第3話 三澄家の日常

「あ、ヤバっ」


 冷蔵庫から出したキンキンに冷えた缶ビールをその場で開ける。


 盛大にプシュ、という音を立てて泡を噴き出し、床に零れないように慌ててゴクゴクと飲み込んだ。


 休日の昼間に飲むビールは最高だ。それに、RTAを走り終えた後の一口は更に格別だ。


「うーん! やっぱ完走後のビールは旨いっ!」


 中年ゲームプレイヤーである三澄透は、レトロゲームのRTAを走り終えて、その余韻に浸っていた。


 完走した感想としては、最後のガバがなければ自己記録を三秒は縮められた。それ以外は珍しく完璧な走りだった。


 チャートにも「ここガバ注意!」と大きく赤文字でちゃーんと書いてあったというのに。それでもミスをするのが人間というものだ。だが、そのガバで新しい発見もあった。


 なぜかルーナのドット絵がエンドロールに表示されていた。何百回もエンドロールを見ているのに、初めて見るバグだった。


 ルーナとは、自分のことをボクという弓術士のエルフの少女。


 背が低いことを気にしているが、そこがまたかわいい。とあるイベントをクリアすると覚醒して、ゲーム内で一、二を争うくらいの強キャラになるのも燃える要素だ。


 覚醒するとついでに身長まで伸びてしまうが、まあ誤差だよ誤差。


 ただ、その覚醒イベントはタイムが縮まないためRTAのチャートには組み込まれていない。ちなみに、俺の一番好きなキャラだったりする。今回のバグは新しいバグかもしれない。


 後でちゃんと検証しないとな…


 ビール片手に部屋へ戻っていると、大きな物音が聞こえてきた。ガチャン、という何かが落ちた音や、ドタドタと走り回るような音まで聞こえてくる。発信源は俺の部屋のようだ。


 ガチャン!


「ニャー!」


「ミャー!!」


 今日も愛猫のルカとテトが元気に運動会を始めているようだ。喧嘩するほど仲がいいとはいうが、もう少し控えてくれると嬉しい。


「全く、あいつらは」


 毎度のことで呆れてはいるが、そんな態度とは裏腹に、ついつい頬がゆるんでしまう。猫は自由気ままなのがかわいいから、これはこれで癒されるのだ。


 今回RTAを走ったソフトは「Luna Location VI」。ファンからは「エルエル」「ルナロケ」という略称で呼ばれている、LLシリーズの六番目の作品。


 どちらの略称で呼ぶか、ファンの間で長いこと論争が繰り広げられていたりする。


 ちなみに俺は「エルエル」派だ。


 来春、二十作品目が発売するくらい長く続いていて、実はLLVIと俺は同い年。俺のほうが一カ月ほど年上だったりする。


 そこに親近感を覚えて、親父が発売当時にへそくりで買ったゲーム機とゲームソフトを大人になってから譲ってもらった。


 母さんが俺の育児で忙しい中、親父はこっそりとこのゲーム機で遊んでいたらしい。そのことがバレて、ゲーム機を窓から投げ捨てられそうになったことがあったとかなかったとか。


 とまあ、そんな曰くつきのゲーム機を使い、俺は長く遊び続けているわけだ。


「…って、やばっ!」


 半分ほど缶ビールを飲んで部屋に戻ると異変があった。


 RTA中にいつでも飲めるように置いてあったコーヒーを淹れたコップ、それが零れていたのだ。よりにもよってゲーム機にかかっている。


 見事にゲームソフトにも直撃していて、差口にコーヒーが侵入している。そのせいで文字化けしたのか、テレビに出力されている文字の表示がおかしくなっていた。




 キよマニにゃーゲーム

 ▶はい

  いいト




 LLVIはエンドロールの最後に「THE END」という文字が表示される。


 そこまでがRTAの計測区間、つまりRTAの記録となる。その後に何かボタンを押すと、クリアデータを引き継いで周回プレイをするための「つよくてニューゲーム」をするかを選ぶことになる。


 俺は記録を録った後、放置していた。この文字は愛猫達が俺の部屋で騒ぎ、ゲーム機にコーヒーを零し、誤ってコントローラーを押して、その結果「つよくてニューゲーム」が文字化けしたものだろう。


 文字化けした画面を横目に見ながら、テーブルの上に置いてあったティッシュを何枚も取り、慌ててゲーム機を拭く。持ち上げるとポタポタと滴ってくる。水が滴るのはいい女だけで十分だ。


 こいつはゲーム機だから何も滴らなくていいんだよ!


 まあ、生まれてこのかた彼女がいたことなんて一度もないが。犯人…ではなく犯猫達を探すと、ドタドタと廊下で運動会を続けていた。


「はあ、全く。あいつらは自由だなぁ…」


 猫は自由気ままな生き物。


 一般的には猫が悪いことをした時に怒ると逆効果だったりする。賢い猫だと飼い主が怒ると反省する猫もいるが、ルカとテトはそこまで賢くない。猫は自由に生きて、好きな場所で一日を過ごす。


 なにか失敗をすると、失敗を無かったことにして素知らぬ顔をする。そんな、自由気ままなところがかわいいかったりする。


 ルカとテトが怪我をしなかっただけでもよかった。そう自分に言い聞かせる。


 ゲーム機の中を確認するためにゲームソフトを外そうとした瞬間、指にビリッと電気が走るような痛みを感じた。


 …ジジジ、バチッ。


「っ!?」


 コンセントに電源プラグを差したままだった。慌てて電源プラグを引き抜く。幸いブレーカーが落ちることはなく、他の家電が壊れることもなかった。他の家電は無事だったが、ゲーム機からは白い煙がもくもくと出はじめた。


 これは親父から譲ってもらった、この世にひとつしかないもの。ゲームソフトも含めて弟のような存在だったのに、もう壊れてしまっただろう。

 

「ああ…代々受け継ごうと思っていた我が家の家宝が…俺の弟がぁ…」


 弟のように思っていた家族同然の家宝。


 だが、この家宝は親父が存命であり、更にはこの家で一緒に住んでいることから、まだ一代も受け継がれていなかった。


 つまり、何の変哲もない一台のレトロゲームのゲーム機と、そのゲームソフトだったのだ。


 ドタドタ!


「ウニャア!」


 ルカとテトは、まだ元気に走り回っている。今回の一件は俺のガバ。予備のゲーム機は一応持っている。


 ゲームソフトは壊れたら新しく買えばいいだけだ。そう考えようとしても、まだ諦めきれない俺がいる。


「はあ…これ、乾かしたら直ったりしないか?」


 無理だとわかっていても、試さずにはいられなかった。まだ濡れている壊れたハードを、部屋にあったタオルで優しく包む。愛猫達に枕をよく占領されるから、いつも枕の上に敷いているタオルだ。


 タオルに黒い染みが広がる。コーヒーの染みは落ちにくいが、ちょうど交換時期だったと思えばいいだろう。


 長年のテトのふみふみやら爪とぎで、かなりボロボロになっていたからなあ。


 棚と壁の隙間に置く。ちょうど小柄な人間ひとりがギリギリ入れそうな狭い場所。


 猫にはちょうどいいみたいで、たまにルカがすっぽりと収まっている。そんな場所でも、ゲーム機にとっては余裕の広さだ。


 既に煙は止まったが、換気のために部屋の窓を開けた。


「これでよし。はあ…」


 掃除を終えると、ベッドにバタンと倒れて、悲しみのあまりふて寝した。


 その結果、愛猫達の「夕飯はまだか!」という強烈な猫パンチを顔面に受けて、夕方に起こされるのだった。




 ―――――――――――――――

 気ままミャtips

【RTA】


 リアルタイムアタックの略。


 決められたレギュレーションでテレビゲームをクリアする、プレイヤーのやり込み要素。RTAをすることを、RTAを走ると言う。


 ちなみに、タイムアタックもテレビゲームと同じ和製英語であり、英語ではスピードランと呼ばれている。

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