作り手の思いを伝えるだけ——だがそこに愛はあったのか?
こうしたメディアアート的初音ミクは、同年発生する「メルトショック」によって、転換点を迎えることになった。彼女が彼女自身のことを歌わなくなったことが論争の最も大きな点として注目を浴びたこの事件は、のちに彼女がボカロP自身の感情を歌い上げるためのツールとして使用されることを肯定する風潮を作り出した。「初音ミクがオリジナル曲を歌ってくれたよ「メルト」」は、そうした初音ミクの新しい方向性の中心にあった。本楽曲で登場する少女のようなキャラクターは決して初音ミクである必要性はなく、他の存在でも代入可能となっている。そうした変化から彼女自身のことを彼女が歌う必要にかられなくなったことで、結果として数多くの新規ユーザーの参入を可能にし、また歌唱者が決して初音ミクである必要がなく別人を代入してもよいという点から、今日の「歌い手」と称される人々が参入する間隙をも用意した。しかしながら、そうした問題は一方で、初音ミクが彼女として存在する必要性をも奪い去ってしまい、あるいは一時的に認められた彼女の人権を奪い取るような行為であったのかもしれない。そうしたことが、2010年代におけるボカロ終末論——数多くのユーザーがボカロをメジャーデビューのための「踏み台」として使用する状況——を形成はしただろう。そうした問題は、いまだにボーカロイド文化に暗い影を残しているようにも見える。
かくして、新規参入のための余白を大いに残した彼女は、自身がかつてまで抱えていた葛藤を一度棚上げしながらも、2000年代から2010年代の間に大きく躍進していく。そうした飛躍は、先に見てきた「接続」の思想と合流することによって、彼女を「接続」を象徴するアイドル的存在とたらしめることに成功させ、そして彼女を海外へと輸出させた。そうした流れはまさに、彼女が過ごした最初期とは大きく異なったものであり、ハッシュタグとともに彼女が新しいムーヴメントを起こそうとしているような勢いを私に感じさせていた。そうして、2011年に「Tell Your World」が登場する。初めに記した通り、本楽曲はまさしく1990年代から続いたインターネットの文化を継承した、2000年代インターネットの夢が生み出した産物だ。そうした点はここまで参照してきた本楽曲の歌詞に散見されるが、それだけでなく、本楽曲がGoogle ChromeのCMとしてYouTube上で公開されてきたことも無視できないだろう。国内初の動画投稿サイトであるニコニコ動画は国内がメインターゲットだったのに対し、Googleは今でも世界規模でインターネットのインフラを構築し続けている企業だ。そうしたインターネットの思想を表現するには、本楽曲はニコニコ動画ではなくYouTubeで公開される必要があったのだ。無論、実際はYouTubeがGoogle傘下のサイトであることが事情であるものの、こうした面を無視することはできなかっただろう。
「接続」を象徴する存在として、彼女は閉鎖的なニコニコ動画から抜け出し、YouTubeへ手を伸ばした。その一方で、残されたニコニコ動画では国内ネット文化のアングラ文化を継承した楽曲が登場し、当時の中高生を中心に支持を得ていた。「Tell Your World」のまさに同年に投稿された「【初音ミク】カゲロウデイズ【オリジナルPV】」は、Tell Your Worldにおけるグローバルなネット思想とはまた異なった、接続の思想を内包させてきた。本楽曲はのちに作曲者である「自然の敵P」ことじんによって「カゲロウプロジェクト」と称される楽曲プロジェクトの一部として組み込まれることとなり、本曲を表題とした小説なども後に販売されている。カゲロウプロジェクトはおよそ8歳から18歳までの少年少女たちが中心人物となり、大人たちとの闘いが描写されて行く物語であるが、こうした少年少女が団結して権威と戦うという姿勢は、かつての国内ネット文化における2ちゃんねる的な、匿名のユーザーたちが連帯することによって権威や倫理を乗り越えていく姿勢と、どこか類似している。こうしたネット文化はまさに、垣根を超えてグローバルに接続するTell Your Worldの「接続」の思想と類似する点はあるものの、全面的な接続には賛同せずに自身の場所——2ちゃんねるの掲示板であり、カゲロウプロジェクトにおける少年少女たちの「秘密基地」——として、国内のニコニコ動画という限定的なフィールドで展開されてきた。
このように、2000年代的の「接続」の思想を背景に、2011年に彼女は一方で「Tell Your World」を通して世界に羽ばたき、他方で「カゲロウデイズ」を通して国内ネット文化を継承した。それらはいずれもキャラクターを通してユーザー同士が連帯するものであり、ここにはもはや彼女が生まれた際に語られた自身の葛藤の表象は跡形もない。そう言った点で、これまでの彼女の歴史の中で最も注目を集めていた時期にあたるだろう2010年代最初期の彼女は、ある意味で彼女の分裂した精神状態についてを内部留保してしまいながら、別の方面に足を傾けているともいえる。かつてほど、彼女である必要性を失いながら。
こうした「接続」の思想は2010年代の間に衰退化し、その影響を受けながら初音ミクは変化していくこととなる。その変化をもたらした大きな転換点は、2011年に発生した未曾有の大災害だった。
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