1F校長室にて、辞令。3月同日
再び校長室に呼び出されたのは、午後6時すぎ――すべてが一段落したあとのことだった。
季節はいくら夏であっても、暦の上では3月の中旬。赤らんでいた空は、もう薄暗い。
明かりのない廊下に立ち、
「やあ。ご苦労さん」
マルチディスプレイの前――校長席に座っていた
「中将は連合本部に行っていてね、今はいないのだよ。だから、楽にしてくれていいぜ」
イスから立ち上がり、宮守は冷房が効いた室内をゆっくり歩きだす。
照明が反射する窓の前で足を止め、外を眺めるようにこちらに背を向けて、
「今日は大変な一日だったろう。キミには本当のことを知ってもらいたかったんだ」
窓の中の宮守がこちらを見る。
「キミ、ボクに訊いたよね、何も思わないのかって。キミのほうこそ、アレを見てどう思った」
彼の向こう――外に見えるグラウンドでは、大型輸送ヘリ“チヌルク”が羽を休めている。数時間前、戦場からサクラを連れ帰ってきた機体だ。
「クリニックでの
「……、」
「だけど、“真実”を知ったうえでのその言葉、実に結構だ」
真実――17歳の少女が、たった独りで戦っているという事実。
サクラを思えば、飛行士として自分がしてきたことなど、撃墜されたときに感じた死の恐怖など、ちっぽけで馬鹿らしく思える。
「ほんと、期待通りだよ」にこりと笑って、宮守はこちらにふり返る。「今さらだけど、一応訊いておこう。」
「
「それは……、」
思わず口ごもってしまい、神代は下唇を噛む。
サクラを人間として、ひとりの少女として見る。その言葉に嘘はない。だが、今日のような光景を、彼女の事情を知ってなお見続ける覚悟があるかと問われたとき、すぐに「あります」とは言えない自分がいる。
弱さ、未熟さ、逃げたいという気持ち。この
「人は誰しも、犠牲の上に今日を生きている。しかし、多くの人がそれを忘れがちだ。いや、あえて忘れようとしていると言ってもいい。自分の足元を築いている
キミには桜高を去るという選択肢もある。辞令を受け取るか、受け取らないか。どちらを選ぼうと、ボクはキミの選択を尊重するよ。さぁ、どうするかね?」
「俺は……、」
命に代えてでも護りたかった人を亡くし、生きる意味すら見失った過去。戦う理由などなく、現実から目を背けるために飛んできたこれまで。
今までと同じように、向き合うことを放棄して逃げることは簡単だ。でも、そんな生き方、続けていきたくはない。
母からもらった腰のピストルが、思い出したように自らの重さを主張し始めた。
「……覚悟があるって言ったら嘘になります。正直、今日みたいなのは二度と見たくない。傷つく彼女を、安全な後方からモニター越しに眺めているだけなんて、そんなの絶対に嫌だ。だけど、この事実から逃げるのはもっとごめんなんですよ。
俺は、桜高に残ります。辞令を受け取ります」
こちらに顔を向けた宮守が、元から細い目をさらに細めた。
にやにやと締まらない表情のまま、眼光だけは鋭くしてこちらを見ている。
何を考えているのかは分からない。しかし、その雰囲気には有無を言わせない
彼はやがて満足したように、わかった、と言って目元を緩めた。
「いやぁ、良かったよ。キミが正しい選択をしてくれて」
いつもの能天気さを取り戻し、宮守は校長机へと踵を返す。
ごとり、と黒光りする何かを机に置き、代わりにコピー用紙のようなもの――辞令書を持ってきた。
「ほんとはね、中将が渡すべきなんだけどさ。許可取ってあるし、ボクから渡すね」
「先輩って……」先ほどまでとのギャップに、神代は呆気にとられる。
「ん?」
「いえ、何でも……」
そうだ。この人は士官学校時代からこんなんだった。真剣なのかそうじゃないのか、掴めそうで掴めない。
調子が狂った神代は、ずり落ちてきたメガネを押し上げる。
「神代ユタカ少尉。キミを国立
辞令書を受け取ると、「そんじゃ、改めて説明しよう」宮守はさっそく話し始めた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「何さ?」
「俺、教員免許なんて持ってないんですけど」
ここでは全員が教師のふりをしている。したがって、教員に任命されるところまでは想定していた。しかし、サクラの担任になることは想定外だ。それはさすがに免許を持っていないとダメなのではないだろうか。
「はっはっは。そう焦るなって。中将も言っていたように、
宮守
「ボクらが教師の真似事をしている狙いはふたつある。ひとつ、円滑な兵器教育。ふたつ、吉野サクラの心理的負担の軽減。兵器に関する教育はオペレーター三人娘に任せてある。キミには後者、具体的にはメンタルケアを頼みたい」
「メンタルケア、ですか……?」
「なぁに、そう難しいことじゃないよ。キミの仕事は吉野サクラに息抜きをさせること。要するに、遊び相手になれってことさ」
「一体、何をすれば」
「それを考えるのも仕事のうちだ。別に何をしてくれても構わないぜ。こちらから指示することは何もない。遊びなら学生時代にたんまりと教えてあげただろう」
「あんなの、全然参考にならないですよ」
「はっはっは。確かにそうだな」
何をしてもいい。この回答は最悪だ。
自由なようで逆に不自由。しかも、相手が年下の異性となれば、ますます何をしていいのか分からない。
「そんな顔をしてくれるな、神代よ。遊びとは言っても、そばにいてやるだけでもいいんだ。同じ時間を共有すること、それが一番大事だからな」
「だったら別に、俺じゃなくても」
話を聞く限り、すでに桜高にいる人間でもできそうなことだ。
富嶽中将はやらないにしても、宮守に想河、オペレーター三人娘の
「いやいや、キミじゃないとダメさ。言っただろう、テストしたって。誰にでもできることなら、最初からテストなんてしないよ。この仕事はね、キミだからこそできる仕事なんだ。そこ、胸を張っていいぜ」
「はあ……」
色々あって忘れていたが、そういえばテスト
「実習や演習、今日のような実戦がない限り、基本的に兵器の授業は朝9時から昼13時までだ。その前後のすべての時間が、キミの受け持つ『学活』に割り当てられている」
「学活の時間、長くないですか?」
「そうね、かなり長いね。だけど、そのぶん色々できるぜ。やろうと思えば朝昼晩の三食を一緒に食べられるし、夜の学校で肝試しだってできる。月明かりのもとナイトプールで遊んだり、そのままオールナイトしたりもね。兵器の授業に影響が出ると困るけど、まあ、自由にやってくれ」
「まさか、俺、学校に住むわけじゃ……」
「ザッツライト! ご明察! 学校生活の詳しいことは、職員室に行ってミクルから聞いて。ツバキとマイヒメも間違いなくいるだろうから、特にツバキとはケンカせずに仲良くね。ちなみに、今晩から住んでもらうよ」
だから今日、ここに連れてきたのか、と神代は思う。
退院日の今日なら、生活に必要な最低限の手荷物とセットで連れてこられる。まさに計画的犯行。先輩の考えそうなことだ。
「先輩や他の人たちはどこに?」
「もちろん、桜高には住んでいないよ」
「もちろんって……」
「ボクたちの宿舎は学校から近い別の場所にある。いいじゃない、ふたりだけの学校ぐらし。毎日が文化祭の前夜みたいでさ。確かキミ、年は21だったよね。吉野サクラは17だ。まあまあ近いし、焦らずゆっくり攻略していきたまえ」
神代はようやく辞令の内容を理解する。
教員も担任も、すべてただの設定で、つまりはサクラと共に生活せよ、ということか。彼女がキュウタァと戦い続けられるよう、同じ場所に住んで心のケアをしろと。
「先輩たちは……本当に、サクラのことを人として見ていないんですね」
「目指している
「先輩はどこを目指しているんです」
「決まってるじゃないか。ゲームのトゥルーエンド――終末戦争の終結さ。」
キミが目指すべきはただひとつだ、そう言って宮守はコホンと咳払いをする。
顔は相変わらずにやけているが、放つオーラは先輩ではなく上官の色へと変わっていく。
「キミは担任として、吉野サクラを卒業まで導け。いいかい? これは命令だよ」
話が終わり、神代は辞令書片手に校長室を後にする。
暗い廊下の端に、明かりの点いた『保健室』が見えた。あの中では、クリニックから移されたサクラが、様々な機器に繋がれながら眠っている。
そのとき、手の中の辞令書が、ずしりと重くなった気がした。
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