「みんな」から「あなた」へ——夢の残骸を抱えながらも進みだす
2011年3月11日に起きた、近年でも最大規模であった未曽有の災害は日本国内に深刻な打撃を与えるだけでなく、2000年代の「接続」をも断ち切った。それまでの間、形はどうあれユーザーはインターネットを通して「接続」し、多様にコミュニケーションを繰り広げていた。そうした「接続」は私たちをデータとして、アルゴリズムによって変換可能な要素にしてしまうことによって成り立っていたのだが、そうしたアルゴリズムは大震災によってもたらされた瓦礫や大津波を前に、ただ立ち尽くすしかなかった。まさに戦争体験の表象不可能性という問題に同じく、インターネットはこの災害をアルゴリズム的に回収することの不可能を自覚するのであった。それだけでなく、メルトダウンを通し、私たちは専門家によって安全とされてきた基準が崩壊する様を目にすることで、科学に対する反動運動が2010年代の間に生まれた。こうした反知性主義は、今日の感染症やワクチンに対するあまりにも陰謀論じみた議論が趨勢している状況を前に、今現在でも続いていると考えるほうが妥当だろう。
そうした激動の2010年代において、初音ミクの「接続」思想は断念させられることになる。そんななか、彼女は世界中をつなげるのではなく、ユーザーであるボカロP自身とのつながりを再度、確かめ始めるのであった。震災から1年後に公開された「ODDS & ENDS」には、そうした傾向がすでに反映されている。「がらくた」という意味のタイトルがつけられた本楽曲において、彼女はユーザー同士を接続するメディアとしてでなく、ユーザーの代弁者として、ボカロPたちに語り掛けてる。本楽曲の歌詞は一貫して初音ミクからボカロPに対するメッセージとして作成されており、そうしたメッセージ性によって、本曲はかつて最初期にあった初音ミクによる自己紹介ソングのような、自身が何者であるかをつらつらと語りだす時代に、部分的には回帰しているといえるだろう。それだけにとどまらず、本曲は人間と初音ミクが、音楽と映像の二点においても融合がなされていることに、私たちは着目すべきだ。本楽曲で使用されている初音ミクに特徴的な「息使い」は、実は人間の声が使用されている(息を入れているのは、後にryoの楽曲提供のもとデビューするTiaである)。それだけでなく、YouTubeにて投稿された本楽曲のMV(公式動画は現在非公開)では、小さなおもちゃのようなロボットと、演奏する4人の人間が映像の主役となるように配置され、あくまで彼女が中心に据えられているわけではない。こうした初音ミク楽曲に対する人間的要素の追加は、それ以前までのいかに人間ぽく近づけるかという意味でも初音ミクの表現とも異なっている。そこにいるのは「調教によって人間らしく近づいた初音ミク」ではなく「人間そのもの」なのだから。そうして「初音ミク」でなく「人間」をより表面的に提示した本楽曲は、まさに彼女自身のことも歌うような最初期の彼女——自身を「機械」と見なし葛藤する彼女——を想起させるような一面も感じさせられる。そこには、従来のユーザー間の「接続」ではない、よりパーソナルなボカロPとミクとの関係があっただろう。こうした初音ミクの新しい人間らしさの提示、そしてそれを通してよりボカロPたちと近づいていこうとする流れは、定期的に行われる初音ミクのライブ映像の中にもみられる。彼女が出演するライブではステージ上に設置されたスクリーン上で初音ミクが歌い、そして踊る。当然のことながら、現実的な話として初音ミクが楽器陣とともにリアルタイムで歌うことが技術的に不可能なことであり、あらかじめ入力された歌声のプログラムに合わせ、楽器陣は演奏するようになっているだろう。そういう意味では至って機械的にライブは進行しており、特に演奏する側はアドリブもなかなかできないような状況だ。しかし、「ODDS & ENDS」がライブで演奏される際には、楽曲の最後のパートに至る間に、若干の無音ののちに彼女がアドリブをするかのように歌いだすという演出がなされている。無論、これらの演出はプログラムされたものであり、演奏者はそれを理解したうえで演奏している。しかしながら、このような演出は生演奏で実際に演奏される楽器陣によって打ち消され、まるでライブ特有の演出化のようにも見えるようにされる。そうした新しい演出の可能性と、あたかも人間のように見えるふるまい、そしてボカロPという特定の対象のみに向けられるような歌詞。「ODDS & ENDS」はこれらの要素を複合させることによって、ユーザー間を接続することをうたった「Tell Your World」ともまた異なった、新しい光景を提示した。こうした流れはしばらくの間見られることになり、初音ミク5周年を記念して作成された「sasakure.UK x DECO*27 - 39 feat. 初音ミク」等にも反映された。本楽曲も「ODDS & ENDS」に同じく、決して接続に対する理想主義的な面を前面化するわけでなく、接続によるグローバル的な世界を目指すのではないあり方として、あなたと私の関係が提示されている。そうした点からも、当時の初音ミクがどのように見られていたかがここから見えてくるだろう。
ここまで2011年からの大きな転換として「切断」的思想の断念とそれに代わる新しい初音ミクとボカロPの在り方を見てきた。たが、ここで注目しなければならないのは、これらのいずれもがニコニコ動画に投稿されたMVまたはライブ映像ではないという点だ。では、震災後のニコニコ動画はどうだったのだろう。2010年代前半のニコニコ動画はいまだにカゲロウプロジェクトが人気を博し、一方で米津玄師をはじめとした国民的アーティストが少しずつメジャーデビューをしていった時期だった。初音ミクが抱いていた「接続」の思想が震災を通して失われていったことは先述の通りだが、一方で過剰に接続することも嫌ったカゲロウプロジェクトは、そうした影響を受けることもなく、翌年以降も粛々と新曲を公開し続けた。が、それもじきに終わりを迎えることになる。カゲロウプロジェクト全体の終わりの曲として翌2013年に公開された「サマータイムレコード」はカゲロウプロジェクト全体のエンディングテーマとして公開され、8月15日をめぐるさまざまな楽曲の終わりとして受け入れられた。本楽曲はアルバム「メカクシティレコーズ」の最後に収録されている点からも、本楽曲がいかに完成された形でリスナーに提供されているかが明らかだろう。じんはその後2017年に「メカクシティリロード」を発売する形で新しくカゲロウプロジェクトを継続するが、2013年に一度こうして終了させていることは、ニコニコ動画上でも接続の時代が終わった影響が出現している例として、考えるべきだろう。
もう一つ特筆すべきこととして、先に記したある種の「ボカロ踏み台論」的な問題がこの時期に現実化していることだろう。無論、これまでのボカロ文化においてもsupercellやlivetuneのようにメジャーデビューを果たすボカロPはいたものの、彼女らは初音ミクによる歌からスタートし、そして次第にプロの歌手に歌唱してもらう方向をとっていった。しかし、そうした事例に続くように、ボカロPたちは有名になっていくにつれて自身の声で歌い始め、そしてデビューしていった。そうした事例は米津玄師やヒトリエにみられるだろう。「ゴーゴー幽霊船」はニコニコ動画にも投稿された楽曲であるものの、次第にニコニコ動画の土壌から離れていった彼は、今や言わずもがな国民的歌手だ。「現実逃避P」ことwowakaは「アンハッピーリフレイン」をリリース後ロックバンドとして活動し、2014年に「センスレス・ワンダー」にてメジャーデビューしている。そうしてロックバンドの世界を突き進むwowakaは31歳にして急性心不全となり、2019年にこの世を去ってしまうものの、バンドはスリーピースとなって現在でも活動中だ。
こうした変化は、かつて自身の葛藤を歌った2007年登場時に近い様相でありながらも、2000年代における「接続」思想の代弁者として活躍していった時期とその喪失の時期を経ることによって、残骸として残った「接続」思想との結合の結果として形成された新しい状況だと考えるべきだろう。「39 feat.初音ミク」の歌詞に「久しぶり」という言葉が使用されているように、この時期は初音ミクにおける「接続」の思想が断念され、そして初音ミクやボーカロイド文化のもとで成長したボカロPたちが自身の声で歌を歌い始めた点において、ある意味で初音ミクの暗黒時代だったのかもしれない。夢が断念され、自分自身のことをまさに「がらくた」と言いながらも、それでも「あなた」にだけは承認されたいと、この時期の彼女は歌う。そこから先、彼女は一体どうするのだろう。
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