第5話 予期せぬ訪問者
日が昇りシャーロットの部屋を訪れたのはレネだけだった。そのことにほっとするような、警戒するような心持ちになったものの、シャーロットは感情を表に出すこともなく、レネも淡々と着替えを手伝っていた。
「……朝食は不要だわ」
「かしこまりました。……それではお茶をお持ちいたしますので、少々お待ちくださいませ」
一瞬レネの瞳が揺れたが、シャーロットはすぐに目を逸らす。これ以上彼らの本音を知らされたくはなかった。
すぐにお茶を運んできたレネを下がらせ一人で部屋に閉じこもる。本来であれば卒業式に出席しなければならないが、シャーロットは行く気になれなかったしサイラスをはじめ誰もシャーロットに声を掛けない。
(参加したところで好奇の視線に晒されるだけだもの。お父様もこれ以上不名誉なことは避けたいはずだわ)
以前であれば自分の身を案じてのことだと思えたのに、すべてが変わってしまったのだ。
部屋に一人きりでいると、昨晩の記憶やこれまで関わった人々の言葉が脳裏に浮かぶ。もしかしてあの言葉には裏があったのではないか、本心は別にあったのではないかと疑っては心を痛めると言うある種の自傷的な考えを繰り返すこととなった。
その結果、シャーロットはすっかり疑心暗鬼に陥ってしまったのだ。
パタパタと侯爵家に相応しくない足音が近づいてきたかと思うと、部屋の扉がノックされた。声を掛ける前に扉が開き、そこには息を切らしたケイシーの姿があった。
「お嬢様!」
普段は優しい表情を絶やさないケイシーは今にも泣きだしそうなほどで、彼女が全てを知っているのだと分かった。自分を案じ信頼できる侍女に全てを打ち明けて相談できればどんなに心強いことだろう。
(弟さんの結婚式のため1週間ほど里帰りをするはずだったのに、私のせいで呼び戻されてしまったのね)
そのことを本心ではどう思っているのだろうか。
これ以上傷つきたくないと思う心が、シャーロットを警戒させた。
——もしもケイシーが本当は不満を抱いているのだとしたら……。
それ以上考えることすら恐ろしく、慰めるために伸ばされたケイシーの手をシャーロットは咄嗟に振り払ってしまった。
「お嬢様……?」
呆然としたケイシーの瞳に傷ついたような色が滲み、直視できない。失敗したと思うのにそれでもシャーロットは信じることが出来ないでいた。
「気分が悪いの。一人にしてちょうだい」
取って付けたような言い分だと分かっていたが、これ以上一緒にいたらケイシーを傷つけてしまう。
「かしこまりました。お身体に優しいものをご準備いたしますね」
優しく温かい声は逆にシャーロットの心を苛んだ。
(ごめんなさい、ごめんなさい)
ベッドにもぐりこんだシャーロットは声に出さずに謝罪の言葉を繰り返す。誰に向けて、何に対してなのか自分でも分からなくなっていったが、シャーロットはただ許されることを願っていた。
使用人たちの腫れ物に触れるような扱いを受けながらもシャーロットはそれからずっと自室で過ごしていた。シャーロット自身何もする気が起きず、外に出るのも苦痛でしかない。食事も満足に取らないシャーロットをケイシーがしきりに心配していたが、それすらも煩わしいとしか思えなかった。
(このまま消えてしまいたい……)
そう願っていたシャーロットだが婚約解消から1週間たった日の午後、サイラスの私室に呼ばれていた。
「……婚約、ですか」
「ああ。エドワルド帝国皇帝陛下の玉璽を押した手紙が届いた。お前を婚約者として迎えたいと。シャーロット、お前はどうしたい?」
(どうしたいも何もないわ)
エドワルド帝国といえばレザレ王国よりもはるかに広大な敷地と豊かさを誇る大国だ。60年ほど前にほとんど血を流さずに3カ国を統一した賢帝は大陸の歴史上もっともすぐれた皇帝としても名高い。その優れた統治力と政治手腕は子孫に受け継がれ、7年前に皇位を継いだ現皇帝——カイル・ソワイエも苛烈な性格ながら優れた統治者という噂だ。
そんな皇帝陛下がどうしてシャーロットを婚約者に選んだのか分からないが、断ることすら不敬だろう。
「私は……お父様のご判断に従いますわ」
サイラスの表情が翳るが、俯いているシャーロットは気づかない。
「シャーロット、私はお前に幸せになって欲しいのだ」
(なんて……白々しい嘘を吐くのだろう)
何も知らなければ喜んでいたのに、今のシャーロットにとっては酷い裏切りのように思える。いっそのことただの道具として扱ってくれたほうが、どんなにましだったことか。
両手を握り締めて痛みを堪えるシャーロットだったが、不意に聞こえてきた馬のいななきに顔を上げた。
「何だ?今日は来客予定がなかったはずだが……」
訝しげなサイラスの言葉を裏付けるかのように、執事のシモンが引きつった表情でやってきた。
ちらりとシャーロットに視線を投げかけたものの、そのままサイラスの傍により小声で何かを囁くと目を見開き驚愕の表情に変わる。
「――っ、そんなまさか!……シャーロット、一旦部屋に戻りなさい。呼びに行くまで外に出ないように」
奇妙な命令に疑問を覚えつつも、シャーロットは大人しくサイラスの指示に従った。部屋に戻るとすぐにケイシーとレネがやってきて着替えの準備を始めた。
サイラスだけでなく自分も同席が必要な相手など心当たりがない。
(それにこのドレスは国王陛下との拝謁の際に着るものだわ)
最高級の素材を使いながらもさり気なく品の良い落ち着いたドレスは、高貴な方々に面会する時でしか袖を通したことがない。それだけ身分の高い相手なのに約束もなしに来ることなどあり得ないだろう。そう考えた時、該当する人物が浮かんだ。
(もしかして……ラルフ王太子殿下なの?)
婚約解消された娘などたとえ先方が望んだとしても、サイラスなら理由をつけて断ることが出来るはずだ。それをしないということは、相手が王族相当でかつシャーロットと面談することがおかしくない人物だ。
一度そう思ってしまえば、ラルフ王太子以外あり得ないとすら思えてくる。
一体どんな顔をして会えば良いのだろうか。そもそもシャーロットに会いに来るなどよほどの理由があるはずだ。
(心配してくださったのかしら。それともやっぱり婚約解消だなんて何かの間違いだったとか――)
心がそわそわと落ち着かず取り留めなく浮かんだ思考に、シャーロットは期待している自分に気づき、その愚かさを戒めた。
応接間の前に辿り着いたシャーロットは深呼吸をしてノックした。
サイラスの声に室内に足を踏み入れたシャーロットの目に映ったのは、見慣れた黄金色の髪ではない。そのことに一瞬落胆したものの、黒い髪と深い海のような青い瞳をみた瞬間、驚愕のあまり思わず硬直してしまった。
(どうしてこの方が——?!)
「シャーロット」
サイラスの声で我に返り、動揺を隠しながら最上級のカーテシーを披露する。
諸外国の重要人物を覚えるために絵姿で目にしていたお陰で、誰かすぐに分かったものの実物はその比ではないほど圧倒的な存在感を放っていた。
「ブランシェ侯爵家のシャーロットでございます。拝謁の機会を賜りましたこと、光栄に存じます——カイル・ソワイエ皇帝陛下」
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