第12話 皇太后と皇女

温室には多種多様なバラが咲き誇っている。珍しい形や色合いについ目を奪われそうになるが、今日は失敗が許されないお茶会なのだ。薔薇のアーチを抜ければ優雅な笑みを浮かべる女性の姿に背筋が伸びる。

最上級のカーテシーを取りそのままの姿勢を保っていると、柔らかな声が落ちた。


「楽にして頂戴。貴女に会えるのを楽しみにしていたのよ」

「この度はお招きいただき恐悦至極に存じます、皇太后陛下。皇女殿下におかれましてもお目にかかれて光栄です」

優に8人は囲める円卓には2人の女性が座っている。カイルの母であるテレーゼ皇太后と妹のクリスティーナ皇女だ。


3日前にミシェル経由でお茶会への招待状を受け取った。むろん断るという選択肢などなく、挨拶が遅くなった詫びと招待への感謝と喜びの言葉を添えて返信した。

目的はシャーロットが皇妃に値する人物かの見極めだろう。王太子に婚約破棄された瑕疵のある侯爵令嬢として厳しい目で見られることは覚悟している。

優しそうな風貌だが、社交性に長けており政治手腕も優れているという。そして何よりその存在感は侯爵家でカイルと対面した時と同じように鮮烈なものだ。


「こちらでの暮らしに少しは慣れたかしら?」

「はい、皇太后陛下。大変良くして頂いているので健やかに過ごしております」

当たり障りのない会話から始まり、一見和やかな雰囲気だがどこか緊張をはらんでいる。シャーロットは先ほどから無言で二人の会話を聞いているクリスティーナが気になっていた。だがシャーロットから声を掛けられる身分ではないため、視線を感じながらも微笑むだけに留めている。


「紅茶に薔薇ジャムを落として飲んでも美味しいのよ」

そんなテレーゼの言葉通りに薔薇ジャムを入れると甘くほのかな薔薇の香りが立ち昇る。ほんのり酸味と甘みが加わった紅茶はとても美味しく、感想を述べようとしたシャーロットより前に少女特有のソプラノの声が響いた。


「リザレ国王太子殿下に婚約解消されたと聞いたけれど、どうしてなのかしら?」

そう尋ねるクリスティーナの声に悪意はなかった。純粋な疑問といった風にシャーロットは少し逡巡した。ここまでストレートに聞かれるとは思っていなかったのだ。

「クリスティーナ、そのような聞き方は不躾ですよ」

宥めるような口調だがテレーゼも本気で咎めている様子はない。社交界に出れば心無い噂や陰口を叩かれることは想定していたためその躱し方は考えていたが、今問われているのは皇妃としての回答だろう。


「私がラルフ王太子殿下のお心に寄り添えなかったからでございます」

「好意を抱けなかったということかしら?でも聖女様を選んだのは王太子殿下なのでしょう?」

不思議そうに首を傾げるクリスティーナは恋愛に興味を持つ年頃なのだろう。カナとラルフを思い出すのは胸に鈍い痛みが走るが、悪気がないことが分かるためシャーロットは穏やかに答えることが出来た。


「王太子殿下を慮る気持ちが足りなかったのです。聖女カナ様は王太子殿下のお心を癒して差し上げたため、生涯を共にする相手として見初められたのですわ」

クリスティーナは理解できないのか考え込んでしまった。

「確かに苦楽を共にし支え合う存在が王や皇帝には必要だわ。シャーロットさんはカイル陛下の気持ちに寄り添うことが出来るのかしら?」

テレーゼが続きを引き取るように尋ねる。貴族特有の回りくどい形ではなく、直接的な問いかけはシャーロットにも下手なごまかしや逃げ道を許さないと暗に告げられているようだ。


「そちらに関しては婚約を受ける際に陛下のお心に沿うことが出来ないとお伝えさせていただきました」

テレーゼの眉がぴくりと動く。恐らくは不快な感情なのだろうが、聞こえてきた声は穏やかなものだった。


「民や領地を守り国の安寧に尽くす皇帝の重圧は計り知れないもの。その孤独と苦労に寄り添うものがいなければ心を病むことも少なくないわ」

静かな瞳はシャーロットの覚悟を見定めるように真っ直ぐに向けられている。

「陛下に心を返すことはできませんが、あの方のご恩情に報いることができるよう皇妃の責務に尽力していまいります。……陛下には側妃様をお迎えいただき心安らかに過ごしていただきたいと思っておりますわ」


シャーロットの発言にクリスティーナは目を大きく見開き驚愕の表情を浮かべていたが、テレーゼは目を僅かに細めて、扇で口元を覆う。

沈黙が落ちる中、シャーロットは優雅な仕草で紅茶を口にする。地位に固執し皇帝を蔑ろにしていると受け止められても仕方がない発言だったが、嘘を吐くような真似はしたくない。


「側妃が皇妃の座を望んだらどうするつもり?」

「皇妃として認められるように努力いたしますわ」

テレーゼの視線をまっすぐ受け止めてシャーロットは静かに答えた。人の気持ちは変化するが、努力して積み重ねてきた知識と経験は裏切らない。皇妃としての責務を果たすことがシャーロットにとっては最後の矜持なのだ。

互いに視線を合わせたままでいたが、先に口を開いたのはテレーゼだった。


「良いでしょう。貴女が皇妃の座に就く覚悟は十分に伝わりました。今後は少しずつ公務を教えていきましょう」

和らいだ目元に密かに安堵したシャーロットだったが、テレーゼの言葉はそれで終わりではなかった。


「でも母親としての立場からいえば、私は貴女のことを決して快く思っていないわ。それを忘れないでちょうだい。――そろそろお開きにしましょう」

柔らかく微笑んだままで告げられた言葉だったが、テレーゼの目に冷ややかな色が浮かんだ気がした。


「とても有意義な時間を過ごさせていただき、感謝申し上げます」

シャーロットは穏やかな笑みとカーテシーを披露し、お茶会を後にした。




「お母様、あれで良かったの?」

「ええ、クリスティーナ」

不躾な質問はテレーゼの指示である。婚約解消はシャーロットにとって大きな瑕疵であり、どのような反応を見せるかで彼女自身を計る目安のつもりだった。


(まっすぐで真面目な娘だったわ。少し心配になるぐらい)

シャーロットに関する情報は全て入手済みだったが、実際に会って改めてそんな印象を抱いた。王太子の婚約者であれば悪意に晒されることも少なくないと予想していたが、こちらを見返してきた瞳は無防備なほどに真っ直ぐだった。


(まあ、でも少し頑固なのかもしれないわ)

瞳に宿る意志の強さを思い出して、くすりと笑みを浮かべる。

「カイルもなかなか苦労しそうね」

テレーゼは困ったように眉を下げたが、呟く声はどこか楽しそうだった。

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