ゆらゆら、心模様。

美潮 若菜

プロローグ

プロローグ

 夕刻になるとまだ少し肌寒い風が吹き込み、壁に貼り付いたカレンダーが風を含んで、はたはたと音を出す。同時に小刻みに揺れるその絵は、雛祭りの時期とはすっかり姿を変えていた。


 枠の中に描かれている絵はどこかの部屋の中。部屋の奥の窓の向こうに広がるクローバーの絨毯の上で、ちらちらとピンク色が舞っている。


 快斗はそのカレンダーの絵を見つめ、何度目になるかは分からないが改めて感心していた。

 今月のはじめの頃はきっちり雛壇に並んでいたお雛様たちも、それを過ぎてからは少しずつあちこちに散らばり、今ではもう雛壇すらなくなった。窓の外もだんだんと暖かみのある春めいた景色になってきている。


 高い絵力を持ち、訓練を積んだ絵術師えじゅつしが描いた物理絵画。この一ヶ月の間に絵の中では様々な動きがあった。これは高等な技術だ。



 来年この学校の高等課程を卒業する新五年生の卒業制作が、つい最近すべて提出された。国内有数の絵術高等専門学校だけあって、ここでは多くの者が物理絵画を描けている。

 しかしそれでもまだまだ動きは遅く少なく、継続する時間も短い。人の感情を動かす心理絵画、そして人が入ることのできる空間絵画を描いていくにはまだまだ訓練が必要だ。


 快斗は反対側の壁にかかる時計を確認した。六時を指している。そろそろ終わっただろうか、と考え部屋を出た。


 向かった先の絵術実習教室には多くの卒業制作が並んでいる。

 三脚に乗せたビデオを覗いている少年が振り向き、そばにいる少女はビデオの先、イーゼルに立てかけている絵を遠目からじっと見つめている。


 まだ少し時間がかかりそうだ。


 快斗は静かに教室に入ると少し歩き、ひとつの作品の前で立ち止まった。他の作品に比べて動きが滑らかである。ゆったりとしているが、動きの切れ目が見えずに自然な動きになっている。


 しばらくじっと見つめていると、足元がふらりと一瞬ぐらつく。


 気持ち悪い。


 快斗にはそれがプレッシャーだと分かっていた。自分自身の作品を前に納得のいかない思いが押し寄せるのだ。


「今日の分はこれで終わりよ、かいちょ」

 かいちょ、つまり会長と呼ばれた快斗は、ああ、と掠れた声で短く応えた。

「お疲れさま。なんとか間に合いそうだな」

 言って、ぐるりと辺りを見回す。少女は違和感を持ったのか不思議そうに快斗を見つめていたが、いつも通りの様子に気のせいだと思い直す。


 近々、新入生が入学してくる。ここにある卒業制作のすべてを新入生歓迎会の日からしばらく学生会館に並べるのが恒例である。

 ここ、帝祥絵術ていしょうえじゅつ高等専門学校での卒業制作はそのまま絵術師国家試験の一次審査に提出される。


 五年間の高等課程を終え、そのあと二年間の専門課程を終えた者はこの一次審査が免除されるが、高等課程さえ終えていれば、一次審査から受けられるのだ。

 専門課程に通いながらさらに先の試験を受け、早いと在学中に国家資格を取得することもできる。ほとんどいないのが現状ではあるが。

 そして選考作品は戻ってこないので卒業制作はすべての作品を動画で保存する必要があった。これは学生会の大きな仕事の一つだ。


「まともな物理絵画はやっぱり少ないわね」

 快斗の方へ歩み寄り少女は呟いた。ビデオを操作していた少年が片付けたのを確認すると三人揃って教室を出て鍵をかける。

「多くの学生が専門課程に進んで訓練するからもっとよくなるよ」

 廊下で少年が言った。

 快斗は胃が重くなるのを感じていた。学年ではほとんどトップの位置を常に走り続けており、学生会会長という役職を任されてはいる。

 しかしそれでも優秀な家族を持つ彼は常に期待には応えられていないのかも知れない。


 ほとんどの学生が卒業制作はあくまで卒業制作で、試験の一次審査に提出する作品として考えてはいない。試験の作品として制作していた者は少ないのだ。

「かいちょなら一次通過も夢じゃないかもな」

 ぽむ、と肩に手を置き言った少年をじろりと快斗は睨んだ。

「やめろ」

 言うと同時に肩に乗った手を払う。まったくもう、とでも言いたげに少女も少年を睨むと、廊下の窓を開いた。

 真新しい葉の香りがふわりと吹き込む。柔らかい緑に染まる校庭。

「素敵な新入生たちが入ってくるといいね」

 少女は呟いた。

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