第21話
葉山は四人の学生から内密に話がしたいと言われ、誰も使用していない学習指導室に通す。
正直なところ葉山は、何かが見つかるとは考えていなかっただけに期待と不安がないまぜになっていた。
そんな葉山に、棗はデータとメモを手渡し、
「メモに書いてある時間、あの絵画には文字が浮かび上がりました」
簡潔に説明する。
文字、と呟いた葉山は疑問に満ちた表情を浮かべる。
「自分の存在を否定するような、気分の悪い文字ばっかりやった」
思い出して気分が悪いのか、志希は不機嫌そうに言った。
「心理絵画ではないのに、ぼくはこれに影響を受けたようです」
樹は言う。物理絵画として影響を与えたということを強調した。
樹が倒れた日。
確かにあの絵を見た気がする。
それだけを見ていたわけではないが、視界には入っていたのかもしれない。
「サブリミナル効果みたいなものだろう、っていうのがおれたちの結論」
千景が胸を張って続けた。
「もしこれが絵術師の試験に提出されていたら、落ちるだけではなく、制作者はブラックリスト入りしていたでしょうね」
棗の言葉に、その部屋の空気は一層暗く冷えたものになる。
樹と志希は同時にはっと息を飲んだ。落ち着いたままの千景は、棗と同じことを考えていたのだろう。
そう、確かにこれは危険な絵画で、ブラックリストに入ればその先も試験はまず受けられない。
絵術師にはなれなくなるのだ。
あれ、と志希が呟く。
「悠里はそれやから絵を壊したとか」
最後に疑問符をつけた形で隣の千景に問いかける。
「それは」
ないだろう、と言いかけた葉山は口をつぐむ。四人の表情がどこかこわばっていたからだ。
「悠里だからな、壊した理由はそれだろう」
棗が言う。そんなことがあるのだろうか、とまだ困惑気味の葉山に、
「たいした理由もなく絵を壊すようなやつじゃない」
と続ける。
「悠里はそんな直情型な人じゃない」
樹が言うと、
「複雑怪奇なやつだからな」
と千景も続けた。他の三人も、うんうんと頷いている。
葉山はまだ訝しんでいる表情だ。その反応は正しい。
数が多い卒業制作は、念入りな調査がされたとは言えない。しかしそれでも成績評価のために教師たちは絵を見ている。
そこで気付かれなかったことに悠里が気付き、しかもそれを誰に言うでもなく壊して試験に提出できないようにする。
制作者からは恨まれるが、しかしその制作者がブラックリスト入りするのを防ぐことになる。そこまでの自己犠牲を行うメリットが分からない。
制作者から恨まれるだけでなくその他の学生たちからも疎まれ、挙句に退学させられそうになっているのだ。もし彼らの言う通りなら、悠里は一体何を考えているのだろう。
「いや、ないな」
葉山はそこまで考えると、結論を出した。やはり、メリットがない。
「オレたちが直接言うしかないんちゃう」
寮までの帰り道、志希は言い出した。先ほど志希たちが発見した事実を伝えると、葉山はこの件を誰に話すべきか迷っていた。
他の教師や学校長に話すのが筋だが、そうするとどうなるだろう。危険物を制作したことが表に出れば、快斗自身がブラックリスト入りするだけでなく学校の評価も下がる。教師陣がそれを認めるとは思えなかった。
とすれば快斗を処分することはできない。目を瞑るしかないということだ。そうなると、問題は悠里だ。
教師陣が目を瞑ったとしても、事実が学生に広まれば、やはり統括隊に隠し通すことはできずに危険人物と見なされる。
しかし事実を学生に伝えなければ卒業制作を壊した悠里に処分がないのはおかしいと言うだろう。
事実、今現在でもすでに保護者からの苦情が出ているらしい。悠里を処分しなければ学校の信憑性も揺らぎかねない。
「悪いのは藤堂だろ。それを庇った悠里が代わりに処分を受けるなんて、冗談じゃねえ」
千景は志希以上にいらいらしていた。
「でも藤堂先輩は藤堂先輩で、その事実を知らない。他の学生たちも知らない」
樹は言うには、事実が広まれば次は快斗の肩身が狭くなる、ということだ。
「自業自得やん」
志希は快斗の肩身が狭くなろうが、退学になろうが、ブラックリスト入りしようが、構わなかった。
「でも悠里はそれが嫌だったんだろ」
棗が言う。
そうだ。だからこそ、悠里は誰にも言わずに絵を壊したのだ。
「せやから、直接言うんやん」
他の学生はひとまず置いておいて、快斗が悠里を恨むなんて御門違いも甚だしい。そういうことだった。
「確かにな」
千景も言うと、四人の意見はひとつにまとまった。
翌日の放課後、四人は快斗を探しに五回生の教室へと向かった。
「すみません、藤堂先輩いらっしゃいますか」
樹が彼の教室で適当な学生に尋ね、出てきた快斗に話があるので場所を変えたいと切り出した。
「ここじゃだめなのか」
あからさまに苛ついている。
「藤堂先輩のことを思って、場所を変えたいって言ってるんすけどね」
「ここがいいって言うなら別にオレらはそれでいいんやけど」
千景と志希は、快斗に苛つきを隠すつもりはないようだ。
快斗は身に覚えもなく、呆れたようにため息をつくが分かったと一言告げる。
学生会館へと移り、まだ学生があちらこちらに散らばっている下の方の階は避けて三階へと向かう。
付いて来た快斗に卒業制作を調べたこと、そこから分かったことを話す。
話が進むに連れ、快斗の顔色はみるみる青ざめていった。
「そんなの、でたらめだ」
記録のデータは葉山に返してしまった。ここには証拠がない。快斗が信じたくないのも、信じられないのも分かる。しかしあのデータは快斗が率いる学生会が保存したものだ。
「学生会が保存しているデータをもう一度見てもらえば分かります」
だからそれを確認してもらえれば、と続けようとした樹だが、快斗は首を振る。
「映像を改竄した可能性だってある。そもそも学生会に内密で盗んだものだ、信用できない。証拠がないも同然だ。作品そのものは穂積に壊されたんだからな」
快斗はあくまで認めないと言い張る。
「ふざけんな。悠里は自分かばったせいで処分受けるかも知らんねんで」
志希は快斗に詰め寄る。自分かばうってどういうことだよ、と呟く快斗に志希は、
「自分は自分や。藤堂先輩のことや」
と言う。
「それこそ意味が分からないな。もしお前たちの言うことが正しいとして、穂積がなんのために俺をかばうんだよ」
眉をひそめて言う。
「それはおれたちにも分かりません」
千景は苦々しく言った。
ほら見ろ、と快斗は呆れたように笑う。
「絵を見た人みんなが影響を受けたわけではありませんでした」
樹が前に出て、なぜだか分かりますか、と続ける。
「自分の存在価値を否定するような言葉」
樹はぽつりと呟くように言う。
「ああいう悩みを抱えている人だけが影響を受けたのではないかと、ぼくは思います」
「俺もそう思う。でもそれ以上に、あんたがそういう思いを強く持っているんだろ」
樹の言葉に棗が続く。
「あんた自身が認めて向き合わない限り、これからもあの現象は起き続けるだろうな」
無意識みたいだからな、と独り言のように続けた。敬語を使うつもりはないらしい。
「本当は作品を壊されて、ほっとしたんじゃないのか」
その棗の言葉に、快斗はぴくりと肩を震わせ、俯いた。
「オレたちがなんでわざわざ先輩を呼び出して話したか分かりますか」
志希が尋ねた。樹も一歩踏み出すと、志希の隣に並ぶ。
「記録データは証拠にならないっておっしゃいましたけど、改竄されたかどうかなんて調べれば分かります。あれが証拠となれば、先輩は今回の試験だけでなく今後の道も断たれるんですよ」
樹は危険人物としてブラックリスト入りする恐れを話した。
千景が樹を押しのけて前に出る。
「悠里はそれをかばった。処分も甘んじて受けようとしている」
そう千景が言うと、
「教師や他の学生からどう思われても仕方ないが、あんたから恨まれるのだけは納得できない」
棗も言う。
「今のところ、これを知ってるのは葉山先生だけです。どうするか迷っているそうで」
樹が言った。
棗は踵を返す。これ以上話すことはないということか。
「オレは悠里が処分受けるのだけはさせへんつもりです。その結果、先輩が傷つくことになったらすみません」
言って、志希は棗のあとに続いた。
軽く礼をした千景、失礼しますと告げた樹もそれに続いた。
「一触即発、とまではいかなかったかしらね」
階段の影に隠れていた梓が言う。
「藤堂先輩どうなるんやろな」
「というか葉山先生はどうするんだろ」
理紅の言葉に真琴が被せるように言った。うーん、と五人の少女たちは唸る。
「ところで、どうして僕はここに呼ばれたのかな」
五人の空気に入り込めない悠里が呟く。
どこか呆れた雰囲気だ。
「みんなが悠里のためにどう考えてどう動いているのか、ちゃんと知っていてもらいたいのよ」
当たり前でしょう、とでも言いたげに葵が言う。
「悠里が何も言わなくても、私たちを含めて、みんな放っておくつもりないんだから」
覚悟しててよね、と葵は悠里の顔にずいと近付いた。
悠里は目をぱちくりさせて葵の目を見つめる。
その奥にある強い光に、ぱちりと火花が弾けたような感覚が襲う。
彼女の意思の強さを感じた。
「ああ、そうかい。分かったよ」
目を逸らして、うんうん、と頷くと悠里は彼女らに手を振ってその場をあとにする。
悠里には棗たちの不器用な優しさがくすぐったかった。
悠里に処分を受けさせないためなら、快斗のことを葉山以外の教師に早く広めればいいのだ。
彼らは快斗のことを考えるとそれができない。どうすればいいのか考えあぐねているのだ。
正直なところ悠里は、快斗がどうなってもいい。ブラックリストに入ろうが痛くも痒くもない。
それよりも、ただただあの絵がかわいそうだった。とても痛そうに見えた。あんな辛い絵を少しでも長く置いておきたくなかったのだ。撤去させるために説明して納得させる時間が惜しかった。
我慢していたが、あのせいで樹が倒れたことで限界を超えたのだ。早く消してしまいたかった。
しかし、壊れてしまったのは予想外だった。
悠里自身が描いた絵を止めようとした時は大丈夫だったのに。他の人が描いたものを止めようとするのはルール違反なのかもしれない。
それでもこれで退学になるのであれば潮時ということなのかもしれない。諦めもつく。
「さて、どうなるのかな」
悠里自身のことか、快斗のことか、はたまた棗たちのことかは分からないが、悠里は歌うように呟くと寮に向かって歩き出した。
「絵を壊したのは、俺自身です」
快斗が担任にそう申し出たのは、翌日のことだった。放課後、職員室で他の教師たちもいる前での告白だ。
朝一番に快斗から相談を受けたのは葉山だった。
棗たちから真実を聞いた。悠里に罪を被せたくはない。危険人物と認定されるのも避けたい。どうしたらいいのか分からない、という相談だった。
葉山は学校長にだけはこのことを話していた。そして結果、真実は快斗本人と学校長、葉山、それから棗たちだけの知るところとする。絵は快斗自身が壊したとすることを決めた。
戸惑う教師に、快斗はさらに説明を加える。
「納得がいかず、自分で壊しました」
穂積が壊したと言っているんだぞ、と担任は快斗に尋ねる。
「穂積は俺自身が壊したということを知りません。誰か他に犯人がいると思い、その人をかばったのでしょう」
俺もまさか誰かが名乗り出るとは思わなかったので焦りました、と続ける。
すべて葉山と相談して決めたことだ。快斗本人がそう言うのだ、誰も文句を言わなかった。
全校集会が開かれ経緯が説明され、絵を壊したのは快斗本人だということが周知の事実となった。
なんて人騒がせな、穂積は何だったのだ、犯人をかばったらしい、いいやつじゃないか。
情報はこのように伝わり、悠里は以前のような、否それ以上の人気になっていた。悠里にきつい態度を取った者たちも次々に謝りに来た。
「一件落着やな」
放課後、志希はそう言って悠里の隣に並ぶ。
「どこがだい」
悠里は疲れたように言う。葵たちは笑った。
「まだ片付いていないことがあるだろう」
しかし悠里はそう言うと、さっさと歩いて行った。
志希たちは不思議そうに顔を見合わせてから、あとに付いて行く。葵たちもしばし立ち止まって迷うが、駆け出す理紅にみんな続いた。
着いたのは職員室で、扉の前にいたのは河上だった。
「やあ河上くん、呼び出して悪いね」
緊張した面持ちの河上は、ぎこちなく首を振る。その河上を連れて、悠里は職員室の中へと入った。ぞろぞろと大人数で入ってくる学生を、教師たちは驚いた表情で見ている。
「尾崎先生、少しお話をよろしいですか」
ぽかんとした表情の尾崎の前で立ち止まると、悠里は言う。もともと返事は期待しておらず、何か言われる前に河上に向かって話し始めた。
「千景がたばこを吸っていたと話したのは河上くんだよね」
なぜそれを、という表情の尾崎に河上は、裏切ったのか、という疑惑の目を向ける。
「ああ、違うよ。先生は教えてくれなかったんだ」
悠里はあからさまに肩を落とした。
「千景が喫煙していたと言われた時間は授業時間だっただろう。千景は確かにその時間サボっていたけれど、それを見た人もサボっていたとしたら、わざわざ先生に言ったりしないんじゃないかなって」
そう思ったのさ、と悠里は言う。
「正当な理由があってあの場所にいたとしたら医務室しかないだろう。だから校医の秋月先生に確認したら、あの時間に医務室から出て行ったのは河上くん、君だけだったって」
ちなみに入って来た学生はいなかったそうだよと続ける。
「だから何だよ、俺が嘘をついたって言いたいのか」
河上はきっと悠里を睨む。
「いや、君は嘘なんてついていないさ」
悠里は河上に向かい向かってあっさり答えた。
千景はぴくりと肩を震わせ、教師たちはやはり吸っていたのかと視線をやる。
「もちろん千景も嘘なんて言っていませんよ」
視線に応えるように悠里は吐き出すように言う。
どういうことだと尾崎は訝しむような目を悠里に向けた。
「河上くん、君がどこでどうやって千景を見たのか、それを教えてほしいんだ」
言って悠里は河上を前に押し出した。
「どこって、だから学生会館で」
振り向いて悠里に説明しかけるが、教師たちに向くよう指示される。
ええと、だから、と言葉をつまらせながらも考えだした。
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