おわりにかえて
初音ミクとボーカロイド楽曲を一つのテーマとして2020年9月に開始されたアプリ『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』は、そのキャッチコピーに「一緒に歌おう!」という言葉が据えられた[10]。2020年代の新しい初音ミクがユーザーに対し「一緒に」という言葉を用いている点は、筆者の議論において重要な示唆をも提供しているだろう。そこにはユーザー同士が繋がっていくかつての可能性ではなく、「君と僕」の二者関係が主題になっているだろう。
そうした傾向が2020年に公開されていく一方、もはや「君」すら存在しない傾向も——前述した「ジレンマ」のように——登場しつつある。2022年のミクの日の翌日、3月10日にVtuber星街すいせいがカバーした「僕は初音ミクとキスをした」の楽曲MVではオリジナルMVにみられた「溶ける」要素がなく、したがって本稿で指摘したような批評的価値がまるごとオミットされていた。オリジナルMVにおける主人公のオリジナルキャラクターと初音ミクの融合の過程は、星街すいせい自身の過去と未来との対話のように解釈できる映像へと置き換えられている。初音ミクを通して「溶ける」ことがない本楽曲MVは、もしかすると「君」と「僕」の接続を失った2020年代的な空気感さえ帯びているのかもしれないだろう。
このような状況を見ると、「一緒に歌おう」というキャッチフレーズとともに登場するプロセカは、2010年代的な二者関係に執着するボーカロイド文化を最期のかたちであったと言えるのかもしれない。しかしながら、その予測が果たしてどれほど正統性を持つかについては、2020年代以降のボーカロイド文化——あるいは「合成音声音楽」の今後次第ではあるだろう。
本稿では試験的ではあるものの精神分析を経由することを通して、歌い手と初音ミクとの間に存在する根本的な違いや、初音ミクが持つ「余白」という性質がゆえに、蜜月な二者関係を展開することが可能であることを指摘した。しかしながら、それは一方で「僕」は「君」にそれなりの犠牲をも強いることも、明らかになった。こうした性質に対し、先週に放送された「プロフェッショナル」はどこまで辿れただろう。正確な判断を筆者が下すことはできないが、こうした性質がユーザー同士を「接続」する思想の継承者としての初音ミクとはまた異なった文脈で存在していること、そしてプロジェクトセカイのイメージ画像がまさに「初音ミクともう一人」という二人が中心になる構図がとられていることは、初音ミクがやはり「余白」を通した二者関係を重視する姿勢を2010年代以降に表明している点を決して否定はしないだろう。
「余白」に「代入」することによって形成される二者関係。それは初音ミクを通してユーザーが「個人」を(半分は「溶かし」て)に表出させている点において、これまで筆者が展開してきた集合体志向なネット文化論とはまた異なった様相を見せているように思える。しかしながら、両者の思想は「余白」と「代入」、そして「接続」という、三つのキーワードによって議論を展開することが可能であるようにも思える。二者関係的な初音ミクも、ユーザー間を接続する初音ミクも、いずれも(初音ミクに設けられた無数の)「余白」に(自身、あるいは集合的記号)を「代入」することで、(二者間で、あるいは集合体で)「接続」していくのだ。この点については、別の機会に考えることに使用。残りの3月9日はせめて、初音ミクの数々のイラストと楽曲を楽しみながら、私自身も「初音ミクの日」を楽しみたい。
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[10] https://www.4gamer.net/games/476/G047609/20200819060/ (最終閲覧日:2022年3月9日)
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