第15話 公爵令嬢

アイリーン・メイヤー公爵令嬢は今年21歳になるが、結婚どころか婚約者もいない。貴族令嬢は15歳~18歳までに婚約者が決まるのが一般的だ。

そんな中アイリーンに婚約者がいない理由はただ一つ、皇帝の婚約者になる可能性が非常に高く、公爵家もそれを望んでいたからである。


身分、教養、政治力においてアイリーンを上回る令嬢など存在しない。皇妃不在の状態が長く続くにつれ、周囲の後押しもかなりのものだったが、カイルは婚約を結ぼうとしなかった。

それでもエドワルド帝国において、アイリーン以外に皇妃に相応しい人物はいないだろうと思われていたところに、突然決まったのがリザレ王国侯爵令嬢との婚約だった。


「アイリーン様、ご機嫌うるわしゅうございます。素敵なドレスですわね」

「まあ、ありがとうございます。お気に入りですの。シャーロット様のドレスも素敵ですわ」


相手のドレスに言及し、褒め合うことは話題のきっかけとしては自然なことだ。だがシャーロットのドレスは陛下の色で、アイリーンのドレスは彼女のルビーのような瞳と陛下の瞳の色を混ぜたかのような紫色である。そのことに何らかの意思が込められているのかと裏の問いかけに対し、アイリーンはさらりと交わした。


「帝国での暮らしはいかがですか?」

「カイル陛下のご配慮のおかげで、とても健やかに過ごしております。陛下の名声はリザレ王国にも伝わっておりましたが、素晴らしい方でございますね」

「ええ、無慈悲や冷酷だと言われることもありますが全ては帝国の、ひいては民のために常に考えていらっしゃる方ですわ」


(これはどちらの意味かしらね?)

カイルについて自分のほうがよく知っているという示威行為なのか、表面通りの言葉なのか。表面上は穏やかな会話だったが、内心ではお互いの真意を推し量っていた。もう少し踏み込んでみるべきかと考えていたシャーロットだが、アイリーンはそれを察したかのように笑顔で告げた。


「シャーロット様を独り占めしていたら他の令嬢方に恨まれてしまいますわね。今度お茶会を開きますのでご招待したいのですが、いかがでしょうか?」

「ありがとうございます。喜んで伺いますわ」

それでは、と優雅な笑みを見せ背中を向けるアイリーンに、シャーロットは負けたと思った。


会話の始まりから終わりまで主導権を握っていたのはアイリーンだ。パーティーでは繋がりを持つべくどれだけ多くの人と会話をし、今後を含めての関係性を築くことが大切である。退き際も会話の運びもスマートで、場を取り仕切る女主人にふさわしいと思えるものだった。

だが今は反省する時間ではない。アイリーンが去ったことで次の令嬢がこちらに一歩踏み出したのを見て、シャーロットは微笑みを浮かべて歓迎の意を示すことにした。


その後は令嬢令息たちと短い会話を交わしながらも顔合わせを済ませていく。

(良かった。思ったよりも順調だわ)

アイリーンの立ち振る舞いを見てリザレ王国で培った対応力が通用しないのではないかと密かに恐れていたが、彼女が別格だったようだ。


「シャーロット様は帝国についてもお詳しいのですね」

「ありがとうございます。まだ勉強中の身ですので、これからはもっと知見を広めたいと思っておりますの」

「よろしければいつか領地にお招きしたいですわ」


シャーロットがパーティーまでに覚えたのは容姿と名前、そして彼らの領地の特産物だ。帝国に来て間もないシャーロットが自分たちの領地について多少知識があるのだと知ると、大半は好意的な印象を抱いてくれた。次期皇妃となる人間が帝国についての知識があまりに乏しいと不安に思う者も多いだろう。そう考えてそちらの知識を優先的に学ぶことにしたのだが、間違っていなかったようだ。

そろそろ戻ろうかと考えていた時のことだった。


「傷物令嬢のくせに」

すれ違う直前に囁かれた声に、シャーロットはどこか安心感を覚えた。予定調和ともいうべき陰口だったし、他の貴族が自分のことをどれくらい知っているのか把握することが出来たからだ。瑕疵のある人間を自国の皇妃に据えたくないと思う気持ちは分かるので、事を荒立てるつもりはない。


少し時間をおいて振り返り、擦れ違った時に目にした空色のドレスを探せば眉を顰めた令嬢が扇子で口元を隠しつつ、他の令嬢たちと談笑している。

口元を隠したところでその瞳は意地悪そうに輝いているのを見て、どんな話をしているのか想像がつく。


(あれはリリス・メロー伯爵令嬢ね。婚約者は不在とあれば嫉妬かしら)

令嬢限定だが婚約者の有無も確認している。今回のパーティーは貴族との繋がりを作ることともう一つ別の目的があったからだ。

一緒にいる令嬢たちの名前も記憶したところまでは良かったが、目を逸らすのが一瞬遅かった。


視線に気づいたリリスと目が合い、シャーロットは微笑みを浮かべてそのまま立ち去ろうとしたのだが、彼女はこちらに向かってくる。このまま背中を向ければ逃げ出したと捉えられ、良からぬ噂の元になる可能性があったため仕方なくそのまま留まることにした。


「シャーロット様、よかったら私達とお話しませんこと?」

無邪気そうなリリスの笑みからは悪意が滲んでいた。



熱気のある会場からバルコニーに出れば涼やかな空気は清涼感があって心地よい。だが繰り広げられる会話がそれを台無しにしていた。


「陛下とアイリーン様が並ぶとまるで一枚の絵画のようでしたわ」

「ええ、長年一緒にいらっしゃいますもの。見ているだけで信頼関係が伝わってきますわ」

「陛下の私室に呼ばれたことがある令嬢はアイリーン様だけですもの」


シャーロットのドレスを申し訳程度に褒めたあと、話題はアイリーンとカイルのものへと移っていた。シャーロットの不安や嫉妬心を煽ろうとしているようだが、カイルに恋情を抱いていないため当然効果はない。

他人事のように微笑みながら話を聞いているシャーロットに苛立ったのか、一人の令嬢が別の話題を口にする。


「そういえば先月陛下は足繁くリリス様の領地に通われていましたわね」

「ええ、色々とお言葉を掛けていただきましたわ」

頬に手を当てて恥ずかしそうにしているが、その表情には優越感が浮かんでいる。


「お忙しい陛下がわざわざお越しになるなんて、何か理由がおありなのではないかしら?」

「理由と言えばシャーロット様との婚約も随分と急でしたわね」

確かに急な婚約で様々な憶測を呼んでいることは想像に難くなかった。それでもこのように初めてあった令嬢が身分的には上位であるシャーロットに直接的に訊ねることは不躾なことだ。


「随分と楽しそうね?」

凛とした涼やかな声に、全員がはっとそちらに視線を向ける。

「――あ、アイリーン様!」

慌てて淑女の礼を取る彼女たちを見つめる目は冷ややかだ。


「メロー伯爵領へのご訪問は新種の麦が発見されたからですわ。誤解させるような言動があったのなら陛下に諫言しなければならないわね」

アイリーンの言葉にリリスがたちまち青ざめる。

「アイリーン様、申し訳ございません!どうかそれだけはお許しください!」

「謝罪をするのは私ではないのではなくて?」

3人の令嬢たちの視線がシャーロットに向けられる。


「――シャーロット様、ご不快な思いをさせてしまい大変申し訳ございません」

「気にしていませんわ。色々教えてくれてありがとうございます」

にっこりと微笑むと令嬢たちは逃げ出すようにその場を後にする。そちらに目を向けることなくシャーロットはアイリーンを観察しながらお礼を述べる。


「アイリーン様、ご配慮くださいましてありがとうございます」

「お礼を言われることなどありませんわ。あの方たちの不躾な態度が気に障っただけですもの。そろそろ戻りませんと陛下が心配なさっていますわ」


もう少しだけ二人で話したいと思ったものの、そう言われては立ち去るしかない。後ろ髪を引かれるような思いでシャーロットは会場へと足を向けた。

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