第21話 笑顔

 俺は魔族に問いかける。


「てめえには悪いがここで消えてもらう。何か言い残すことはあるか?」


「くっ、このゲルギアスがこんなクズにやられるだと!?」


 異形と化したゲルギアスは先ほどの攻撃で相当のダメージを受けて立ち上がるのもやっとのようだった。


「言いたいことはそれだけか?」


 俺はゆっくりとゲルギアスに歩み寄る。


「くっ、このっ!私に近寄るなっ!」


 ゲルギアスは錯乱したように魔剣を振り回す。


「哀れだなゲルギアス。今、俺が引導を渡してやるよ」


 俺は吸収される以上の魔力を聖痕から引き出し続け、ゲルギアスに肉薄すると振り回される魔剣を片腕で受け止めた後、思い切り弾き飛ばした。


 丸腰になったゲルギアスは体を震わせながら叫ぶ。


「人間ごときがっ!調子に乗るなっ!」


 ゲルギアスは闇の魔力をほとばしらせながら、何かをしようとしている。


「無駄なことはやめるんだな。道ずれにしようってんなら無理だぜ?その程度の魔力、今の俺なら十分抑え込める」


「クカカカカ!おごったな!人間!」


「何っ!?まさか!?」


 その時、迂闊にも失念していた一つの可能性が俺の脳裏をよぎった。


「ガイゼル!逃げろ!」


「もう遅い!ハッ!」


 ゲルギアスが叫ぶとガイゼルの足元から闇の魔力が飛び出し、ガイゼルに襲い掛かる。


「くっ、しまった!」


 ガイゼルはディバイドリッパーで迎撃を試みたが間に合わない。


 そして、闇の魔力の刃はガイゼルの腹部に深々と突き刺さった。


「ゴバァッ!」


 ガイゼルは口から血を吐き、膝をつく。


「くそっ!やめろおおおおおお!!!」


 俺は気づかぬうちに地中に潜んでいたゲルギアスの魔力を強引に引きずり出して

ゲルギアスに跳ね返した。


「ぐはっ!」


 ゲルギアスは自らの魔力の刃に切り裂かれてバラバラに四散する。


 ゲルギアスを屠ると、俺は急いでガイゼルに駆け寄った。


「ガイゼル!」


「ぐふっ、スマン。油断していた・・・。」


 既にガイゼルの周囲は血の海と化し、ガイゼルは倒れ伏して動くことが出来ない。


「待ってろ!今治癒魔法で治す!」


 俺はオリヴィエから教わっていた治癒魔法でガイゼルの傷を修復し、失われた血を補充する。


「ガイゼル!傷は治したぞ!大丈夫か!?」


 ガイゼルは何事もなかったかのように体を起こして俺の呼びかけに答えた。


「どうやら、また死に損なったらしいな。ありがとう、助かった。」


 俺は安堵してほっと息を漏らす。


「しかし、あのゲルギアスとかいう魔族はなんだったんだ?たしか、ガイゼルの報告書を狙ってるって話だったよな?」


 俺の質問にガイゼルが答える。


「詳しいことは私にも分からないが、この報告書にはある人物の不正の証拠がまとめてある。状況から言って、何らかの形で魔族と通じていることも確実だな。この件は私が考えていた以上に根深い問題らしい。しかし、この報告書さえあれば・・・」


 ガイゼルは報告書を取り出そうと懐に手を入れる。


 しかし、あるべきはずの報告書がそこにはなかった。


「何!?そんな、まさか!?」


「ククク・・・・」


 困惑する俺たちをもはや動くことすらままならないゲルギアスが嘲笑う。


「ゲルギアス!?てめえまだ生きてやがったのか!?」


「この私が・・・ただで・・・・死ぬと・・・思った・・・か?」


「まさか、さっきの攻撃はそのために?初めからこれを狙っていたのか!?」


「少々・・・予定は狂ったが・・・役目は果たした・・・ぞ・・・」


 そう言い残すと事切れたゲルギアスは黒い霧になって消えていった。


「くっ、まんまとしてやられるとは・・・このガイゼル一生の不覚だ・・・!」


 ガイゼルは沈痛な面持ちで後悔の念をにじませた。


「つっても、ガイゼルさえ無事なら報告書はまた書き直せるだろ?そんなに落ち込むなよ」


「いや、あの報告書には物証となる書類も含まれていた。それらをもう一度入手することは容易ではないのだ・・・」


 ひどく落胆しているガイゼルを励ましたいところだったが、状況が状況だけにかける言葉が浮かんでこない。


 炎上している屋敷のことも放ってはおけないし、どうやって事態を収拾したものかと困っていると背後から聞きなれた声が響いた。


「これはまた派手にやられたものだな」


 俺とガイゼルは声の主の方に振り返る。


「オリヴィエ殿・・・。あなたが来られたということは、既に・・・」


「ああ、ゴーベルスタイン家が襲撃を受けたという情報はもう王都中に伝わっているよ。私は知らせを聞いて一足先に転移してきたが、直に兵士たちも救援に来るだろう」


 オリヴィエはすっかり沈んでいる俺たちに喝を入れるように言った。


「何をぼさっとしている?今はとにかくこの状況をなんとかするしかないだろう、違うか?」


 オリヴィエの言葉を受けて俺とガイゼルは少しだけ平静を取り戻せた。


「そうですな・・・。シンゴとオリヴィエ殿には屋敷の鎮火をお願いします。私は逃げ遅れたものがいないか見回ってきます」


「ここまで派手に燃えていると二人がかりでも簡単にはいかないが、やるしかない。ここは役割分担といこう。私が結界を張って酸素を遮断するから、ある程度火が弱まったら、お前は水を生成して消火してくれ」


「分かった」


 オリヴィエの指示通り、俺はできうる限りの量の水を空中に生成して待機する。


 オリヴィエが結界を張ってしばらくすると目に見えて火の勢いは弱まっていった。


「そろそろいいだろう。シンゴ、私が結界を解いたらすぐに水をかけろよ」


「おう」


 オリヴィエが結界を解いたタイミングで俺は空中に浮かべた大量の水を屋敷に散布した。


 勢いが弱まっていた火は水をかけるとジュワっと音を立てて消えていった。それでも多少の火は残っていたが、それは俺とオリヴィエで協力して地道に消して回った。


 そうして丁度あらかた屋敷の消火を終えたところにガイゼルが王宮の兵士たちを引き連れて戻ってきた。


「若様、オリヴィエ殿、ご苦労様です。あとの片付けは我々にお任せください」


「おいおい、ガイゼル、お前だって魔法で治癒したとはいえ、あれだけの傷を負った後なんだ。あまり無理はせずにあとは兵士たちに任せたらどうだ?」


「いえ、そういうわけには・・・」


「何だと?ガイゼル殿ほどの武人が傷を負わされるとは・・・。相手はそれほどの手練れだったのか?」


 そう聞かれた俺はオリヴィエに襲撃の顛末を説明した。


「待て!相手は魔族だったと言ったな?ガイゼル殿、すぐに私の工房に来てください。シンゴ、お前もだ」


 そう告げるとオリヴィエは有無を言わさず、転移魔法で俺たちを自らの魔法工房に連れていった。


 オリヴィエの工房は思いのほか綺麗に片付けられていて、それほど置いてある物も多くなく、広々としている。


 石造りの建物で飾り気はなかったが、そこは飾らないオリヴィエの性格が反映されているように感じた。


 などと、のんきに工房を眺めていた俺にオリヴィエが深刻そうな顔で耳打ちしてきた。


「ガイゼル殿は魔族の呪いを受けている可能性が高い。それも上級魔族からのものだとすると、これほど時間が経ってしまっては解呪は難しいだろう。最悪の事態も覚悟しておけ」


「!?」


 驚いて声を上げそうになった俺をオリヴィエが無言で制止する。


「落ち着け、まだそうと決まったわけじゃない。だが、くれぐれもガイゼル殿には気取られぬようにしろ。私は解呪の準備をしてくる。それまでお前はガイゼル殿を見ていてくれ」


 そう言うとオリヴィエは工房の奥に消えていった。


 突然の不穏な話に俺は内心、冷静ではいられなかった。


 最悪の事態。それが何を意味するかは明白だ。


 しかし、それを受け止めるにはその時の俺はあまりにも未熟過ぎた。


「どうした?シンゴ、顔色が悪いぞ?」


 ガイゼルは俺の動揺を見抜いて逆に俺のことを心配そうに見てきた。


「いや、なんでもないんだ。ちょっと疲れただけだよ」


 俺はなんとか平静を装おうとしたが、ガイゼルはそんな俺の様子を見て何かを悟ったような表情をして言った。


「シンゴ、お前には夢があるか?」


 夢。


 俺は幼いころからその言葉が嫌いだった。


 昔から何の取り柄もなかった俺には夢なんて言えるようなものはなかった。


 だから、大人たちに夢は何かと聞かれるたびに適当な嘘を吐いて誤魔化した。


 それがたまらなく苦痛だった。


 ガイゼルの問いかけでそんな昔の記憶が蘇る。


 俺が答えに詰まっていると、ガイゼルは俺の目を見据えてこう言った。


「私には夢がある。だが、私の夢は私が生きているうちには叶えられそうにない。しかし、それでいいと思っている。夢というものは時代を超えて人から人へと受け継がれていくものだ。だから、私は、私の夢をお前に託したい」


「託す?」


「そうだ・・・。ぐっ!」


「ガイゼル!?」


 俺は突然苦しみ出したガイゼルに慌てて駆け寄る。


「どうした!?大丈夫か!?くそっ!師匠!」


 俺がオリヴィエを呼びに行こうとするとガイゼルは服を掴んで俺を引き留めた。


「待て、まだ話の途中だ・・・」


「こんな時にそんなこと言ってる場合かよ!?」


「こんな時・・・だからだよ・・・」


 ガイゼルは息も絶え絶えになりながらも話を続けようとする。


 その瞳には不安な顔をした俺が映っていた。


 だが、ガイゼルは何故かとても穏やかに笑っていた。


 あんな笑顔は俺は見たことが無かった。


 それはとても幸せそうで、信じられないくらい綺麗な笑顔だった。


 それが夢を持っているおかげだとするならば、俺も夢を持ってみたいと、そんな風に思えてくる程の笑顔。


 不安な表情の俺と笑顔のガイゼル、対照的な二人の間には、しかしその時、確かに何か、通じ合うものが存在していた。

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