワルド帝国でのデビューだというのに心は凪いだように静かだった。

玉座の隣に腰を下ろすとカイルが朗々とした声で告げる。


「よく来てくれた。今宵は私と将来を歩んでいく女性をみなに紹介したい。リザレ王国に咲いた一輪の薔薇、シャーロット・ブランシェ侯爵令嬢だ」

優雅なカーテシーを披露するシャーロットに全員から視線を向けられる。シャーロットは自分の一挙一動を見られていることを意識しながらも、微笑みを絶やさぬよう気を配った。


「生まれ故郷を離れ、共にこの国のために力を尽くすと決断してくれた大切な女性だ。まだこちらに来て日も浅いので、どうか温かく見守ってやって欲しい。――今日は楽しんでくれ」

その言葉を合図に会場のどこかから音楽が流れ始めた。差し伸べられた手を取って、カイルと共にダンスホールへと下りていく。

ゆったりとした音楽は序盤に相応しく、シャーロットとカイルを中心に数名の男女がワルツを踊る。


「ダンスなど億劫な慣習だと思っていたが、楽しいと思ったのは初めてだ」

「光栄ですわ。カイル陛下はダンスもお上手ですのね」

リードする腕は力強く、しっかりとシャーロットを支えているので踊りやすい。ターンでふわりと舞ってもバランスは微塵も揺るがず、上達したのかと錯覚してしまいそうなほどだ。

二曲続けてダンスを踊ったのに、あっという間の出来事に感じられた。


「名残惜しいがそろそろ挨拶の時間だ。ロティ、また一緒に踊ってくれるか?」

「はい、喜んで」

そう答えて、シャーロットは義務ではなくそれを望んでいる自分に気づいた。カイルと同じようにダンスをこれほど楽しいと思ったのは初めてだ。

落ち着かないようなそわそわした気持ちを引き締めてくれたのは皇帝への挨拶とシャーロットを見定めるためにやってきた貴族たちだった。


恭しい態度の中に値踏みするような色が混じる者、好奇心に瞳を輝かせる者など様々だ。

王太子の婚約者として幼い頃から王宮に出入りしていたシャーロットにとって見慣れた光景であったので、そのような視線に何の感情も抱くことはない。どちらかと言えば人の感情の機微には聡いほうだと自負していたからこそ、味方だと思っていた相手からの裏切りにシャーロットを深く傷ついたのだ。

一度信頼してしまった相手に対して客観視が出来ないのだと自己分析していたため、信頼しなければ大きく見間違えることもないだろう。

シャーロットは祝いの言葉に微笑みながら、冷静に参列者の様子を見守っていた。


参列が落ち着いた頃合いを見計らって、シャーロットはカイルに声を掛けた。

「カイル陛下、皇太后陛下と皇女殿下にご挨拶を申し上げますのでしばらくの間失礼いたしますわ」

二人へ挨拶するのはもちろん、これからがカイルの言う女性の社交の時間だ。

「ああ、困った時はすぐに知らせてくれ」

そんなことは出来ないのは分かっているが、シャーロットのことを案じての言葉は背中をそっと押してくれるような安心感を覚えた。


恙なく二人への挨拶を終えたシャーロットは給仕からシャンパングラスを受け取って、喉を湿らせる程度に口にした。幾つかのグループが遠巻きに様子を窺っている。


一般的なマナーとして下位の貴族から上位の貴族に声を掛けてはいけない。他国とはいえ侯爵令嬢で皇帝陛下の婚約者となれば立場的にはかなりの上位となるが、シャーロットは新参者だ。こちらを窺う令嬢たちの身分と名前は頭に入っているが、出来ればあちらから声を掛けてもらう方が良い。他国の令嬢が自分たちの皇帝の婚約者の座を奪ったのだから、良くない心証を持っている令嬢たちもいるはずだ。


(とはいえこのまま一人でいても有益な繋がりを作ることは出来ないわ)

貴族の繋がりは非常に重要で、シャーロットはゼロから築き上げていかなければならない。それは男性であるカイルがどうこう出来るものではなく、皇妃としても必要な資質であった。

シャーロットがさり気なく目星をつけていた令嬢のほうに歩を進めようとしたとき、小さなざわめきが起こった。


令嬢たちの視線を辿って振り返れば、青紫色のドレスをまとった令嬢と目が合った。つり目ぎみの瞳はまっすぐにシャーロットに向けられている。

(あちらからいらっしゃってくれて良かった)

もし高位の令嬢から話しかけられるのならば最初は彼女だろうと思っていた。


「ご機嫌うるわしゅう、シャーロット様。私はアイリーン・メイヤーと申します。以後お見知りおきを」

皇妃の最有力候補と言われていたアイリーン・メイヤー公爵令嬢にシャーロットは優雅な笑みを返した。

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