第2話 転生したはいいものの

 事故に遭って異世界転生して別人として生きることになった俺は

のっけから大ピンチに陥ってしまったらしかった。


 赤ん坊として生まれたところから始まるのではなく、ある時点から他人に成り代わるパターンの転生であったため、俺には本来あるべき記憶がなかった。


 まさか異世界から転生したなどと説明するわけにもいかない都合上俺は、それを記憶喪失のためであると居合わせた少女に申告したところ、その少女は俺に対して容赦のない現実を突きつけてきた。


「記憶喪失ならあなた、自分がなぜ落馬の危険も顧みずに雨でぬかるんだ草原を走り抜けようとしていたのかも覚えていないのでしょう?」

「う・・・、ど、どうしてなんだ?」

「いいわ、それくらいは教えてあげる。」


 そう言うと少女は腰に巻かれたポーチの中から、雑に折りたたまれた一枚の紙を

取り出して俺の眼前で広げてみせた。


「これがあなたが慌てていた理由よ。」


 そこには異世界語で短い文章が書かれていた。翻訳スキルは視覚情報に対しても

有効らしく、俺はそこに書かれている内容をすぐに理解した。


『チチ キトク スグ カエレ』


「これは、俺宛の手紙か?」

「そうよ。つい先刻伝書鳩で送られてきたわ。」

「そうか。じゃあアルベルト・ゴーベルスタイン、それが俺の名前か。」

「ええ、あなたは先の人魔大戦の英雄、グラン・ゴーベルスタイン卿の一人息子にしてエルクト王国軍近衛騎士見習いのアルベルト・ゴーベルスタイン。

 そして、この私、エルクト王国第三王女ノノリエ・エル・レイナードはあなたの許婚。」


 なるほど、貴族の息子とその婚約者の王女。それが俺と彼女の関係らしい。

 それだけなら恵まれた境遇と言えるが、あの手紙のことを考えれば素直に喜んでいるわけにはいくまい。


「父親が危篤、か・・・。もう助からないような状況なのか?」

「ええ、グラン卿は半年ほど前から重い病を患われていて、ここ最近ではいつ亡くなられてもおかしくない程に弱っておられるという話だったわ。」

「そしてとうとうお迎えが来た・・・というわけか。」


 なんとも最悪なタイミングの時に転生してしまったものだ。


「一騎当千と謳われた大戦の英雄も病魔には勝てなかったということね。」


 ノノリエの言葉は何の感慨も感じられないトーンで発せられた。

 その態度からしてこの少女は望まぬ結婚を強いられていたものと俺は推測した。


「俺と君はうまくいっていなかったのか?」


 俺がそう問いかけるとノノリエは自嘲するかのように笑ってから答えた。


「ええ。もっとも記憶を失う前のあなたはそうは思っていなかったみたいだけどね。」

「そうか。」


 異世界といえども一つの現実には違いなく、そこに生きる人間にはやはり色々なしがらみが存在するのだろう。


 世の中、ままならないものだ。


「今から行っても間に合わないのだろうけど、俺は父上のところへ向かう必要があるはずだよな?」

「そうね。ただし、徒歩となると道行は易しくはないわ。その上あなたは記憶を失っている。つまり・・・。」

「つまり?」

「お父上の聖痕を受け継ぐことは最早不可能となった。」


「まあなんとなく予想は付くが、その聖痕とやらがないと俺はどうなるんだ?」


 俺が問いかけるとノノリエはその場でくるりと回って俺に背を向けた。


「うーん。そうねえ・・・。」


 そう言ってたっぷりと間をおいてから両手を後ろで組むと再びくるりと俺に向き直る。

 その顔には満面の笑みを浮かべていた。


「当然、私との婚約は破棄されるでしょうね。領地は没収。お家は取り潰されて、あなたはどこか遠くにでも追放されて、そこで朽ち果てる。」


 心底嬉しそうに両手を顔の前で合わせてクスクスと笑い声を漏らす彼女を見ながら俺は言葉もなくただ立ち尽くしていた。


「あらあら可哀想に。記憶がなくても状況は理解できたみたいね。でもね、これはあなたたちの自業自得よ?」

「何をしたのかは思い出せないけど、君は相当俺のことが嫌いらしいな。」

「嫌い?ええ、大嫌いよ。あなたみたいな優しさしか取り柄のないつまらない男を好きになる女がいると思って?」


 厳密には俺ではなく、この体の元の持ち主に向けられた言葉だったが、面と向かって人格否定されるのは流石につらいものがある。


 だが、今はそんなことよりも今後の身の振り方を考える方が大切だ。


「手紙で呼ばれたからには俺はやはり父上のところへ行かなきゃならない。君に頼めた話ではないかもしれないけど、徒歩が難しいならどうにか馬車か何かで移動できるように手配してくれないか?」

「そうね。別にもうあなたがどうなろうと私は一向に構わないけど、仮にも元婚約者としては最低限のことくらいはしてあげないと私も体裁が良くないし、誰かに命じて用意させましょう。ただし、私があなたのために何かするのも、会って話すのもこれが最後よ。」

「分かった。よろしく頼む。」

「それじゃ、ついて来なさい。」


 その後、俺はノノリエが用意した馬車に乗り、単身で王都エルクトにあるゴーベルスタイン家の屋敷に向かった。


 独りで馬車に乗っている間、色々なことを考えた。

 この世界のこと、自分のこと、そしてこの先起こりそうなこと。


 今はあまりにも情報が少なすぎてほとんど憶測しかできないが何があっても冷静でいられるように心の準備だけはしておく必要があった。

 俺はバカなくせになんでも人一倍考える。だが下手の考え休みに似たり。残念ながらそれが役に立ったことは一度もない。

 だから今回も考えるだけ無駄だろうと思う。それでも考えてしまうのは一種の強迫観念じみていた。


 しかし、異世界転生の中でも追放モノのパターンとはね。

 現代人なら誰でも知ってるような知識で無双とか、実はすごい力を持っていて覚醒するみたいなよくある展開を期待してしまうところだけど・・・。


 さて、どうなるか。


 まあ、もしうまくいかなくても俺には既に無限転生チートスキルという最強の保険がある。

 とりあえずは適当に流れに身を任せて、ヤバくなったらとんずらすればいいだけのことだ。


 二時間ほど経っただろうか、街外れにある巨大な門の前で馬車は停まった。


「到着しました。」


 御者が馬車の扉を開けたので馬車から降り、門前に立つと門の向こうから年配の男性が走り寄ってきた。


「ああ若様!戻られましたか。先ほど御当主が・・・。」


 このおじいさんは多分この家に仕える執事かなにかだろう。

奥に見える屋敷はめちゃくちゃ大きかったが派手な装飾などはなく比較的素朴な外観をしていた。


 おじいさんは門を開けて俺を中へ招き入れる。


「若様、無念でございます。この老いぼれには何も出来ませんでした・・・。」


 俺は見るからに精神が参っている老人に対して、記憶喪失のことを話していいものか逡巡していた。


 そこに、もう一人二十代くらいの若い女性が現れた。ゆったりしたローブのような服を着ていて手には杖を持ち、長髪で肌は白く、その耳は長く尖っていた。

 いわゆるエルフ風の見た目だ。


「む、やっと戻ったかアル坊。」


 そのエルフ風美女は互いの顔がしっかり見える距離まで近づいて来て立ち止まった。

 俺はその美しさについ見惚れてしまっていた。

 そのため彼女が杖を俺に向けて構えてきても、その先にはめ込まれた宝石のような石が光を放つまで俺は何も反応できなかった。


 そこで意識が途切れた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 次に目が覚めた時、俺は冷たい石造りの床の上に横たわっていた。


「ここは?」


 周囲を見渡すと鉄格子が真っ先に視界に映った。ここは牢屋だ。

 俺がそう理解したのと同時に牢屋から続く廊下の先の暗がりから先ほどの女性が現れた。


 この状況はなんだ?


 俺はなぜこんなところに入れられている?

 まさか、ノノリエに嵌められたのか?


 俺が混乱しているとエルフ風美女が口を開いた。


「お目覚めかな?私はオリヴィエ、見ての通りエルフで魔法使いだ。」


 エルフに魔法、ここはやはりファンタジー的な世界観に基づいているらしい。

なんてことを考えている場合ではない。


 牢屋に入れられているこの状況はどう考えてもまずい!


 このままでは下手したら何も分からないままゲームオーバーだ。どうする・・・?


「さて、では尋問と行こうか。貴様はアルベルトじゃないな、一体何者だ?

ああ、返答には気を付けたまえよ?私に嘘は通用しない。少しでも偽りを口にしたら、この場で即刻死んでもらうことになる。」


 クソ!なんだっていきなりこんな物騒な展開になるんだ!?


 記憶喪失だと誤魔化すことはもうできなくなった。

 しかし、本当のことを言ったらどうなる?最悪殺されるかもしれない・・・。

 無限転生チートスキルがあるとは言え、そうホイホイ殺されたくはないぞ!


「どうした?だんまりか?私もそう暇じゃないんだ、今から十数えるうちに答えなければあの世行きだぞ?」


 う、ダメだ。こうなったらもう迷っている時間はない。

 一か八か、本当のことを話そう!


「十、九、八・・・・」


「お、俺はアルベルトじゃない!だけどあんたたちの敵でもない!俺の名前はスギタシンゴ・・・異世界から来たスギタシンゴだ!」


 俺の名を聞いた瞬間オリヴィエの瞳は驚きの色を浮かべたように見えた。


 そしてしばらくの沈黙の後オリヴィエは言った。


「嘘をつけば殺すと言ったのが聞こえなかったようだな。どうやって調べたのか知らんが、よりにもよって私の師匠の名を騙るとは・・・。」


 師匠の名?どういうことだ?まるで意味が分からない。


「貴様が師匠であるはずがない。貴様は・・・!?」


 オリヴィエは瞳を閉じて何やらブツブツと呪文のようなものを唱えた。

 その後見開かれた彼女の眼は不思議な光を帯びていた。


「これは、まさか!?」


 オリヴィエは手で口を押さえ、静かに後ずさりながら、か細い声を漏らした。


「し・・・しょう?」

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