ゆめまぼろしのこの国で

remono

プロモ

 しん、と秋の深まった夜だった。僕は学習塾へ行く途中。部活で遅れてしまったから少し小走りに。町を通り過ぎていく。小さな町。いつか出て行きたい町。友達は少なく、友達を持てるほど僕の心は美しくもなく。いつも孤独で。恋人は。愛する人は。はっはっと僕の息が跳ねる音。果ても知れない闇に、溶ける。

 信号の光だけが差し込む交差点に出て。

「ああ、しまったな」

 って思った。

 スマホを学校に置き忘れた。 

 今から言っても学校開いてるかな。

 でもスマホ無しじゃもう一日だって過ごせない。

 取りに戻るか。ごめんなさい塾の先生。

 僕はきっと悪い子で。どうしようもなく現代を生きる人間です。

 回れ右して走り出そうとして、ふと、こちらへ走ってくる人影に気がついた。僕と同じ学校の制服姿。セーラー服にまとめた髪。膝上のスカートから伸びる足がかすかに光る。女子だ。僕の見知らぬ女の子。

 息を荒げて、必死に走って、彼女は信号の光の中へ飛び込んでくる。そして僕の目の前で止まり、そっと握っていた物を僕に差し出した。

「これ、学校にわすれたでしょ?」

 それは紛れもなく僕のスマホだった。

「ああ、うん。ありがとう」

 僕は差し出されたそれを受け取る。知らない人だと思いながら。誰だろうといぶかしがりながら。

 そんな僕の心をまるで知らないように。

「はぁ、走ったから疲れちゃった。ねえ何かジュースおごってよ」

「いいけど……」

 君は誰という言葉を飲み込んで僕は彼女にそう言った。

 幸い自販機はすぐそばにあった。

「何飲む?」

「無糖のコーラ」

「わかった」

 お金を出してボタンを押して。ジュースを取って彼女に渡す。

「君も飲みなよ。お金は出さないけど」

「そうだね」

 言われて僕は紅茶を飲むことにした。

 二人して並んでジュースを飲む。なんだか変な感じだった。

「おいしいね」

「そうだね」

 そうして少し沈黙。それを破ったのは彼女の方だった。

「なんだか不思議な気分」

「僕もそうだよ」

「なんでかな。全然知らない人なのに、後を追いかけなくっちゃって思ったんだ」

「そうだね。僕も君のことは何も知らない」

「うん、それでいい」

 目を閉じてうなずく彼女。僕はさすがに聞かなきゃと思って聞いてみた。

「あの……それで、君の名前は?」

「教えない」

「え? でも」

「探して見せて。私のことを」

 言って彼女は背を向ける。

 そしてそのまま今来た道を引き返していく。

――止めなきゃ。

「……」

 なんで?

 ……なんでだろう。

 自問に僕は答えられなかった。空白のようにとぼけた時間。

 ただ僕の目に触れた彼女の後ろ姿が華奢で、はかなげで、寂しそうだったことを覚えている。いやそれすらも本当のことだったかはわからない。

 彼女の姿はすぐに闇に紛れ。手の届かないところへ行ってしまった。


 不思議と後悔はなかった。声を出せばまだ届いたろうに、僕はそれをしなかった。

 これはそれだけの思い出。ただたまに思い出す。

 その度に少し胸が締め付けられるような暖かくなるような、そんな思い出。


 そして僕は彼女も探さず大人になり、都会に出て孤独になり、ついには家族と死別して一人になった。


「探してみようかな」


 そう思ったのは僕が進行性の癌と診断されて余命三ヶ月と診断されてから。あまりにも遅すぎると言えば遅すぎる。でも。


 まだいる気がするんだ。


 まだいる気がするんだ。

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ゆめまぼろしのこの国で remono @remono1889

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