機械に人権が与えられる?——メディアアート的試行材料としてのミク
初音ミクは2007年8月31日に生まれた。それは元々「ソフトシンセサイザー」であり、極論を言ってしまえばただの楽器だ。株式会社ヤマハが開発した歌声合成システム及びそのアプリケーションの総称である「VOCALOID」のエンジンを使用して作成された初音ミクは、従来の製品と異なりキャラクター情報として三枚のイラストと身長、年齢、体重といったキャラクター情報が提示するとともに、声優の藤田咲を採用した。そうした従来の販売手法とは明らかに異なる販売手法によって世でることとなった初音ミクは、それ以前にあったMEIKOやKAITOと異なり、売り出しの時点より明らかに「萌え」をターゲットにしている。
そうしたターゲットの絞りこみによって、従来はプロミュージシャンの楽曲制作用ツールとして受容されていたVOCALOIDは、パソコンにも詳しかった当時のオタクたちに受容されていった。先に述べたように、2000年代は90年代に生まれたインターネットの思想が次第に現実化された時代であり、ことにそれを下支えしたのは日本国内特有の、オタクたちによって作られた文化だった。90年代にWWWがアメリカ上で発展する際、そこにはインターネットを従来の政治空間と隔絶された新しい政治空間であることを主張する政治思想が存在していたことは歴史的事実として語られているが、一方でそうした萌芽期のインターネット思想は国内では輸入されることもなく、代わりに当時は雑誌の通信欄で行われていたようなコミュニケーションの舞台として、国内ネット文化はアングラな空間を形成してきた。そうした思想はかつて国内に大きな影響を与えてきた、ネット掲示板「2ちゃんねる」を参照すると明らかだろう。情報社会学者の濱野智史によって「フロー」と「コピペ」という2項目で開設された2ちゃんねるは、まさに「面白ければなんでもよい」という思想に支持されながら、多くのムーブメントを形成していった。そうした歴史は、批評家の村上裕一が「フロート」と称したものであるだろう。
国内ネット文化は政治性を失ったまま、オタク的知識を共有しあうフィールドとして受容されてきた。そうしたマイナーな文化としてのオタクたちの受容にまるで応答する様にデザインされた初音ミクのキャラクターデザインは、すでにサービス開始より1年が経過したニコニコ動画上で、「東方アレンジ」「アイドルマスター」とともに注目された。批評家の東浩紀が「データベース型消費」を提唱し、あらゆる「萌え」が要素ごとに消費されるようになっていったあの時代——「あの時代」は今でも続いているのかもしれないが——の中で、ロングの髪やツインテール、ミニスカートといった各要素は、まさに当時の「萌え」をピンポイントで貫いていた。そうして北海道よりデビューした初音ミクだ、その最初期は特段、オタクたちにとって「新しい楽器」として、つまりはシンセサイザーとして受け入れられていた。彼女が発売された4日後、2007年9月4日に投稿された「【動画】VOCALOID2初音ミクに「Ievan Polkka」を歌わせてみた」という動画は、フラッシュムービーである「ロイツマ・ガール」をパロディした動画として有名だ。この動画は初音ミクから等身を下げたデフォルメキャラの「はちゅねみく」を生み出し、元の動画同様にネギを持たせたことから「ミク=ネギ」のイメージの最も初めとされている。「ネギ」のイメージを定着させた点でいたって重要な歴史的な本動画であるが、これがソフトの発売からほんの4日で投稿されていることは、最初期の彼女がいかに後に「ボカロP」と出会ったかを如実に語ってくれる。2007年に登場する最初期の初音ミクは、オリジナル曲を歌うことも無ければ、VOCALOIDというものの扱い方を知らなかった当時のユーザーたちにとって、数多くの実験の被検体と見なされていた。その様相は、登場時こそキャラクターとして、まるで一人の人間であるかのようにプロデュースされて登場しているものの、そこに彼女の人権は認められなかったかのように見える。こうした動画を見ていると、当時の初音ミクに付与されたキャラクター性は確かにボカロPたちを振り向かせることに成功はしたものの、まだその性質を十分に活かしきれないままだったのではないかと、言えるだろう。無論、このときの初音ミクにはまだ「接続」の思想は見えていない。
そうして最初期に無視された彼女の人権は次第に認められることになり、それにつれて彼女は「シンセサイザー」という枠組みを徐々に超えていくことになる。「ネギ」から約2か月後の2007年10月31日に投稿された「【ネギ踊り】みっくみくにしてあげる♪【サビだけ】」は、彼女に対する「ネギ」のイメージをさらに拡散させることに貢献した。そうした点でも注目に値するだろうが、本動画において何より特徴的なのは、まるで初音ミクが主体的に自身のことを歌っているかのように、歌詞が用意されていることだろう。「みっくみっくにしてあげる」とはいうが、いったい誰が「みっくみっく」にするのか。その答えはもちろん、初音ミク自身だった。こうした変化は「【動画】VOCALOID2初音ミクに「Ievan Polkka」を歌わせてみた」には見られなかった点であり、次第に初音ミクがまるで自我を持ち、ボカロPたちに自己紹介をしているかのような楽曲が、最初期に増えていくことになる。まるで自己紹介のごとく初音ミクに自身を歌わせるという傾向は、2007年の最初期における初音ミクの特徴だ。「暴走P」ことcosMoによって作成された「初音ミクの消失」(2007年)は、その歌詞の内容だけでなく、シンセサイザーとしての初音ミクの特徴を全面的に活かして作成されている。楽曲内では彼女が機械であるということ(=シンセサイザーであること)への葛藤が描かれ、そうしたメッセージはもはや人間が歌うことを前提としないような、異常な早口で歌われている。本楽曲の多くはこうした異常な早口とボーカロイドの存在がどのようなものであるかを時にシリアスに語り上げることで、最初期の初音ミクがどのように受容されたかを考えるヒントを提供しているだろう。そこには彼女自身が「機械」でありながらも、徐々に承認されていく彼女自身の人権との間で揺れ動き、スキゾフレニックな状態となっている。
生まれたばかりの彼女はまだ「VOCALOID」でしかなかったものの、その存在に注目が集まることによって、次第に「初音ミク」として人権が承認されていった。とはいうものの、その人権が全面的に受容されてもなく、そうした様相は彼女自身が「機械」であるか否かを巡って分裂している二つの心境として、楽曲に反映されていた。彼女はそうした葛藤のなかで考え続け、そしてその葛藤をそのまま音楽にしたのだ。まさしく初音ミクという存在がいかなる存在であるかを歌い続けた初期のボカロ文化は、そのメディアとしての「機械」がいかなるものであるかを表現することを目標にしてきたという点において、あたかも20世紀から登場してきたメディアアート作品のようにも見える。メディアアートは登場から今日に至るまでの間、延々とそのメディアが何であるか(メディアスペシフィティ)を作品として表象してきた。そうした前提を受け入れれば、彼女が一体何者なのかを表象することに努めてきた最初期のボーカロイド楽曲たちは、まさに初音ミクを使用したメディアアート作品と称するに値するものたちだったのだ。
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