【短編】僕と彼女と集金人の人生

青豆

僕の人生、彼女の人生、集金人の人生

 人の生涯を究極的にかいつまんで話すと、つまりこういうことになる。


 ➀生まれる

 ②生きる

 ③死ぬ


 ①を欠けば僕らはその先の人生を歩めないし、②を欠けばそれは①が存在しないのと同義である。そして、悲しいことに人間はいつか死ぬ。③を欠くことは、奴隷なしに古代ギリシアで討論をするくらい不可能なことなのだ。そんなことは誰だって知ってる。

 もちろん、僕は誰かを指さして、「あなたの人生は、①・②・③の三つの工程で、端的に表すことが出来る」などと言うわけではない。これでも僕は、とっても礼儀の正しい人間なのだ。

 ある日の昼頃、誰かが僕の部屋のドアを叩いた。ちょうどカップラーメンにお湯を入れ、時間が経つのを待っていた時だった。音をきいて、僕はなんとなく嫌な気持ちになった。インターホンがあるのにわざわざドアを叩くなんて、きっとNHKの集金人とかに違いないのだ。

 僕は心の中で、よし、と唱えた。その瞬間、僕の家にはテレビが存在しないことになった。念のためチェーンをはめ、ドアを開けた。するとそこには、二人の警官が立っていた。

「ああどうもこんにちは、私どもは〇×市警のものですけども」

 警官の一人が手帳を見せながら言った。なるほど確かに彼らは警官だった。僕はチェーンを外した。

「一体何ですか?」と僕はびっくりして言った。「僕が何か――」

「いやいや、そういうわけでは。ところで、今お忙しかったですか?」

「テレビを見て昼ごはんを食べていただけだけど……」

 僕はため息をつきそうになった。まったく、昼間に警官が来るくらいなら、集金人が来る方が7倍くらいマシだった。彼らには人の家に立ち入る正当性がある分、集金人なんかよりもよっぽど厄介だった。

「で、一体どうしたんですか?」

 するとさっき手帳を見せなかった方の警官が、残念そうな表情を顔に作った。癌を宣告する医者の眉毛の角度だった。僕はドラマを時々見るから、それを知っているのだ。

「実を言うと……あなたの隣人であられる方が亡くなったのです」

「……亡くなった?」

 警官の言葉を聞いて、僕はとても混乱した。隣に住む友人が誰であったか、それすら思い出せなくなるほどだった。それでも、すぐに思い出した。隣に住んでいるのは、同じ大学に通っている女の子だった。髪が短く、背丈が短く、おまけに気まで短い、僕と仲の良い子だった。

 いや、仲が良かったというべきか、と僕は考えた。何しろ彼女は死んでしまったらしいのだ。でも、一体どうして死んだのだろう?

「どうして死んだのですか」

「非常に言いにくいのですが」と警官は前置きした。「……つまり、自殺なのです」

「自殺ですか?」

 正直に言って、僕はかなり驚いていた。少なくとも僕の理解では、彼女は自殺をするような人間ではなかった。僕は彼女に3回程無意味に殴られたことがあったが、そんな人間が自殺をするなんて、ちょっと現実的な話とは思えない。

「ドアノブに紐をかけて、首を吊っていたんです」

「それって本当に彼女なのかな,。つまり、○○△△さんなんですか?」

「ええ、本人で間違いありませんよ。何しろ、発見者は彼女の友人ですからね」

 そこでようやく、僕は彼女が死んでしまったことを実感した。涙こそ出なかったけれど、悲しい気持ちになった。もう彼女に殴られることもないのかと考えると、臓腑に鈍い痛みを感じた。僕はもっと彼女に殴られておくべきだったのだ。

「お気持ち、お察し致しますよ。しかし、酷なんですがね、少しお話しを聞かせてほしいんですよ。何か思い当たる節があれば、話していただけませんかね」

「思い当たる節なんてありませんよ」

「何か、人間関係のトラブルとか」

「ない」と僕は言い切った。「彼女を嫌いと言う人間を、僕は見たことがないんです。あんなに癖がある性格なのに、なぜかみんなに好かれるんです。もし仮にトラブルがあったとしても、相手方は不利だったろうな。何しろ、みんな彼女の味方だから」

「そんな人っていますか?」

「いたんです。もういないけど」

「なるほど・・・・・・しかし、自殺しそうな人物像ではないですな」 

「そういうレッテル張りが、人のこころを傷つけるんだ」と僕は言った。それは大いなる自己矛盾だった。

 もうこれ以上話をしているのが嫌になってきた。少なくとも、今僕がすべきなのは警官と話すことではなかった。傷ついたり、泣いたり、立ち直ったり、僕にはそういう一連の流れが必要だった。警官と話している時間なんて、小指の爪ほども無いのだ。

「すみませんが、後日にしてくれませんかね」と僕はきっばりと言った。「あなた、友人が自殺したことなんてないんでしょう。でなければ、僕の部屋のドアなんて叩けるわけがないんだ。知ってますか、僕の部屋にはインターホンが付いてるんです。気づきませんでしたか? ・・・・・・あなたがそんなだから、彼女も死んだんだ。違いますか? 僕は何か間違ったことを言っていますか?」

 すると警官らは不思議そうな表情を浮かべた。

「死んだ? あなたは何を言っているんですか?」

「は?」

「死んだってのは一体なんの話ですか?」

「ふざけないでくれ」と僕は叫んだ。「あなたが隣人は死んだと言ったんだ。これ以上僕のことを不当に拘束するなら――」

「だから何を言っておられるのか・・・・・・あなたの隣人は死んでいませんよ、私どもが今日来たのは・・・・・・ん? 今日はどうして来たのだったかな?」

 頭が混乱していくのがわかった。彼らは一体何を言っているんだ? 彼らが僕の友人の死を告げたのだ。僕が言い出したわけではない。

 僕は警官を押し退けて部屋を出た。そして、隣人の部屋のドアに手をかけた。

 ドアには表札がかかっていた。そこには苗字が書かれている。

『□◇』

 僕は気が動転しそうになった。□◇? 誰だ、それは一体? 

「何をしてるんですか、あなたは」

「いや、ここには僕の友人が住んでいたはずなのに・・・・・・」

「お名前はなんでしたかな」

「○○△△です」

「ふむふむ・・・・・・しかし、そんな人はここには住んでいないようですよ。というか、そんな人は、この世にはいません」

 僕は手でおでこの辺りを押さえた。触っていると、僕の頭が混乱で埋め尽くされていくのがよくわかった。頭が登山をした時のポテトチップスの袋みたいになっていた。針を刺せば、ぷすん、と音を立てて、僕ごと飛んでいってしまうんじゃないかとさえ思った。

「何が何だかわからないんです」と僕は言った。「頭がひどく痛い」

「まだおわかりになりませんか?」と警官らは言った。「そもそもの始めから、そんな人間は存在しないのですよ」

 僕は警官が、何か異国の言葉を話しているようにさえ聞こえた。字幕でも付けてくれなければ、僕には彼らの言葉が理解出来なかった。しかし、もし本当に字幕なんかが付けば、僕はもっともっと混乱するに違いない。一般化された言葉をひも解けば、誰だってそうなるのだ。

「もう帰ってくれませんか。僕はきっと悪い夢でも見てるんだ」

「ええ、帰りますよ」と警官の一人が言った。

「ですが、まだ本来の目的が達成していませんのでね、それを果たしてから帰りますよ」

 前を見ると、いつのまにか警官らは、一人のスーツを着た男に変身していた。集金人、と僕は思った。二人の警官は、一人の集金人になってしまったのだ。

「NHKの受信料を払うのが義務なのは、もちろんあなたもご存知のことでしょう。先程、テレビを見ていたとおっしゃいましたね。さあ、受信料をお支払いなさい」

「僕の家にはテレビなんてありません」と僕は言った。そしてドアを閉め、鍵をかけた。

 

 それからベッドに入り、三時間眠った。起きた時、カップラーメンの麺は水死体みたいに水を吸ってブクブクだった。誰もいない世界のど真ん中で、僕はひとりぼっちになったような気がした。

 生きることなくして死んだ友人、一人の集金人に変身した二人の警官、そして僕。そんな複雑すぎる人生を、たった三つの工程にかいつまんで説明するなんて、できやしないのだ。

 

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【短編】僕と彼女と集金人の人生 青豆 @Aomame1Q84

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