第10話 中庭でのお茶会
皇帝陛下へ謁見するため朝から念入りに身支度を整えられる。
「シャーロット様、とてもお似合いですわ」
侍女長のミシェルからうっとりした表情で褒められるが、シャーロットは控えめな笑みの下に居心地の悪さを感じていた。
胸元から裾にかけて徐々に深みを増す青色のドレスにはグリッターが散りばめられていてまるで夜空の星のようだ。アクセントにあしらわれた黒の繊細なレースがその彩りを引きたてている。
(でもこれは誰がどう見ても皇帝陛下の色だわ)
一体誰に対してのアピールなのだろうか。互いの髪や瞳の色のドレスや宝石を身に付けることは想い合っていることをさり気なく伝えるためだが、ここまではっきりと分かるような装いは気恥ずかしさすら覚える。
不意に卒業前夜のパーティーの光景が頭をよぎった。
あの時のラルフ王太子殿下は黒真珠のピアスを、聖女カナはアクアマリンのピアスを耳元に飾り、薄紅色のドレスの胸元には金色に縁どられたリボンが揺れていた。ピアスは互いの瞳の色、胸元のリボンはラルフの髪色だ。
(今更こんなことに気づくなんて……)
オーダーメイドのドレスはどんなに急いでも1ヶ月はかかる。それはつまりパーティーよりずっと以前にラルフ王太子の気持ちは様変わりしていたということだ。
正式な婚約者として周知されているのだから互いの色を纏う必要などないと思っていたし、ラルフ王太子から贈られるドレスにそれが反映されることもなかった。鏡に映る自分の姿が惨めに思えてきて、シャーロットは目を逸らした。
「ここでの暮らに少しは慣れただろうか?不自由なことがあれば何でも言ってくれ」
「勿体ないお言葉、感謝申し上げます。既に十分なお心遣いを頂いておりますわ」
謁見の間には僅かな人数しか配置されておらず、古参の貴族や重鎮たちから品定めの場だと捉えていたシャーロットは拍子抜けするような気分だった。
「それなら良かった。こちらの中庭では今アイリスが見頃なのだ。……一緒に見て回らないか?」
皇帝からの誘いを断る者などいないだろうに、カイルはシャーロットの意思を確認するように尋ねる。
(この場で演技する意味はどこにあるのかしら?)
そんな疑問が浮かぶが、すぐにどうでもいいことだと打ち消す。皇帝陛下の意図がどこにあろうともシャーロットの役割に変わりはないのだ。
「はい、ご一緒させていただきます」
シャーロットは淡々と了承の意を伝え、差し出された手を取って中庭へと向かった。
穏やかな日差しと時折頬を撫でるそよ風が心地よい。木々の力強い緑と池の周辺に咲き乱れる様々な色のアイリスのコントラストは見事で、シャーロットは思わず感嘆のため息を漏らす。
「気に入ったか?」
満足そうな笑みを浮かべるカイルの思惑通りのようで面白くなかったが、景観の美しさに見惚れたのは事実なので素直に肯定した。
「ええ、とても素敵な庭園ですわね。感動いたしましたわ」
シャーロットの言葉にカイルは目元を和らげ、とても嬉しそうな表情を見せる。アイリスを見る振りをして視線を逸らすと、カイルはゆっくりと歩きだしシャーロットをエスコートした。
池の周りを半周ほどするとガセボにはお茶の準備が整っていた。適度に日差しを遮り、風が通り抜けていくので散策した後のじわりと汗ばんだ身体には気持ちが良い。
心地よさに気を取れていると、カイルはシャーロットの前に置かれている皿に一口大のケーキやマカロンをせっせと取り分けているではないか。
「陛下自ら給仕など示しが付きませんわ。どうかお止めくださいませ」
「誰も見ていないから構わないだろう」
さっさと人払いをさせたのはこのためではないと信じたい。
陛下に侍従の真似事をさせたとなればどんな陰口を叩かれるか分かったものではない。何より甘やかされているような言動はシャーロットを落ち着かなくさせた。
「このぐらい自分で出来ますわ」
きっぱりとした拒絶は不敬かもしれないが、このぐらい言わなければ止めてくれない気がしたのだ。
「ではシャーロットが名前で呼んでくれたら止めよう」
思わぬ交換条件に驚いてカイルを見つめると、その瞳がどこか悪戯めいたように輝いている。瞬時に条件を天秤に掛けたシャーロットは、すぐさま決断した。
「お戯れはほどほどになさいませ、カイル陛下」
「戯れではなくて切実な願いだ。シャーロットにしか叶えられない」
優しい笑みの中にドキリとするような真摯な眼差しが混じって、シャーロットはそっと深呼吸をする。気づけばカイルの思い通りにばかりなっているような、上手く転がされているような状態になっている。カイルの意図は分からないが、明確な線引きは必要だった。
「カイル陛下、以前も申し上げましたが私は陛下の妻になるつもりはございません。ですからこのような気遣いや贈り物は不要ですわ」
毅然とした態度で告げたシャーロットに対して、カイルはそれでも柔らかい表情を崩さない。
「分かっている。シャーロットが俺を夫として扱う必要はない。これは俺が勝手にやっていることだから気にしなくていいぞ。ほら、こっちの菓子も遠慮せずに食え」
示されたグラスを思わず手に取ったのは、そうしないとカイルがまた給仕の真似事を始めてしまうと考えたせいだった。期待に満ちた視線から逃れるため、ムースを口に含むと爽やかな酸味とほのかな甘みが広がった。
(さっぱりとして口の中で溶けて、とても美味しいわ)
テーブルの上に準備されたお菓子は離宮で食べたことがあるものもいくつかあり、そのどれもがシャーロットが好んだものだった。
「カイル陛下のお好みはどちらですか?」
「あまり菓子には詳しくなくてな。シャーロットが一番好きなのはどれだ?」
その言葉でここに用意されたものが、シャーロットの好みを反映させたものであることが分かった。大切にされているのに嬉しいと思えない。自分が酷く嫌な人間になったようだ。
「……こちらですわ」
込み上げてくる不快感と罪悪感を飲み込みながら、手近な菓子を指し示す。
「うん、確かに美味いな」
ひょいと菓子を取り口の中に放り込むが、そんな所作もどこか上品に見えるのは生まれ持った高貴さのせいかもしれない。
「シャーロット、君はもう少し我儘になっていい。俺の我儘ばかり聞いていると大変だぞ」
軽い口調で苦笑するカイルの言葉にシャーロットは素直に頷く気になれなかった。
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