第3話 憂慮 ~執事と侍女~

アランは悲憤する主を宥めながら、心中で重いため息を吐いた。


「6歳だぞ!?幼い頃からずっととして厳しい教育を受けさせられていたあの子を、よくも公の場で辱めてくれたものだ!あの子が我慢していたからこそ父親として耐えていたというのに、それをあの馬鹿は!!」

「旦那様、お気持ちは分かりますがどうかそれ以上はお控えください」


私室での会話とはいえ王家に対する罵詈雑言など口にするべきではない。一応の苦言を呈しながらもアランとて王太子の仕打ちには思うところがある。

床に散らばった報告書には、パーティーで起こった出来事が事細かに記されていた。シャーロットからの報告を受け、サイラスは速やかに情報収集を行ったのだ。

報告書に目を通すサイラスの顔が憤怒の様相を呈するまでに、さほど時間はかからなかった。


「……あの子は幸せそうによく笑う娘だったのに。王太子との婚約を拒否していれば、あの子は……」

国王から直々に望まれれば拒否権などあろうはずがない。もちろんサイラスだって分かっているのだが、それでも後悔の言葉が漏れる。


将来の王太子妃として勉強は多岐にわたり、その中でもシャーロットが苦労したのは礼儀作法の部分であった。貴族令嬢であれば感情を隠し笑顔で振る舞う術を身に付けるのは当然だったが、それでもデビュタントまでに身に付けることがほとんどだ。

その半分にも満たない年齢で感情を表に出すなというのは酷なことだった。教育のため大半を王宮で過ごし、月に数回侯爵家に戻ることが許されたシャーロットだが徐々に笑顔が失われていった。


『おとうさま、ごめんなさい。わたくし……ちゃんとするから』

短い親子との会話の中で思わず笑みを浮かべると、シャーロットはそのたびにはっとした表情を浮かべて謝るのだ。

サイラスがいくら家では何も気にする必要がないのだと言っても、思い詰めた表情で自分を律しようと頑なに拒否した。その結果、サイラスは自らも感情を出さず淡々とした会話を心掛けるようになりいつしかそれが日常となった。


(それでも旦那様はお嬢様の幸せを願っていたから、あのお方がお嬢様を幸せにしてくれるのだと信じていた。だからこそ今回の件は手酷い裏切りだと言える)

いくら王太子が婚約解消だといっても、公の場であのような形で宣言されれば婚約破棄と変わらない。


「シャーロットから笑顔を奪ったのは王家だと言うのに、聖女にあっさり心を奪われるとは恥知らずにも程がある!」

机の上に拳を振り下ろすサイラスを止めることなどできなかった。


シャーロットの屈託のない笑みを思い出すたびに、アランもまた胸が締め付けられるような気分になる。忠誠を誓った主の愛娘であるシャーロットもまたアランにとって守るべき大切なお嬢様なのだ。

悲嘆に暮れる主がようやく落ち着きを取り戻した頃、アランは退出することになった。


(っ、これは……)

扉がほんの僅かだが開いている。慎重に開けて辺りを見渡すが、無人の廊下には物音一つしない。記憶を掘り起こせば、報告書をサイラスに渡すことに気が急いてしっかりと扉を閉じた記憶がない。


(私もまた動揺していたのか。こんな時だからこそ執事である私がしっかりしなければいけないというのに)

取り乱す主の様子など他の使用人たちに見せるわけにはいかない。自分を戒めながらアランは使用人室へと向かった。




「アラン様」

その途中で声を掛けてきたのはレネだった。本日不在のケイシーの代わりにシャーロットの身の回りの世話をしていたはずだ。こんな場所に用事があるはずもないので、恐らくは自分を待っていたのだろう。嫌な予感を覚えるが、表情を変えずに言葉を掛ける。


「お嬢様に何かあったのか?」

その問いかけにレネは慌てた様子で否定する。

「いえ、そうではありません。お嬢様のお心の裡は分かりかねますが、いつもとお変わりないように努めていらっしゃるようです。それが逆に痛々しくて——」

レネの瞳に涙がにじむが、息を吐くと淡々とした口調に切り替える。


「すみません。お話したかったのはナタリーのことです」

ナタリーはサイラスの遠縁にあたる男爵家の令嬢だ。王宮で働くことを希望しており侯爵家を頼って王都に単身訪れたため、一旦見習い侍女として預かることになっていた。

続きを促すためアランが無言で頷くとレネは平坦な声で語り始めたが、その内容にアランは最早不快さを隠さなかった。


「主家の令嬢であり仕える主のことをそのように悪し様に言うなど、あってはならないことだな。主よりも聞きかじった情報を鵜呑みにするような愚か者が王宮で働くなど身の程を知らないと見える。旦那様にご報告のもと早々に暇を出そう」

アランの言葉にレネはほっとした表情を浮かべる。


「ケイシーがいたら問答無用で追い出していたと思います。私も出来ることなら引っ叩いてやりたいぐらいでした。お嬢様のこと何も知らない癖に、本当に酷いわ」

「念のため聞くが、手は出していないだろうな?」


レネは優秀な侍女だが、平民の出だ。見習いであるナタリーに敬語を使うのはおかしいので通常の見習いに接するようにとは伝えているが、貴族令嬢に暴力を振るえば身分違いは罰が重くなるし、侯爵家にも何かしら弊害が出ないとも限らない。


「していませんよ。使用人たるものどんな主であっても非難中傷など許されないと心得だけは伝えましたけど、全く理解していないようでした」

たとえ主を選べなくても職分を全うすることが使用人の矜持だ。ブランシェ侯爵家は一定のスキルを求められるが、無理難題を押し付けるような主人たちではない。公正な評価とそれに応じた給与が支払われるため、働き甲斐のある職場だとアランは思っている。


「ケイシーが戻ってきたらお嬢様も安心なさるだろう。それまではよろしく頼む」

「かしこまりました」


(明日からは忙しくなるな)

主の負担を減らすべく、アランは自分の為すべきことを思案した。

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