初音ミクが歌うとはどういうことか——誰も侵せない「私と君」の密接さについて

はじめに

 2022年3月1日、NHKの人気番組「プロフェッショナル——仕事の流儀」の特集に初音ミクが登場した[1]。私のタイムライン上ではリアルタイムで数多くのツイートが飛び交い、自室にテレビがなく実家で見る予定だった私はただただネタバレを食らわないようにTwitterを閉じる。本番組は決して人間だけにフォーカスを当てる番組というわけでもなく、過去には動物などを特集する形でコンテンツがつくられたこともあったらしい。とはいえ、あくまで非生物である彼女に「仕事の矜持」を聞き出すことは、いたってナンセンスなことでもあるだろう。番組では初音ミク本人(?)でなく、初音ミクの創造と受容をめぐるネット文化圏の営為を、断片的に書きだしていく。一人のボカロP、そしてそれをめぐる受容の営為——それらはやはり断片的であるものの、ラディカルに名前を喪失させていくことによって連帯してきた、古くからボーカロイド文化の様相を的確に描写しているようにも考えられた。


 しかしながら、私は同時にこれらの営為を描写する試みが果たして2022年の今においても確実に指摘できるのかについては、どうしても疑問の念を取り払うことができない。そうしたことに関しては過去に何度も述べてきたが(上記事を参照されたい)[2]、インターネット上でユーザーを接続し、そして繁栄していったネット文化——そして初音ミクも無論、そこに組み込まれる——は、2022年の現在とは明らかに違う要素がある。かつての「接続」の夢が崩壊し、インターネットへの不信と現実社会に唐突に生み出された瓦礫の山は、私たちの社会にかつてないほどの「切断」の潮流を生み出してきただろう。彼女は無数に積みあがった瓦礫の上で、今なお歌っていることになる。


 1990年代から継承されてきたインターネットの夢は、全世界同時にコミュニケーションが可能になることによって展開される新たな共同体の可能性であった。初音ミクはその伝統思想から生まれてきた存在であり、少なからずそうした評価を社会的に受けてきたのはおそらく間違っていない[3]。しかしながら、今や1990年代から継承された「接続」の夢の方が、先に消滅してしまった。だとすれば、私たちは初音ミクに対する別様の視点を検討すべきなのかもしれない。本稿ではこれまで筆者が2010年代的な初音ミクと称し、今なおその傾向がみられると指摘した二者関係的な初音ミク——「私」と「君」の二者関係的な初音ミクであり、以前に「セカイ系」的初音ミクと称したもの[4]——を通し、初音ミクを用いること、初音ミクが歌うことがどのような意味を持つのかを明らかにする。それによって、筆者がこれまでの議論では全面的に展開しなかった側面、「接続」の思想をめぐる初音ミクの歴史において十分に取り上げてこなかった側面としての、ユーザーと初音ミクという「二者関係」のあり方がどのような意味を有しているのかを考察してみたい。


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[1]https://www.nhk.jp/p/professional/ts/8X88ZVMGV5/episode/te/69RVYKJX1Q/ (最終閲覧日:2022年3月9日)

[2] 以下の拙論を参照。

私たちは初音ミクを愛していたのか?——彼女と私とインターネットについて|ukiyojingu https://note.com/ukiyojingu/n/n49a438b1fc4e 

LOCUSTレコメンド ②ukiyojingu「少年少女は前を向いたのか――10年目のカゲロウプロジェクトと「繋がり」の思想」|LOCUST(ロカスト)https://note.com/locust/n/n0510aa00b100 

[3] 前注の拙論を参照。

[4] 注2の拙論の中でも少年少女は前を向いたのか――10年目のカゲロウプロジェクトと「繋がり」の思想」を参照。

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