体育館裏にて、呼び出し。3月同日

 応接室に戻ってみると、ドアにコピー用紙が貼ってあった。


             ――体育館裏にて待つ――             


 マジックペンで書きなぐられた文字。差出人の名前はない。ずいぶんと迫力のある字だが、これは果たし状か何かだろうか。

 体育館裏、つまり先ほどまでいたクリニックの裏手。そんな場所に呼び出しとは、一体何事だろう。ここにはつい数時間前に連れてこられたばかりで、呼び出される心当たりなどは微塵もない。

 宮守みやもり先輩のやりそうなことではあるが、その可能性は低いと言える。どんなイタズラをするにせよ、目的なしでは動かない人だ。体育館裏に呼び出すにしても、こんなまどろっこしい手を使う人じゃない。

 しかしまあ、とりあえず行くだけ行ってみよう。誰が待っているのかは分からないが、突っ立ったままうだうだ考えていても時間がムダに過ぎていくだけだ。それに、ちょうどいい暇つぶしにもなるだろう。

 神代かみしろは剥がした紙をポケットに入れ、昇降口へと歩きだす。

 外に出ると、一瞬にしてからっとした暑い空気に身体を包まれた。照りつける太陽を手で隠しながら見上げた空には雲ひとつない。学校を囲むように植えられた木々からは、セミの大合唱が聞こえてくる。

 腕時計が示す時間は正午過ぎ。気温のピークはまだ先で、今日はこれからもっと暑くなる。そう思うと、ただでさえ高い体感温度がさらに上昇するから実に不思議だ。

 体育館を目指し、第一校舎の右手――職員室のある方向に進む。

 角を曲がり、そのまま3階の連絡通路の下をくぐり抜け、第一・第二校舎の間から出ると、左前方に体育館建物が見えた。右には応接室の窓から見えたグラウンドが広がっている。

 ほんと、ここって何なんだ。神代は歩きながら考える。

 外見だけはただの学校。だが、この場所は紛れもなく『桜楯おうじゅん連合』の施設なのだ。

 桜楯連合は産官学に『統合軍』を加えた組織らしいが、その全容を知る者は極々一部の人間のみ。謎の機関が運営するこの施設、どんな秘密が隠されていてもおかしくはない。


――黒い雪が降った年、敵が攻めてきた。

 その敵は第四次世界大戦を終わらせた代わりに、新たな戦争を始めた。その戦争こそが、現在も続いている『終末戦争』である。

 終末戦争が開戦した7年前、軍事基地ならびに軍港の大半は、なすすべもなく壊滅させられた。この国の防衛力は、一瞬ともいえる短期間のうちに削ぎ落されたのだった。

 疲弊した陸海空軍を統合軍とし、それを中心に軍事政党と軍需企業、とある研究機関が集まって、桜楯連合は設立されたという。中央議会への軍の介入に一時は反発もあったようだが、徐々に声を上げる者はいなくなっていった。

 事実、現在でも国民の半数が消滅していないのは、この国を除いて他にない――。


 以上が士官学校で習った連合の概要である。

 どうして敵に対抗できているのか、とある研究機関とは何なのか、それは教官も知らないらしかった。


『連合は人ならざる者と手を組んでいるらしい』


 基地内ですら、そんなうわさがまことしやかに囁かれる始末。

 敵と同じくらい、連合の正体は謎に包まれている。

 つーっ、と額から汗が流れ落ち、意識が現実に引き戻される。気がつけば、体育館の前まで来ていた。

 アスファルトから砂利道に入り、体育館の裏に回り込む。建物が直射日光を遮っているおかげで、吹いてくる土臭い風は冷たくて気持ちがいい。

 少し離れた場所に人の姿が見える。その数、三人。いずれも女で、ひとりは壁に寄りかかり、ひとりは砂利をフェンスの外に投げ、ひとりはしゃがみ込んで遠くを見ている。

 話ができる距離まで近づくと、「遅かったじゃない」壁に寄りかかっていた長髪の女が言った。

「こんな場所までご足労すまないわね。体育館裏に呼び出すって、一度やってみたかったのよ」

 女は組んでいた腕を解き、壁から背中を離して正面に向き直る。

 腰まで伸びた黒髪が、肩先から払われふわりと広がった。

「私はキリガヤ ミクル。階級はあなたと同じ。年はひとつ上よ。どうぞよろしくね」

 首から提げられた名札を見るに、字は『桐ヶ谷』と書くらしい。

 こちらも自己紹介をし、差し出された手を握る。

「実は返却する物があって呼んだの。でも、その前に……」桐ヶ谷は後ろを向いて、「ツバキ」と名前を呼んだ。

 砂利を投げていた女の手が止まり、ふてくされた顔が神代を睨む。ずかずか歩いて来たかと思うと、その女は視線を合わせずに「殴って、悪かった……です」口を尖らせていきなり謝罪の言葉を口にした。

 何が何だか分からず、神代はただ目をぱちくりさせる。彼女はそんな様子に気づいたらしく、チッと舌打ちをしてから、「今日……、病院で……」と付け加えた。

 あぁ、そういうことか。

 病室を襲撃したのはこの三人なのだ。そして、見るからに不機嫌なショートヘアの彼女に、自分は気絶させられたらしい。

「別に、ウチは……、あんたを殴ったこと、悪いとは思ってない。確かに2回はやりすぎだった。でも、それは、あんたがミクルちゃんに手をあげたからだ。どんな状況であれ、ウチのミクルちゃんにあんなことを……、」

 彼女はぐっとこらえるように拳を震わせ、

「しょうがない。ミクルちゃんが言うから謝る。2回も殴って、悪かった……」

 言い終わると、ショートヘアの彼女はぷいと背を向けて桐ヶ谷の後ろに下がっていった。

 戻った先で残りのひとり――しゃがみ込んでいたボブカットのに「ツバキ先輩、ちゃんと謝らなきゃダメじゃないスかぁ」と言われている。それに対し「うっ、うるさい!」と怒りの返答をし、何やらぎゃあぎゃあし始めた。

 桐ヶ谷は二人の声を聞き、「ほんと、カシマしいでしょう。ごめんなさいね。」ばつが悪そうに苦笑いを浮かべる。

「改めて、病院では悪かったわね」

「こっちこそ。迎えとも知らずに、すまなかった。怪我はしてないか?」

「大丈夫。心配いらないわ」

「なら良かった」

「あのときは色々トラブっちゃっててね。完全にこっちが悪いから、あまり気にしないで頂戴。」

「そうそう、紹介するわね」桐ヶ谷は後ろを向き、「ほらっ、二人とも。ケンカしてないでちょっとこっちに来なさい」こいこいと手招きして、自分の両脇に並ばせる。

「紹介するわ。この子がイヨヅキ ツバキで、こっちの子がカヅノ マイヒメ。マイヒメはあなたより年下だけど、ツバキは同い年。仲良くしてもらえると嬉しいわ」

 名札にはそれぞれ『伊代月』、『鹿角』と書いてある。ショートヘアが伊代月で、ボブカットが鹿角だ。

 年齢順に上から桐ヶ谷ミクル、伊代月ツバキ、鹿角マイヒメ。全員が二十代だというが、鹿角だけは見た目が幼く二十代というより十代のよう。三人とも統合軍の夏服を着用しているものの、そのデザインは通常のものとは若干異なっている。色も銀翼を思わせる『灰色グレー』で、今まで一度も見たことがない。

 そういえば、宮守先輩の軍服もそうだった。もしかしなくても、ここは通常の基地とは一線を画しているらしい。

「では、そろそろ本題に入るとしましょう」

 マイヒメ、と名前を呼んで、桐ヶ谷は鹿角から半透明の袋を受け取る。

 中から何かを取り出し、「許可が下りたものを返却します。」こちらに手渡してきた。

 それは、『IDカード』と『ピストル』だった。

「その他は帰る際に返却します。それと、ピストルの弾は抜いてあるので、そのつもりで」

 弾の抜かれたピストル。一見返さなくてもよさそうなものではあるが、たぶん返却の指示を出したのは宮守だろう。この鋼の塊が、消滅した母の唯一の形見であると知っているのは彼しかいない。

 折りたたんだ袋を、まるでハンカチでも扱うようにポケットにしまってから、桐ヶ谷が言った。

「それじゃ、私たちはこれで失礼するわね。ツバキ、マイヒメ、行くわよ」

 声をかけられた二人は素直に桐ヶ谷の後を追う。その際、ボブカットの鹿角がふり返って「頑張ってくださいね、少尉殿!」額に右手をかざして敬礼してきた。神代はぎこちない笑顔でそれにこたえ、三人を見送る。

 去っていく背中から目を離し、ふと時刻を確認してみると、針は12時30分を過ぎたところだった。

 昼食にはちょうどいい時間。IDカードも返ってきたし、そろそろ学食に行ってみるとしよう。

 ここに来る途中、それらしき建物があった。校内に食堂がなかったことを考えるに、あそこで間違いないはずだ。

 踵を返し、涼しい体育館裏から灼熱の日向ひなたへ歩み出る。燦々と降り注ぐ陽光が、全身を火照ほてらせ始めた。神代は暑さから逃げるように、学食目指して駆けだした。

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