第4話

 目が覚めると、そこは静かで暗かった。


 体が濡れていて気持ち悪い。特に顔が濡れているのが最悪だ。頭にちょうどいい布が乗っていて、それで顔を拭いた。


「ふみゃあ~」


 かかっていたのは黒い液体だった。ゴシゴシと顔を拭くとタオルに黒い染みが広がっていく。顔を拭き終えると、次の問題が発生した。


 ちょうどすっぽりと隙間にハマっていて、ここから抜け出せない。自分が誰なのかも思い出せないし、ここがどこなのかもわからない。


 次第に不安な気持ちが高まる。でも、手に持った布からは昔からずっと知っているような、懐かしくて安心する匂いがしてきた。


 両手でタオルをぎゅっと握って匂いを嗅ぐと、心が落ち着いて睡魔が襲ってきた。


 もう少しだけ寝ようかな…


「ニャッ…ニャア!」


「ウミャア!」


 近くで鳴き声が聞こえる。


 何かに足元を触られた。


 最初は恐る恐る、撫でるように触れる程度で。

 次第に恐怖心がなくなったのか、その何かは口を大きく開けて噛みついてくる。


 でも、噛みつかれるよりも早く、ボクは眠りに落ちるのだった。


 ●


 …ザザッ、ザザザッ。


 次に目が覚めると、あの狭い場所とは違う場所にいた。すごく広くてとても煩い。


 地面を見ると使い込まれた木製の床が広がっている。フローリングのようなものではなく、表面がざらついた汚れた木の板。


 壁や柱も木製で目の前にはカウンター。離れた場所には丸い机が複数あり、鎧を着た人達が囲んで食事をしている。まるでファンタジーな世界の酒場ようだ。


 外からは小鳥の囀ずる声が聞こえる。まだ昼間なのに、既に出来上がっている酔っぱらい達の怒号。外からは馬車の行き交う音が聞こえてくる。


 新品の革の匂いがする。


 皮装備と言えば、はじまりの町だ。


 新人冒険者は、はじまりの町でレザー装備を買って、やっと新人を卒業する。どうやら、まだ世界は終わっていないらしい。


「ボクはどうなったみゃ…って、みゃんじゃこれええぇぇえぇ!」


 お尻に違和感を覚えて触ってみると、そこにはフサフサの何かがついていた。手で引き寄せてみると栗色の細長い尻尾だった。


 尻尾の先が白いのが特徴的のかわいい尻尾。爪を立ててしまい、今まで感じたことのない痛みを感じる。


 頭を触ると三角形の耳がついていた。つまり猫耳のようなものまでついている。軽く触ると少しくすぐったい。


「エルフ…みゃったのに…」


 エルフとは、簡単に言えば身長の高い種族だ。


 それなのにボクは身長が低いため、唯一エルフであることを証明できたのは長く伸びた自慢の耳だけだった。


 エルフ耳があった場所触ると、見事になにもない。エルフではなくなった証拠は他にもある。


 視力がガクンと落ちている。遠くのモンスターを弓で射るのが得意だったのに。その代わり耳が良くなっている気がする。


 酔っ払いの怒号が聞こえる中、小鳥の囀りが聞きわけられたのが証拠だ。ボクの遠くまで見渡せる目は視力が落ち、その代わり耳がものすごくよくなっていた。


 遠くの小さい音まで聞こえてくる。猫獣人は夜目が聞くが視力は悪い、そして耳がすごくいい。


 それに声を出すと猫獣人特有の訛りの「にゃ」「みゃ」といった舌足らずなしゃべり方になってしまう。


「そ、そんみゃあ…」


 どうやら、ボクは猫獣人になってしまったようだ。猫耳がペタンと前に倒れる。悲しさのあまり尻尾も力なく垂れ下がる。


「お名前は何ですか?」


「…みゃ?」


 目の前のカウンターにいる受付嬢が名前を聞いてきた。ペンを片手に書類を書いている。ボクは冒険者ギルドの受付前にいたらしい。


「…いったいこれはどうみゃってるんですみゃ?」


「お名前はなんですか?」


「ボクはエルフで、猫獣人じゃなかったはずみゃんですが…」


「お名前はなんですか?」


 ああ、そうだった。


 聞かれた質問には答えなければならない。


 それが、この世界のルール。


 選択肢の回答がほとんどだけど、名前はこうして自由に回答できるようになっている。


「ええっと、ボクの名前は、ああ…みゃ?」


 名前を思い出そうとすると、どうしても「ああああ」という四文字しか頭に浮かばない。これが名前だとは思えない。


 仮にもボクは、世界を救おうとしていたパーティーメンバーの一人。きっと格好いい名前があったはずだ。


 むむむ…


「…さん、…します」


 腕を組んで数分悩んでいると、受付嬢が何度も話しかけていることに気がついた。


「…ーミャさん、アーミャさん。ジョブ申請をお願いします」


「みゃ? アーミャって、ボクのこと?」


「ご自分で言ったじゃないですか。ジョブ申請をお願いします」


「あ、ああ。ボクはアーミャ。アーミャ…なのかみゃ?」


 受付嬢は登録に必要な項目を聞いていき、戸惑いつつもそれに答えていった。


「これで冒険者登録はおしまいです」


 受付嬢はそう言うと、冒険者証明を渡してきた。それを受けとると、受付嬢は笑顔でこう言った。


「ようこそ、はじまりの町へ!」


 こうして、エルフだったボクは…




 名前:アーミャ

 性別:女性

 種族:猫獣人

 職業:弓術士




 の、一人の駆け出し冒険者として、このバグだらけの世界で冒険者登録をした。




 ―――――――――――――――

 気ままミャtips

【猫耳】


 三角形のかわいい猫の耳。


 本人、もとい本猫にしかわからないが、猫は数キロ先の音も聞こえるらしい。蟻の歩く音が聞こえるとも言われている。猫がイニシャルGの黒い悪魔を仕留められるのは、この耳のお陰なのかもしれない。

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