第11話 時機

その日カイルは久しぶりに皇太后の私室がある別棟を訪れていた。


「まあ珍しいこと。どういう風の吹き回しかしら?」

「俺に断りもなくシャーロットを茶会に呼びつけるなど、どういうつもりですか」

嫋やかに微笑む母——テレーゼ皇太后はカイルの怒りに動じた様子もない。それどころか余裕な表情を崩さずに揶揄うような口調で告げる。


「貴方がなかなか紹介してくれないからでしょう。随分な寵愛ぶりね」

皇位を継いでからどれだけ催促されても頑なに拒んでいたのに、誰にも告げずにあっさりと婚約者を決めたのだから嫌味の一つや二つ言われても文句は言えない。

「時機を見て会わせるつもりでいました。他国から来て間もないのに無理をさせられません」


母として皇太后として皇妃不在の状態が長く続くことを、問題視しているのは分かっている。だが皇妃ともなればその責任からくる重圧と多岐に渡る公務で苦労を掛けることになるのだ。せめて今のうちは出来うる限りシャーロットの負担を減らしてやりたかった。そして何よりカイルには一つの懸念があった。


「貴方の時機を待っていたら婚約パーティーが終わってしまうわ。そんなに大事にしたければ側妃にしなさい」

後半の言葉からテレーゼの雰囲気が母親から皇太后に変わる。

皇妃不在の今、エドワルド帝国で二番目の地位にあるのは皇太后だ。女性としては頂点に立つ存在で、国内外の行事で外交手腕を発揮し強い影響力を持つ。親子関係においても政治的立場としても概ね良好であったが、唯一問題となるのが皇妃選びだった。


「俺に側妃など不要です。シャーロットは皇妃として十分な能力と資質を備えています」

側妃制度が認められているエドワルド帝国だが、その制度が実際に使われたことはない。これまで後継に問題がなく先帝たちがさほど色恋沙汰に興味がなかったことから、余計な皇位争いの火種を作る危険性のほうを重視したからだ。とはいえ先帝と皇太后の間には男児はカイル一人であり、妹である皇女クリスティーナもまだ13歳という年齢である。

一刻も早く皇妃を、そしてさらには世継ぎを望む声が多いのは当然だった。


「ならば私との顔合わせが重要であることも分かっているはずですね。その令嬢が皇妃の器かどうかは私がこの目で判断します」

話は終わったとばかりに皇太后は扇子を広げて口元を隠す。遅かれ早かれ会わせなければならなかったのだ。大事に閉じ込めているのはカイルの我儘に他ならない。


「彼女を傷つけたら許しませんよ」

脅しとも取れる言葉を口にして、カイルは皇太后の私室を後にした。




「今回は皇太后陛下のおっしゃることが正しいかと思いますよ」

不機嫌なカイルに阿ることなくネイサンは諭すように告げる。未来の皇妃となるシャーロットが前皇妃である皇太后から学ぶことはいくらでもあるのだ。良好な関係を保つためにも早い段階での顔合わせは必須だった。

そんなことはカイルとて承知しているはずだったが、一向に手配する様子はなく焦れたテレーゼが動いたのも無理はない。


「分かっているが、頃合いというものがある」

頬杖をついて顔をそむけたままぼそりと呟くのは、幼少の頃から変わらない拗ねた時の仕草だ。遊び相手として出会った2歳下の友人とはもう20年近い付き合いになる。公私に渡り傍にいたネイサンだが、最近のカイルの様子には少し思うところがある。


「カイル様、ずっと想い続けていたシャーロット様が婚約者となり浮かれる気持ちも分かりますが、少々過保護が過ぎるのでは?」

今はまだその存在を知る者も少なく、他国からやってきたばかりの令嬢だからと大らかに受け入れられているが、婚約発表をすればシャーロットは一気に注目を浴びることになる。自国の皇妃として相応しい人物なのかと常に問われるような状況で、今のようにカイルが安全な場所に隠し守るようなやり方では重鎮をはじめ高位貴族は納得しないだろう。


そのためにも皇太后のような影響力のある人物の後ろ盾を得ることが重要なのだ。いくらシャーロットが皇妃に足る教養を持っていたとしても、エドワルド帝国に縁のないシャーロットが良好な人間関係を築き、女性貴族を味方につけなければ皇妃としての責務を果たすのは困難を極める。


「……シャーロットの様子がおかしいんだ」

重いため息を吐き、髪をかき上げる様子は愁いを含んだ表情と相まって色気が滴っているようだ。ネイサンですら瞠目してしまうほどなのだから、女性の使用人がいれば卒倒していたかもしれない。


「あの王太子に婚約破棄されたことで傷つき人間不信になってしまったというのは分かる。だが以前から仕えていた侍女に対してもどこか警戒するような態度を取っている。父親に接する態度も他人行儀なようだった」

「侍女に対しては分かりかねますが、父親への言動は特に違和感を覚えませんでしたよ」

貴族令嬢にとって婚姻の決定権は父親にあり、政略結婚は当たり前のことだ。


「そういうことではない。シャーロットは感情こそ表に出さないが、父親に敬愛の念を抱いていたそうだ。あの時はそんな気配が欠片も感じられなかった」

「リザレ王国に放っていた影からの報告ですね。長年監視——もとい観察、いえ見守っていたとはいえ、どうしても主観が混じりますから陛下の感覚とは多少誤差が生じるのではないでしょうか?」


皇位についたカイルが最初に影に命じたことはリザレ王室周辺の監視だったが、それは誰を目的としたものかネイサンは知っていた。月に1度の定期報告でエドワルド帝国にいながら、シャーロットの現状を把握していたというのだから、その執着具合には正直かなり引いた。

幸いと言っていいのか分からないが、シャーロットがリザレ国王太子の婚約者でリザレ国の内情把握もしっかり入手出来たため、余計な口出しはしなかった。カイルがシャーロットを手に入れるために内政干渉や軍事行為に走らなかったことも大きい。


「いや、あの影は優秀でな。周囲の不穏な気配を感じ始めた頃からほぼずっとシャーロットに付きっ切りだったそうだ。流石に淑女の部屋を覗き見るような真似はしなかったそうだが、婚約解消された翌日からシャーロットは周囲に対して一線を引くような態度を取り出したらしい」

(っていうか、その影も粘着系ストーカー気質がありそうなんだが……)

皇帝の前にしか姿を見せない影に対してネイサンはそんな不安を抱いてしまった。


「今のシャーロットはピンと張り詰めた糸のようだ。何がきっかけでぷつりと切れてしまうか分からない。そんな状態で皇太后に会わせたくはなかった」

心情を吐露してくれたおかげでカイルの過保護な理由の一端が分かった。今までカイルから聞かされていたシャーロットと実際に会った時の印象が違うとは思っていたが、それが最近の変化によるものだとすれば納得がいく。


(少し調べてみる必要があるな)

主を諫める立場ではあるが、最終的には望みを叶えてやりたいと思う辺りネイサンもまだまだ甘いのだ。皇帝としてだけでなくカイル自身にも幸せになって欲しいと願うネイサンは独自に調査することを決めた。

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