第6話 求婚と願い

「楽にしてくれ。急に押し掛けたのはこちらのほうなのだから気遣いは無用だ」

その言葉に顔を上げるとカイルはシャーロットに顔を向けていた。何もかも見透かされてしまいそうな瞳から一礼することで視線を逸らす。


お茶の支度を整えた侍女が退出すると、カイルはようやく訪問の意図を告げた。

「今回の訪問は非公式のため先触れも出さずに失礼した。だが婚約の申し入れをするのに手紙だけで済ますのも不誠実だからな」

「とんでもございません。娘のためにそこまでご配慮いただき、感謝申し上げます」


サイラスは恐縮する素振りを見せそつのない返答をしているが、本心では何を考えているか分からない。話が途中で終わってしまったためにサイラスがこの婚約をどう捉えているのかシャーロットには判断が付かなかった。


(そもそも陛下もどうして私を選んだのかしら)

婚約解消されるような令嬢を大国の皇帝が望むとは思えない。そんなシャーロットの考えを読んだかのようにカイルはシャーロットに視線を向けた。


「シャーロット嬢、婚約を解消されたばかりで不躾な申し入れだと分かっている。だが機を見計らっている間に他の男にかっさらわれるのは我慢がならない。――君はとても魅力的で素敵な女性だから」

カイルの熱のこもった言葉も優しい笑みもシャーロットの心には響かない。それどころか嫌味のつもりなのかとどろりとした嫌な感情が胸の奥で蠢く。


(わざわざ瑕疵のある人間を婚約者に選ぶなんて、裏があるとしか思えないわ)

謙遜も感謝の言葉もなく、シャーロットは無言でカップに手を伸ばし紅茶を口にした。当然カイルを無視した形になり、不敬だと言われても仕方がない。


けれど、もう何もかもがどうでもよくなってしまったのだ。どれだけ正しく振舞おうとしても、他人の意図を考えて行動しても無駄だったから――。


サイラスは咎めるような視線を送っているものの何も言わず、カイルの従者は表情を微動だにしない。それなのにカイルは困ったように眉を下げているが、優しい眼差しでシャーロットを見つめている。

それが妙に癇に障った。


「……陛下は私に何をお望みですか?」

「シャーロット!?」

皇帝相手に遠慮のない質問をした娘を叱責するようにサイラスが叫び声を上げる。


「申し訳ございません。娘は未だショックから立ち直っていない状態でございます。大変光栄なことですが、やはり此度のことは——」

「ブランシェ侯爵」


それは静かな声だった。だがその一言は場の雰囲気を一変させ侯爵が口を噤むのに十分な威圧感を持っていた。緊張が高まり重苦しい空気の中、カイルはふと目元を和らげる。


「君が疑問に思うのは当然だが、答えは簡単だ。俺は愛しいと思う者を妃として迎えたい。シャーロット嬢、君を幸せにすると誓うからどうか俺との結婚を考えてはくれないだろうか?」


(理由を告げる気はないのね)

愛する者へ告げるようなプロポーズの言葉をシャーロットは冷めた気持ちで受け止めた。面識がないのにカイルが自分にそのような気持ちを抱くはずがない。


「――私の婚姻に関することはお父様にお任せしておりますので」

育ててくれたことに対しては恩がある。貴族令嬢であるからには結婚相手が選べないのは普通のことだ。サイラスにとって最も利がある者を選んでくれて構わない。


「ふ、よく似た親子だな。ブランシェ侯爵も同じことを言っていた。どのみち今日返事をもらうつもりはない。君が嫌だというのなら無理を強いるつもりもないから安心してくれ」


その言葉にシャーロットは納得した。何を求められているのかは分からないが、代わりはいくらでもいるのだろう。断られる可能性も含めた申し入れだとするならば、お忍びでの訪問も頷ける。わざわざ皇帝が訪問する理由は謎だが、自分の目で確認したい何かがあるのかもしれない。シャーロットは一応それに見合う相手だったのだろう。


(陛下の申し入れはブランシェ侯爵家にとっても私にとってもメリットしかないわ)

自国の王太子から婚約解消されたシャーロットに婚約の申し入れを行う高位貴族は皆無だろう。内情はどうあれシャーロットは王族の不興を買った令嬢として認識されているのだし、不用意に王族に目を付けられたいと思わない。


だが大国である帝国に嫁げば他国の王族と縁を繋ぐことになり外交面で有利に働くし、ブランシェ侯爵家だけでなくリザレ国も一目置かれる存在となる。そうすれば侯爵家の名誉を回復しつつ、シャーロットも社交の場で肩身の狭い思いをせずに済む。そして何よりラルフ王太子とカナの姿や噂を見聞きする機会もなくなるだろう。


(選んで良いというのなら、現時点ではこれが最良だわ)

「陛下、この度のお話——謹んでお受けいたしますわ」

淡々と告げるとカイルは驚いたように目を見開いた。皇帝の威光を振りかざさなかったとはいえ、整った面立ちや身分ゆえに断られることなど想定していないだろうと予測していたのだ。その表情が年齢より幼く見えて、シャーロットは溜飲が下がるような気持ちになった。


「シャーロット嬢、いやシャーリーと呼んでも構わないだろうか?」

「申し訳ございません。その愛称で呼ばれることは……あまり好みません」

嬉しそうに目を細めていたカイルの表情が一瞬曇ったが、すぐに穏やかな笑みに変わった。


「そうか。すまない、嬉しさのあまりつい先走ってしまった。――ブランシェ侯爵、少しの間シャーロット嬢と二人で話がしたい。ネイサン、今後の話をしておいてくれ」

カイルの言葉で従者——ネイサンとサイラスが退出して、シャーロットはカイルと二人きりになった。


「俺が自ら訪ねておいて断りにくいことは承知している。だけど君を想う気持ちは本心だし、必ず幸せにすると約束する。だから思うところがあれば何でも言って欲しい」

真剣な眼差しに少しだけ心が揺れそうになり、シャーロットは自分を戒める。


(皇帝陛下ともなれば世間知らずの令嬢を欺くことなど児戯にも等しいのでしょう)

望んでいる振りをしているだけなのに信じてしまえば傷つくのは自分なのだ。もうあんなに苦しい思いはしたくなかった。


「では一つだけお願いしてもよろしいでしょうか?」

嬉しそうに瞳を輝かせるカイルから僅かに目を逸らしながら、シャーロットは願いを告げる。


「陛下の婚約者として、そしていずれは皇妃としての責務は果たしましょう。ですが私に妻としての役割を求めないでいただきたいのです」

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