第17話 ガイゼル
巨大な亀の魔物と戦った後、行きと同じく馬車に乗って湖を後にした俺たちは王都の入口で解散してそれぞれ帰途に就いた。
暮れなずむ街中を徒歩でゴーベルスタインの屋敷に向かう道すがら、俺はオリヴィエにセツナのことについて質問した。
「あのセツナって奴は、ひと目見ただけで俺がアルベルトではないことを見抜いた。あれは一体どういうからくりなんだ?」
「金眼の力、か。わたしも詳しいことは把握していないが、ザパルグの血を引く者には魔力とはまた別種の力である、気という力を操る能力があるらしい」
「気、ね。じゃあ、師匠が俺の魂の波長を感じ取ったみたいに、セツナは俺がまとっている気を見てアルベルトとは別人だと判断したということか」
「そういうことだな」
セツナとは水泳対決をしていたはずだが、結局、勝負がどうとかいう話は非常事態だったこともあってうやむやになっていた。
「まさか聖痕の力と張り合えるほどの力が存在したとはな。それほどの力を持ちながらザパルグって国はどうして滅んだんだ?」
「分からん。文献も何も詳しい情報は残っていない。ただ、一つ言えるのは、強大な力は使い方を間違えれば災いをもたらすこともあるということだ」
「呪われた血、なんて言われるからには何かあったんだろうが・・・。あまり気持ちのいい話じゃなさそうだな」
そこまで話したところで、俺たちは屋敷に到着した。
折よく、ガイゼルが出迎える。
「帰ったか。夕食の準備はできているぞ」
「ああ、分かった。落ち着いたらすぐに食堂に行くよ」
ガイゼルは静かに俺の側まで近づいて来る。
途中で少し逡巡するように一瞬立ち止まったが、結局そのまま歩き続けて、俺の肩に手を置くと、俺に話しかけてきた。
「シンゴ、明日のことで少し話がある。夕飯が済んだら私の部屋まで来てくれ」
「おう。じゃ、後で」
その後、俺とオリヴィエは食堂へ向かうと、それほど会話を交わすでもなく食事を済ませ、それぞれの部屋に引き揚げて行った。
「おっと、そういえばガイゼルに呼ばれてたな」
俺はそう独りごちると、長い廊下を引き返して、ガイゼルの執務室になっている離れに向かった。
離れのそばには大きな木がそびえていて、昼間は建物に大きく影を落としている。
今はすっかり日も落ちて完全に夜なのでそんなことは分かりようもなかったが、その木の圧倒的な存在感は健在だった。
ガイゼルの話では、その木は丁度ガイゼルがゴーベルスタイン家に仕えるようになったのと同じ時期に植樹されたものらしく、非常に愛着が強いようだった。
離れの入口の扉までたどり着くと、俺はノックしてガイゼルを呼んだ。
「おーい、ガイゼル。来たぞ」
すると、待ち構えていたのであろうガイゼルがさっと、ドアを開けた。
「来たか。まあ入れ」
ガイゼルは二人分の茶を入れて出してきた。
俺は一口お茶をすすってから、口火を切った。
「で、なんだよ?話ってのは」
ガイゼルはお茶には手を付けずに俺の方を見据えると、黒よりも白い髪の割合が勝る頭を掻きながら、その深く皺が刻まれた顔にさらに皺をよせて答えた。
「明日は少し領地に視察に出るのだがお前も同行しないか?」
「視察?」
「そうだ。仮にも領主であるならば、たまにはそういうこともせねば領民に示しがつかん。それは分かるな?」
ガイゼルの醸し出す雰囲気的に、もっと何か重要な話かと思って身構えていたが、聞いて見ればなんのこともない話じゃないか、と、その時の俺は思った。
「分かった。そういうことなら仕方ないわな」
「そうか。それならよいのだ。明日はできるだけ色々な場所を回りたいと思っている。早朝に出て戻るのは日没後になるだろうが、頼んだぞ」
俺はガイゼルと明日の約束を交わすと自室に戻った。
「今日は久しぶりに動き回って疲れたな・・・」
俺はベッドにドサッと倒れこむと、昼間の戦闘の疲れからか、そのまま寝落ちしてしまった。
そして翌朝、俺が目を覚ますと、いきなりガイゼルの顔が目に飛び込んできた。
「うおぉおい!びっくりした!なんだよガイゼル、脅かすなよ」
「す、すまん。眠っていると、違うと分かっておっても若様を見ておる気分になってしまってな・・・。いや、こういう言い方はお前に悪いな」
ガイゼルがこんなにシュンとして謝るのは珍しいことだが、俺はさして気に留めることなく返事をする。
「無理もないさ。俺だって、できればアルベルトに体を返してやりたいが、師匠曰く、この体にはもう俺以外の魂は微塵も残っちゃいないらしいからな」
「ああ、若様は亡くなられた。事実は事実として受け入れるしかない。さて、起きたのなら視察の仕度をしておけよ」
そう言い残すとガイゼルはそそくさと立ち去った。
「なーんか、らしくないな。じいさん」
ガイゼルの様子に多少の違和感を覚えつつも、俺は言われた通りに視察に向けた準備を整える。
準備を終えて、朝飯を済ませると俺とガイゼルは馬車に乗って、約束通りに視察に出て行った。
「まずは市場に向かうぞ。丁度朝市が始まるころだ。人混みではぐれないように気を付けろ」
「へーい。了解」
馬車が市場に到着すると、俺たちは周りの注目を全身に受けながら、市場を軽く巡回した。
「うむ、特に異常はないな」
「ああ、すごく活気があって皆いい顔をしてる。平和だなここは」
「そうだな・・・」
俺の率直な感想に対して、ガイゼルは生返事で応えた。
これはいよいよガイゼルらしくない。
「なんだ?なんか考え事か?」
「いや、気にせんでくれ。私もこのところ政務に追われて疲れが溜まっていてな・・・。ただそれだけだ」
「?まあ、いいけどさ・・・」
さすがにガイゼルに仕事を押し付けすぎていたと、俺は珍しく反省して、せめて今日の視察くらいは真面目に付き合ってやろうと思いを新たにして、俺たちは視察を続行した。
「次は近くの農村の方に行く。今年は豊作だと聞いているが、トラブルがないかどうかよく観察せねばならん」
「おう」
そうして昼前には農村にたどり着いた。しかし、農村では俺たちの格好はいささか目立ちすぎて、それを見て集まってきた村人たちはあまり気分がよくはなさそうだった。
「おい、領主様だぞ?」
「何しに来たんだ?まさか、税を取り立てに来たのか?」
「わざわざこんなとこまで来るなんて滅多にないことだ。きっとろくなことじゃないさ・・・」
漏れ聞こえてくる村人たちの声は、その苦しい暮らしぶりを感じさせて俺はあまりの居心地の悪さに消えてしまいたい気分になる。
「おい、ガイゼル。なんとか言ったらどうだ?皆明らかに不満が溜まってるみたいだぞ」
「そんなことをしても、火に油を注ぐだけだ。黙ってついて来い」
ガイゼルはつかつかと歩いて、村の水源になっている川の方へ向かった。
川のせせらぎは清らかで、眺めているとくさくさした気分が洗い流されるような感覚があった。
「領地経営は上手くいってるって聞いてたけど・・・、ちょっと話が違わないか?」
「これでも、他の領主が預かる領地と比べれば、まだマシと言えるのだがな・・・。それでも皆に苦労を強いてしまっていることは事実だ。これは我々が抱える大きな課題の一つ。いずれはなんとかしたいと思っている」
ガイゼルは苦々しい表情でゴーベルスタイン領の現状をそう評した。
俺は政治なんて何も分からないし、知りたいとも思わない。だが、こういう立場になってしまうと、無感情でもいられないのが正直なところだった。
「そんな顔はやめろ。気にするな、とも言いにくいが・・・、これはお前のせいではない」
「仕方ないことだってか?」
「・・・」
ガイゼルはそれには答えなかった。
その後、平原や沼地、工業地帯などを回ったが、俺たちはろくに言葉を交わすこともなく、険悪とまではいかないが、和やかな雰囲気とは言い難かった。
だんだんと日も落ち始めたころ、ガイゼルは最後の目的地を告げた。
「次に行く場所は、いわゆる貧民街だ。過度に警戒する必要はないが、それなりに覚悟はしておけ」
「え、そんな場所に行って何をするんだ?貧しい農村でさっきはあんな感じになったのに、貧民街なんて俺たちが行ったら・・・」
「だからこそだ。すべては我々の無力さが招いたこと。なればこそ、目を背けることは許されない。我々にはその責任があるのだ」
ガイゼルの言うことも分かるが、正直なところ俺はそんなことをしても意味はないように思えて気は進まなかった。
「まあ、約束だから一応付き合うけどさ・・・」
夕日に照らされた並木道を抜けて、俺たちは掘っ立て小屋が立ち並ぶ、見るからにギリギリの生活をしていそうな集落にやってきた。
「これは・・・」
貧民街の道端ではボロボロの服を着た子供たちがぼろ切れを丸めただけのボールでサッカーのような遊びをしていたが、俺たちがいることに気づくと蜘蛛の子を散らすようにみんな逃げ帰って行った。
それを見て、ちらほらと道を歩いていた大人たちもいそいそと掘っ立て小屋に逃げ込んでいく。
あとに残された俺たちは、こっそりと窓からこちらを覗き見ている視線を感じながらもバカみたいに突っ立っていた。
「率直に聞く。どう思う?」
「どうもこうもねえだろ。なんでこんなになるまで放っておいたんだ?」
ガイゼルは遠い目をして言った。
「ここも昔はこれほどひどい場所ではなかった。変わり始めたのは現エルクト王が即位した三十年ほど前からだ。地場産業であった陶器の製造を王室が管理するようになると競争が激化して立場の弱い小さな工房からどんどんつぶれていき、生き残った大規模工房は王室に買い上げられた上に他所に移転して、ここは町としての機能を失った。やがて、ほとんどの住民はここから去って行き、他に行き場のないような者や流れ者だけが集まる貧民街になってしまったのだ」
「これがエルクト王のやり方だってんなら、どこが賢王なんだよ?実力主義ってのは、弱者をただ切り捨ててしまえばいいってだけの話か?」
俺はなんともやるせない気持ちでいっぱいだった。
それはガイゼルも同じなのだろう。
だから分かる。おそらくガイゼルが俺に本当に見せたかったのはコレだ。この視察はこのための口実だったというわけだ。
しかし、なぜ俺にこれを見せようと思ったのか。俺に何を期待しているのか。
その答えを手っ取り早く知る方法は、直接ガイゼルに尋ねる他はないだろう。
「こっちも率直に聞かせてもらうけど、あんたはこれを見せて、俺にどうしろってんだ?」
「今ここで何かをしろとは言わない。ただ、知っておいてもらいたかった。この国が抱える歪みと、その根深さを」
ガイゼルの返答を聞いて、俺は視察に付いて来たことを後悔し始めていた。
「そんなものは、知ったところでどうにもできないことだろ。わざわざこんなとこまで連れて来ておいて、ただ知って欲しいだけって・・・。勘弁してくれよ。俺が搾取した結果だというならまだしも・・・。そういうわけでもないなら、俺にできることは何もないぞ?」
「そうだな。我々にできることなど何もないのかもしれん。だが、ここは私の故郷なのだ・・・」
「ガイゼルの故郷?マジかよ・・・。気品だの礼儀だのっていつもうるさいから、てっきりどっかいいとこの出だとばかり思ってたぞ」
ガイゼルはふっと失笑を漏らす。その表情は言葉では表現しきれない哀愁を感じさせた。
「それこそ買い被りだな。私は、忠犬などと例えられることもあるが、たまたま運よくゴーベルスタイン家に拾われただけの野良犬のようなものだ」
そこまで話したところで、ガイゼルは俺に馬車に戻る様に促した。
視察はこれで終わりということだろう。
馬車に揺られて、薄汚れた街並みが見えなくなってきた辺りでガイゼルは先ほどの話の続きをし始めた。
「グラン様の先代であったゲラルト様はとても人間が出来たお方だった。下級貴族で今のゴーベルスタイン家のような力はまったくなかったが、隣国との小競り合いが絶えなかった時代に戦時特例で下民の出だった私を取り立ててくださった。そのころはまだ先代エルクト王の治世でな、ほぼ完全な身分制が敷かれていて、どんなに実力があっても家の格を超えて出世することなどはほとんど不可能だった」
「そうか、それであんたはゴーベルスタイン家への忠義が厚いんだな」
「ああ。私はこの家に返し切れないほどの恩がある。それに少しでも報いるために、今まで働いてきた」
そこで一旦言葉を切って、ガイゼルはじっと己の手を見つめながら、自分に言い聞かせるように呟いた。
「だが、それももうすぐ終わりだ」
「終わり?隠居でもするのか?」
「シンゴ、私は・・・私の命は、おそらくもう長くはない。分かるのだ、私はそう遠くないうちに死ぬ」
俺は、ガイゼルの重い発言を受け止めきれず、つい軽い言葉で応じる。
「そんなこと言って、実は俺より長生きするんじゃねえの?」
「シンゴ、これは真剣な話だ。突然こんなことを言われて戸惑うのは分かる。だが、どうか私の遺言だと思ってしっかり聞いてほしい」
「やめろよ、縁起でもねえ。そんな話聞きたくねえよ・・・」
だが、ガイゼルは引かなかった。俺の肩を掴んで続けて言う。
「聞け、シンゴ。いいか、私が死んだら私の書庫の金庫の奥にある報告書を私の代わりにある人物に渡して欲しい」
「だから、そんな死ぬ死ぬ言うなって。生きて自分で渡せよ!」
俺の方を見ながら、ガイゼルは寂しそうに笑った。
「私はもう十分生きた。だが、死ぬ前に最後の仕事を果たしてから逝きたいのだ。しかし、少し急ぎ過ぎたようだ・・・。お前に聞く用意ができたら、続きを話すとしよう」
「・・・」
その後、俺たちは屋敷に着くまで無言で馬車に揺られた。
屋敷に到着すると、使用人が何人かで出迎えてくれた。
そして、その中の一人が一通の書簡をガイゼルに手渡してきた。
「む、これは・・・王宮でのパーティーへの招待状?また急な話だな・・・」
「パーティー?まさか俺に出席しろってか?」
「そのようだ。オリヴィエ殿も同行させろとのことらしい。気は進まないだろうが社交界に顔を出すのも当主の仕事だ。まあ、オリヴィエ殿が一緒なら問題はないだろう」
「うへぇ、勘弁してくれよ・・・」
俺は辟易としながらも、パーティーに出席することを承諾して、ガイゼルと別れた。
「パーティーねぇ・・・」
食事やら何やらが済み、あとは寝るだけになったところで、俺はその日の出来事を
ガイゼルの話とパーティーのことを考えると、心は晴れず、もやもやした気持ちを抱えながらも、その日は眠りについた。
そうしたら、夢を見た。
その日の出来事を反映してのことか、夢にはガイゼルが出てきた。
起きた時には詳しい内容は忘れていたが、一緒に酒を飲んで笑っていた気がする。
「そういや、肉体的に未成年だから控えてたけど、こっちじゃもう成人扱いなんだし、今度本当にガイゼルと酒でも飲んでみるか?そうすりゃ、つまんねえ心配だか不安も消えるかもしれねえしな」
そんな独り言を漏らすと、俺は体を起こして、明るい朝日に包まれた世界へと踏み出して行くのだった。
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